七十三
真樹の両刀に押され気味のパーヴェル・シュトキンとヴィタリー・コロソフは、このままタイミング良くいなすことによって、真樹を引き落とせるのではないかと考えた。
ただし、成功させるには、二人同時にいなさなければならない。
どちらかのタイミングが早かったり、遅かったりした場合は、当然に技の仕掛けは失敗に終わる。
そして、早く引き過ぎた方が真樹のナイフで切られる確率が高い。
左が早ければパーヴェル、右ならヴィタリー。
しくじれば、どちらかがダメージを受ける。
片方の攻撃に気を奪われている隙をついて、もう片方が応酬するという段取りも可能に見えるが、ジャッキーの幻惑術によって三半規管をさんざん狂わされた状況で、思いどおりに体が動かせるかどうかは自信がない。
すなわち……成功率はゼロに近い……
二人は同時に消極的な計算結果に至った。
押し相撲で、引いて失敗した事例は数多く、どれも惨めな敗北に終わっている。
パワー特性に満ち満ちた男子が二人がかりで、相手は女子一人。
なおさら、押し相撲で引く判断など有り得ない。
むしろ押しで勝負するべきだ。
押し続けることによって得られる展開利の方が、引くより可能性がある気がする。
この積極的な計算結果も、二人同時に導かれた。
二人の息はピッタリと合っていた。
グッと押される気配を感じ取った真樹は、左手を水平にし、右手を縦に交差させた十字の構えに変え、水平にしたナイフ一本で、改めて二人の腕の盾に向かって押しこんだ。
先ほどとの違いは、左右に分散していた力を中央に集中させている点だ。
権限者同士の押し相撲では、備わった筋力以上に『意志』による作用が大きく働く。
パーヴェルとヴィタリーは、耐えきれずに一歩足を下げた。
よく見れば、真樹の左肩に、梨菜の左手が置かれてあった。
梨菜が真樹に『意志』を支援していたのだった。
「天使様、私に触れるときは、もっと前の方をお願いしたくてよ」
「まあ……そういうのは、試合が終わってからですよ」
必死の男子二人に対して、余裕の女子たち。
ラスカー・タムは、それを黙って見過ごすわけにはいかず、敵わないと思いながらも、梨菜に向かって右足で回し蹴りを繰り出す。
梨菜は長剣を右手だけで裁き、刃先をラスカーの足の裏に当て、蹴りを押さえこんだ。
刃先はむき出しの足に当たっていても、ラスカーの『意志』の注力により切り裂かれることはなかった。
もっとも、梨菜の方はラスカーの動きを止めようとしただけで、ある程度の手加減をしたおかげもあった。
「今、キミの相手は、このボクだ……」
ラスカーは、梨菜が本気を注入してくることを怯えながらも、精一杯の強がりを見せた。
「他に気を回す余裕は、油断だと思うがね。このボクに集中するべきだ」
「これはバトル・ロイヤル」
梨菜も負けずに言い返す。
「チーム同士で戦っているんです。誰が誰と戦っているかなんて状況はありません。あなたが主張されていることは、単なる位置関係です」
ラスカーは、素早く右足を引っこめた。
梨菜は、構えた長剣はそのままにして、ラスカーの動きに注意した。
ラスカーは両手を握り、胸の前で揃えて、梨菜に拳を見せた。
ラスカーの身長は、190センチ。
186センチの梨菜とは大きな差は無い。
「なあ。このボクと一対一の格闘対決をしないか?」
ラスカーの狙いは、梨菜に武器を捨てさせることだ。
「天使様」と、真樹が声をかけた。
「私は一人でも大丈夫……姿は見えないけど、近くにジャッキーさんが来てるんです。私たちのことは気にしないで、その男子の相手をしてあげて下さい」
「真樹ちゃんの言うとおり」
ジャッキーの声が、風のように耳元を通り過ぎる。
「こちらの二人は任せていただいて大丈夫です。社長さんは、ラスカーを仕留めて下さい。社長さんの強さは承知していますが、その男も格闘戦では油断なりませんよ。ご用心を」
「二人とも、ありがとうございます」
梨菜は笑顔で言うと、真樹の肩から左手を放し、右手の長剣を床に置いた。
徐にラスカーの正面に立ち、彼女もまた両手の拳を付き合わせるように構えた。
(やはり強い……)
ラスカーは、梨菜とは紙一重で接触していないが、彼女が放つ強靭な『意志』を肌で感じていた。
(だが対決する展開となった以上は、ボクも負けられん)
ラスカーは、軽く息を吸い込んだ後、全身から勢いよく発汗させ、金色に輝く臨界状態を施した。
梨菜も同じタイミングで全身を臨界させた。
ラスカーは素早い動きで、梨菜の胸の中心を狙って、正拳突きを繰り出した。
梨菜は逃げずに、右手だけでその拳を受け止め、包むように握りしめた。
すぐに、ラスカーは左の突きも繰り出した。
梨菜はそれも受け止め、二人は取っ組み合う姿勢となった。
(『予測』か……)
ラスカーは、思考を働かせた。
(格闘家としての技量はほとんど無い。次の展開を読んで、最適な体の動きを独自で創造している。最適解を求める能力に関しては天才的と言える。頭の良い娘だ……だが……)
ラスカーは、梨菜に両手を握らせたまま、両足で床を蹴った。
梨菜は、視線を現在位置から30度ほど見上げることになった。
そして、彼女の長い両腕に、ラスカーは自分の全体重を預け、平行棒の演技のように両足を垂直になるように上げた。
ラスカーの靴底が、梨菜の大きめの胸にすれすれのところで止まった。
もっとも、ここまではコンマ数秒レベルの一瞬の間の事である。
ラスカーは、その姿勢を維持したまま、両足を力一杯、梨菜の胸に押しこんだ。
ダメージ認定はBとされた。
梨菜には、ラスカーの行動が予測できていた。
にも関わらず、この攻撃を回避できなかったのは、最適な回避姿勢を導くまでの十分な時間が得られなかったからだ。
梨菜は、強い衝撃に堪りかねてラスカーから手を離そうとするが、彼はそれを許さなかった。
(やはり考えて行動していた)と、ラスカーは悟った。
(ボクたち格闘家には定石の動きというものが備わっている。ある特定の場面に対して、決まりきった行動ができるように、奥義として伝承された修練。何も思考せず、無意識に回避や反撃に繋げられる体術。格闘技の修練をさほど経験していないこの娘には、それが備わっていない)
激痛に悶え苦しむ梨菜の表情を見て、ニヤリと笑った。
(あくまでも可能性だが……彼女に考えるヒマを与えない連続攻撃ならば……勝てるかもしれない……)
ラスカーは握りしめている梨菜の両手に、さらに力を注いだ。




