七十
アド・ブルには、D国の都会で生まれ育った記憶が残ってはいるが、彼女を産んだ両親に関する記憶は何も残っていなかった。
6歳までを孤児院で暮らし、子供を授からなかった夫婦との出会いにより、夫婦の養女となった。
裕福とは程遠かったが、学校にも通わせてもらい、それなりに幸福な生活を送っていた。
ところが、11歳の時に養父が他界。
その翌年に、養母が事務員として務めていた中等教育機関の学校長と再婚。
そのよしみで、それまで通っていた基幹学校からエリート連中が集まる同教育機関への編入機会を得られるが、このことを転機と捉えるか、災難と捉えるかは、当人の状況によった。
当時のアドにとっては、後者に他ならなかった。
「ねえ、パンナちゃんはシンデレラって幸せなヒトだったと思う?」
これは、梨菜との会話で、彼女からフワッと出てきた質問。
アドは、不幸な境遇にいた梨菜がオカショーと出会い、現在の幸福な状況に至った経緯を知った上で尋ねていた。
「そう思います」と、梨菜は素直に答えた。
その返答が予想どおりだったので、アドは笑顔を返すが、どことなく淋しそうな雰囲気も醸していた。
「ねえ……周りは上流社交界の集まりよ。その中へ背伸びした小娘が送りこまれたの……私は体が小さいし、器量も良くなかったわ……」
「今のアドさんは、小さなバービーちゃんみたいで、とても可愛らしいヒトだと思いますよ」
すかさず褒めてくる梨菜に対して、アドは得意気な目つきを返す。
「割とお金をかけてるのよ」と、アドが言うと、二人してケラケラ笑った。
「セミナリーに通うことになって、ずいぶんと惨めな想いをしたのよ。私って、基本的に中身の無いヒトだったから、周りはデキるヒトたちばかりでしょ。最初から最後まで、ずっと除け者だったの」
「最後まで修了して、名門校を卒業されたんです。アドさんもデキるヒトですよ」
梨菜の言葉に、アドの目が潤む。
「ねぇ、私もっと早くパンナちゃんと出会いたかったわ」
「ウィルヘルム・フィッシャーとは、いつ出会ったんですか?」と、梨菜が尋ねる。
「セミナリーを卒業した後だったわ」
「フィッシャーの方から来た……のですね?」
「ねぇ、『予言書』に私の名前があったんでしょ? 私が莫大な利益を呼ぶレモンティーンの一人なら、向こうから来て当然だわ」
「莫大な利益……自分をそんなふうに考えたことはありませんでした」
「フィッシャーは、お金を中心にモノを考えるヒトよ。その分、大事にされたけど」
「じゃあ、『権限者』としての『覚醒』は、フィッシャーにされたんですね」
「最初は、フィッシャーが何の事を言ってるのかわからなかったわ。元々、私は何も持っていなかったんだもの。後付けの権限なの。レモンティーンで唯一の『擬似権限者』よ」
「『擬似権限者』では、二つ以上の側面を備えられた事例は希少だと聞きます。アドさんが『攻撃側面』と『蓄積側面』を同時に備えられたのは、特別な資質があったからでは無いでしょうか」
「……ごめん……パンナちゃん……励ましてくれてるのよね……でも私にはわからないの……」
アドはうつむいて、つぶやくように言った。
「私ね……段ちゃんみたいな生まれつきの才能とか……交渉能力とか……そんな特別な能力なんか無くて……いつも流されて……誰かに手を引かれるままに過ごしてきたの……両親の反対は無かったし……きっとお金の力だろうけど……だから、フィッシャーの言われるままにしたわ。さっきパンナちゃんが私のこと可愛いって褒めてくれたけど、この整って見える容姿だって、フィッシャーが設定したものよ。私は教わったことを繰り返してるだけ……私には何かを生み出す力なんて無いのよ」
「見かけのことを言うんだったら、私も同じですよ」
梨菜が言うと、アドは驚いたように目を丸くした。
「パンナちゃんも?……なの?」
「私も自分をきちんと見せる方法を知らなくて、まさしさんに教えてもらって、今の状況があるんです。アドさん、自分が全部デキなきゃいけないってことは無いと思いますよ。自分にデキないことは、誰かに協力してもらえば良いんです。『強天使』はチームなんですから、みんなで力を合わせましょう」
「パンナちゃんは、やっぱりリーダーね」
アドは、にっこりと微笑んで言った。
「私ね、『青い稲妻』にいた時も、そんなに居心地が悪かったわけじゃなかったのよ。オイゲンが優しくしてくれてたし、他のチームメイトとも仲良くやれてたの。でもね、今思うと、私はリーダー向きじゃなかったわね。『強天使』に敗れてから、フィッシャーの態度が急変したし、チームの雰囲気も悪くなったわ……」
アドは、そこで言葉を詰まらせ、口をつぐんだ。
梨菜はアドの様子を気に掛けながら、再び話し出すのをじっと待った。
「……ねぇ……WGBGをスポーツと認識したのは間違いだったわね……フィッシャーもそうだけど、IMEAはビジネス集団……当然にビジネスの扱いだったのよ……負けは教訓として生かせると良いんだけど、ビジネスとしての失敗は取り返せない場面もあるわ。フィッシャーは『青い稲妻』に賭けた期待は捨てて、次に用意した設定に気持ちを切り替えたんじゃないかしら。はっきりと私に伝えたわけじゃないけど、私にはわかるの」
アドには『情報側面』は備わっていない。
ここでの『わかる』は、情報によるものではなく、彼女の勘である。
「たとえ、再度の活躍機会を与えられたとしても、パンナちゃんを相手にリベンジできる目処なんてないわ。それなのに……無理に励ましてくるチームメイトたちから逃げ出したくて……そしたら、オイゲンが声を掛けてくれたの。このままここにいても、私に何の進展も無いだろうから、一緒に逃げ出そうって……知ってると思うけど、オイゲンのお父様はバンクス社の幹部よ。あのヒトは、自分の恵まれた境遇を全部捨てて、私と逃げてくれると言ったのよ。私ね、その時は嬉しいとか、そういう感じじゃなくてね、何だかビルの屋上からの飛び降り自殺を誘われたような気がしたわ。所詮……私には幸福が縁遠いモノで……そういう星の生まれだということを思い知らされた気がして……」
アドの大きくてキラキラした青い目から塞き止めきれずに流れ落ちようとしていた涙を見て、梨菜も思わず涙を浮かべ、アドの小さな体を力強く抱き締めた。
「……パンナちゃん……」
アドが驚きの声を上げた。
「……よく、私のチームに来て下さいました……アドさんが、そう判断してくれて、とても嬉しいです……」
梨菜の気持ちを聞き、アドも小さな手を梨菜の背中に回した。
「……私もよ……パンナちゃんが受け入れてくれたおかげよ。居場所があるって、とても幸せなことなのね」
しばらく抱擁を続けた後、二人はゆっくりと離れて、お互いを見つめ合い、クスクスと笑った。
「ねぇ……後から聞いたんだけどね」
アドは、おどけ気味に両手を腰の後ろに回して言った。
「松川専務にスカウトされてたことを、オイゲンは隠していたのよ。私に逃げようと声を掛けてきた時には、すでに移籍を承諾済みだったみたいなの。それが先にわかってたら、不安な気持ちになることもなかったのに……オイゲンを後からとっちめてやったわ」
「とにかく、今はこうして一緒にいるんですから」
梨菜は腰を落として、アドの目線と同じ高さにした。
二人の身長差は40センチ以上あった。
「パンナちゃん……みんなが楽しそうにしてる『強天使』に来て良かったわ……私ね、とても幸せなのよ」
「レモンティーンは世界平和を導く天使たちだと聞きました。その代価として、私たち自身が幸せになったって良いと思います」
梨菜とアドは、もう一度クスクス笑った。
「そういえば」と、アドが言った。
「アンナ・リリーホワイトだけが、私たちと敵対したままだわ。あの子とは、協力関係になれそうにないわね」
「美園会長によると、『予言』は順調に進行してるそうですよ」
淡々と話す梨菜を見て、アドは少し真面目な顔をする。
「パンナちゃん……何か知ってるわね」
もちろん、これもアドの勘である。
梨菜は、屈託のない笑顔で、こう答える。
「アンナ・リリーホワイトは、すでに協力してくれてますよ。いずれわかります」




