五十二
「……」
ウィリアム・ゴースワンは、完全に言葉を失っていた。
闘技場面を写していた大画面は、第三ピリオドの終了後、すでに数分間が経過しているため、真っ黒になっているのだが、彼の目は大きく開いたままだった。
「相当、堪えたようね」
テーブルの向かい側に座るマギーレインは愉快そうに微笑んでいた。
ゴースワンはつかんだままになっていたビールタンブラーに半分ほど残っていた黒ビールを一気に飲み干した。
「どれくらい損したの?」
マギーレインの質問に、ゴースワンは首を横に振る。
「500万ドル程度だが、そんなのは今までミス・リナに稼がせてもらった額から見れば大したことはない。私が驚いたのは、ブックメーカーの最終オッズだ」
ここでWGBGを対象とするブックメーカーについて説明する。
勝者またはチームの単体あるいは組み合わせを予測する協会公認の賭博システムで、主なチケットの種類は次のようなものがある。
各ピリオドの勝者を予想するもの。
各ピリオドの勝者の組み合わせを予想するもの。
勝利チームを予想するもの。
さらには 、各ピリオドのバトルポイント獲得数を細かく予想するものといったものまである。
投票は、すべてネットワークを介して行うこととしており、締め切り時間は、原則としてピリオド開始時間だが、開始後でも受け付けが認められる場合がある。
それは、運営サイドの判断によることとしており、今の矢吹パンナとキュア凶子の対戦では、後半戦開始直後まで受付されていたらしい。
「キュア凶子が1.8対2.1の優勢オッズになっていた。試合中に逆転されてしまったことになる」
「ブックメーカー運営会社は協会公認、つまりあなたが公認したんでしょ。試合中でもチケットを販売していたことは問題じゃないわ」
「あの試合展開で、結末を予想できる決定的な場面は無かったと思われる。賭場は揺れ動いていたはずだ」
「どの場面で締め切られたのかわからないんでしょ? それが、たまたま凶子が優勢の場面だったんじゃ……」
「……私の買い目は『LARGE4』に基づいていたんだ。ところが、結果はご覧のとおり……」
「『LARGE4』が不安定である話は、フィズから聞いてるわ。原因調査をさせてることも……」
「『LARGE4』は正常だ!」
蹴散らすように、ゴースワンは大声を出した。
「……調査報告は受けている。ここは、冷静に事態の深刻さを受け入れるべきだと思う……」
「熱心ね」と、マギーレインは肩をすくめる。
「キミも凶子を買っていたんだったな」と、ゴースワンはマギーレインをにらむ。
「どこから情報を得たんだ?」
「私の賭けは単なる余興」
マギーレインは平然と答える。
「あなたの逆をしてみただけだわ」
「いくら賭けてたんだ?」
「1000万よ」
「余興というには、1000万ドルは高額すぎるな」
「『LARGE4』への干渉なんて、私には興味が無いわ。あなたが私を疑っているのは、そのことでしょう?」
「……」
ゴースワンはしばらく黙りこみ、それを打ち破るように小さな唸り声を上げた。
「……『LARGE4』への干渉……理論上、可能ではあるが、巨額の設備投資が必要だ……つまり、可能な人物は限られている……」
「そういうのは宋 鵬の仕業なのでは?」
「もちろん、私はそう考えているが、その前提で知りたいのは、キミと宋の関係だ」
「私は、あの男はキライ」
マギーレインは即答した。
「外見も中身も、私の好みになる要素は皆無よ」
フッと、ゴースワンは鼻で笑う。
「わかった。では、宋が一人で勝手なことをしている状況であると受け止めるとしよう」
「フィズは?」
マギーレインの問いかけに対して、ゴースワンは口をつぐんで黙りこんでしまった。
「あら……深刻な感じね……あなたたちは友だち同士だと思ってたのに……」
ゴースワンはハッとしてマギーレインを見つめる。
「いや……フィズは、今も友人だよ……ただ……」
「ただ?」
マギーレインは両目を輝かせている。
「フィズは……私に何か隠し事をしているようだ……」
「隠し事?」
マギーレインは首をかしげるが、瞳は輝かせたままだった。
ゴースワンは大きく息を吸いこんで、鼻からゆっくりと体内にたまった空気を吐き出した。
「フィズは……『あのアド・ブルでは勝てなかった』と言っていた……まるで、他にもアド・ブルがいるような口ぶりだった……」
「その雰囲気から、フィズがあなたに伝えていないことがある……と」
マギーレインがそう繋げると、ゴースワンは小さく頷いた。
「『LARGE4』は未来を写す鏡……未来に対して確信を得ること……それが『LARGE4』の役割のはずだ……なのに……」
「未来は干渉することで変えられるんでしょ?」
「『LARGE4』が写す未来は、我々の未来だよ。我々の未来は、我々の干渉によってのみ変えられなければならない」
「おごりよ……そんなの」
マギーレインは軽蔑気味につぶやく。
「『LARGE4』は他人の未来を蹴散らす鏡。自己中心的なシステムを、自己中心的な宋がかき回した……ただ、それだけの話」
「宋め……ただでは置かんぞ……」
ゴースワンの酔いによる赤ら顔に、怒りの赤が注がれた。
* * *
仄香は『接続室』に入室し、梨菜とオカショーが抱き合っているのを見て、にっこりと微笑んだ。
仄香の戦闘服は、梨菜や真樹が着用している『強天使』チーム共通のビキニ・スタイルだが、42歳という年齢には不相応の若々しい体つきと皮膚の潤いを露出させていた。
「あ……すいません……」
オカショーは体裁が悪そうに動揺を見せるが、梨菜はオカショーにしっかりとすがり付き、離れようとしなかった。
「かわいそうな梨菜ちゃん……でも、私のことなら大丈夫よ」
「……」
梨菜は、チラリと仄香に視線を向け、すぐにオカショーに戻した。
「こうなることは『予測』どおり……あとは、私に任せて」
「え?」と、オカショーが反応する。
「『予測』どおりって……どういうことですか?」
「梨菜ちゃんは、自分が負けることをあらかじめわかっていたの。でも、あのキュア凶子に、あと少しというところまで詰め寄れたわ。これは『予測』していなかった大健闘よ」
「でも……羽蕗さんは負けてしまいました……それで、こんなにも落ちこんで……」
「いいえ。梨菜ちゃんの行動は、歴史に大きく『干渉』したわ。これで、未来が大きく変わったの。あとは、ショーちゃん……落ちこんでる梨菜ちゃんに優しくしてあげてね」
「会長……」
オカショーは、仄香の方に身を傾けようとしたが、梨菜の両腕の力で引き戻される。
「あ……ちょっと……羽蕗さん、ごめん……」
梨菜を引き離そうとするが、引き戻そうとする力はますます強くなった。
仄香はクスッと笑い、『闘技場』に入場した。
向かい側からは、すでに『悪魔の所有物』こと、新谷 紅が待ち構えていた。
体に密着した黒色の戦闘服と、顔の上半分を覆い隠したベネチアン・マスクは、名前が示すとおり悪魔的な雰囲気を醸していた。
仄香と視線が合うなり、新谷はフッと微笑した。
「年甲斐もないな……まさか、羽蕗 梨菜と同じ格好で登場するとは思わなかった」
それに対して、仄香もフッと嘲笑した。
「年甲斐を批評するならお互い様。私を引きずり出したかったんでしょう? 望みどおり出てきてあげたわよ」
「わざわざ殺されに来るとはな……それが、あなたの望みどおりなら、そうするまでだ」
長めのホイッスルが鳴り響いた。




