五
三木 真樹は、東証一部に上場する程度の大手運送会社に勤める、一口で言えば、『OL』である。
年齢は二十四歳。
三姉妹の長女で、八歳年下に、ミキミキこと、妹の美樹がいる。
容貌は、ミキミキと、かつては、よく似た姉妹だったが、多額を投資し、幾度となく繰り返した美容整形により、まったく別人の顔になった。
直線を下側にした分度器のような二つの眼と、逆に直線が上側の分度器のような口は見る影もなく、今の真樹の顔は、大きく開いた黒瑪瑙のような瞳と、形の良い小さな鼻、キュッと引き締まった口元、髪はショートにし、その行く筋かを外ハネさせ、色は、JHCAレベルの九番に染めている。
真樹は、家に帰り着くと、そそくさと会社指定のオフィスユニホームを脱ぎ、アンダーに着込んでいたヘソが見えてしまうピンクのキャミソールと、サックスブルーのホットパンツという出で立ちになる。
その容姿は、I市立高校、通称『北高』の生徒会長を務める矢吹 パンナをイメージしたものだった。
真樹の部屋の壁には、ほぼ身長百八十一センチの等身大に印刷し、ラミ加工された、今の真樹と同じ格好の矢吹 パンナの写真が一面に貼ってあり、百六十センチに満たない身長の真樹は、背伸びをして、その写真の唇部分に、自分の唇を、そっと押し当てた。
「矢吹さん、大好きだよ。涙が出るくらい大好きなことよ」
実際に、真樹は涙を流し、その顔をビチャビチャにさせながら、パンナの写真の胸のあたりに、頬をこすりつける。
「とほほう……」
「は!」
真樹は、動きを止め、ゆっくりと声のした方へ、首を動かす。
部屋のドア付近に立ち、直線を上側にした分度器のような二つの眼と、逆に直線が下側の分度器のような口をしたミキミキと目が合う。
「ラ……ラミ加工はね」と、真樹は、そばにあるティッシュペーパーを二枚取り、パンナの写真の濡れた箇所をささっと拭き取り、クルクルっと丸めて、クズかごに投げる。
「このとおり、拭き取りが簡単だってことね。いもうと、アンタも覚えておくことよ」
「……覚えておくのですわん……」
ミキミキは、ボソッと答える。
ちなみに、真樹は、ミキミキのことを『いもうと』、さらに十六歳年下の三女の夢樹のことを『だいに』と呼んでいる。
つまり、三姉妹は、八歳間隔で、年が離れていた。
「さらに、いもうと、女子が会社で仕事するってことはね」
今度は、ミキミキの正面に立ち、両腰に両手をあてがい、鼻先をツンと突き上げる。
「お父さんくらいの年齢のオジさまの愚痴とか、ただ勤務歴が長いということだけの理由でドヤ顔するオジさまの自慢話とか、耳を覆いたくなるようなオジさまのセクハラ話とかを聞かされるストレスが膨大な状況ってことよ。
いもうと、わかる?
私が、この部屋に戻ってきて、矢吹さんの天使のような笑顔を見て、どれだけ、私の心が癒されてることか。涙が止まらなくなって、思わずチューしちゃいたくなる気持ち。これが、私の生き方なことよ」
「……マキね……」
ミキミキは、ボソッと名前を呼んで、真樹に近づく。
真樹は、警戒心を働かせ、両手を胸の前に出して、不意をつく攻撃に備える。
一応、真樹は、合気道を嗜んでおり、段位取得の一歩手前くらいの腕前である。
一口で表すと、『割りと強い』に当てはまる。
真樹は、素早い横の動きで、隅の机に置かれてあったククリナイフを握り、とっさに発汗させ、刃先まで汗を流し込み、『臨界状態』にする。
ミキミキは、構わず真樹に向かって前進する。
『臨界状態』となっている真樹のククリナイフが、ミキミキの眉間に向けて、容赦なく振りおろされる。
ミキミキは、いつの間にか『臨界』させた水が充填されたプラスチック製のカプセル容器を手の平に乗せ、『硬化』と詠唱する。
光り輝くカプセルの真ん中に、真樹のククリナイフが刺さり、振りおろす動きが止められる。
「くっ……」
真樹は、歯を食いしばって、カプセルから刃先を引き抜こうと試みるが、ミキミキがもう一方の手で、別のカプセルを取り出したところで、真樹は、ククリナイフから手を離し、両手を頭の上に挙げた。
「今日のところは、引き分けにしてあげることよ」
真樹は、吐き捨てるように言うと、ミキミキにクルリと背を向ける。
「いもうとよ、ヒトの部屋に入る時は、ノックする。私が言いたいのは、それだけのことよ」
ミキミキは、ククリナイフが刺さったカチカチに固くなったカプセルを床に投げると、真樹の後ろから、両腕で抱きしめ、その背中に頬を当てる。
「マキね……いつも、お疲れ様なのですわん」
真樹は、胸に巻きついているミキミキの両腕に、両手を添える。
「私の気持ち……わかってくれたのね。いもうと、私、すごくうれしいことよ」
真樹は言うと、思い切り鼻をすする。
「あのね、会長すわん、運動リハビリ始めたのですわん」
「ああ、神様」
真樹は、両目をつぶり、両手を合わせて、神に感謝の意を示した。
「私の天使様を救っていただき、感謝の言葉だけでは言い表せないことよ」
「きゃはあ、近々、ウチに遊びに来てくれるのですわん」
「え!」
真樹は、息が止まるような想いで、ミキミキの方を振り返った。
「もしかして、私に会いに来てくれるとか?」
「きゃはあ、ピンポーンなのですわん」
「い……いもうと、ウソなら、許さないことよ」
「たくさん、心配をかけたって……」
そこで、ミキミキは、真樹がパンナに大量に送りつけたベリー系の焼き菓子を思い浮かべる。
倉庫で使われているカゴ形状の台車に焼き菓子が満載され、真樹が勤める運送会社の運転手が、それを押して、パンナの病室まで運んできた。
有名店の焼き菓子を百二十ケース分である。
購入額は、その筋に詳しい女子に計算させたら、四十万円くらいになると言う。
いくらベリー系スイーツに目がないパンナでも、当然に食べきれる量ではないので、皆にお裾分けということになる。
そんな経緯があって、真樹は、ご相伴に与った『北高』女子の間で、有名人となっていた。
「きゃはあ、会長すわん、高いモノをいただいたって、気にしてたのでし。ぜひ、お礼も兼ねて、挨拶に来ると、言ってました。きゃはあ。ミキミキを楽しんでいただけましたね。おわり」
「ああ……お礼だなんて……何て、恩情あふれるヒトなの。私の方がお姉さんなんだけど、尊敬してます、矢吹さん」
真樹は、涙を流しながら、幸せそうに微笑む。
「あと、言い忘れてました。きゃはあ、テヘペロですわん。会長すわんが、マキねに、お話があるみたいなのですわん。これで、ホントに、おわり」
「え?」
真樹がミキミキの方を見ると、すでに背中を向けて、部屋から出ていこうとしていた。
「いもうと、ちょっと待つことよ」
真樹は、とっさにミキミキの左肩を押さえる。
「とほほう。私の話は、もう終わったのですわん」
「矢吹さんが、私に話があるって、何の話よ?」
「会長すわんが、話してくれるのですわん」
「いもうと、まさか、矢吹さんに失礼なことを……私に責任を取れなんてことじゃ……」
「とほほう。ミキミキ的には、粗相はないのですわん。いつも、ミキミキを楽しんでいただいてるのですわん」
「矢吹さんが、私に話……」
そこで、真樹の動きが止まる。
ミキミキは、その隙に、部屋から出ていった。
その後、真樹は、明け方まで、そのままで、翌日、会社を欠勤した。