四十三
《決勝・第二ピリオド》
強天使
→ハーモニー真樹(女24歳)
紅魔
→サーヴァント・マスター(男22歳)
仄香は、驚いた、と言うよりは、かなりあきれた顔をしていた。
対戦相手のサーヴァント・マスターと名乗る男子は、真っ黒なマスクと真っ黒なレンズの入った競泳用ゴーグルを着用しているものの、ボサボサに長く伸ばしている黒髪、細長いバナナのような面持ち、紫帯びた薄い唇、コケた頬、直角三角形の尖った鼻、茶色いリング状になったクマのできたキツネのような目といった、とある人物を特定できる個性的な特徴は隠しきれないでいた。
さらには、
「ハイブロー!」
と叫ぶ声。
「あのバカ……」
仄香は、親指の爪を噛みながら、チッと舌を鳴らした。
「梨菜ちゃん、アレが出てきちゃってるけど、どう思う」
質問をふられた梨菜は、部屋の隅の方にオカショーと並んで座り、二人とも抑揚の無い笑顔を仄香に向けた。
「アレは昔のはなし」と、梨菜。
「羽蕗さんがそう言うなら」と、オカショー。
「アレの処分は終わってるし、わたし的に怨恨は消えてるし」
「羽蕗さんがそう言うなら」
「アレの脱獄対応については、水野警視監から何の指示も来ていませんし……」
「羽蕗さんがそう言うなら」
「アレに汚されたカラダは捨てて、今はキレイなカラダ」
「羽蕗さんがそう言うなら」
「まさしさんに大事にされてるんで、アレのことは、もうどうでも良いんです」
「羽蕗さんがそう言うなら」
「今日も大事にしてね」
梨菜は、オカショーの顔を見て、ニッコリと微笑み、手をギュッと握りしめた。
「ショーちゃんもそうなの?アレは、一応、実の兄なんだけど」
「羽蕗さんをヒドイ目に合わせたヤツなんか、あの時から、もう兄と思ってません。でも、つまり、羽蕗さんがもう気にしてないから、ボクも気にしないんです」
「まあ……梨菜ちゃんとショーちゃんがそう言うなら……」と、仄香は大画面に表示されている真樹の方を気にかけた。
真樹は、闘技開始前でも、すでに全身から熱気が立ちのぼり、真っ赤に燃え上がっていた。
「岡……大……」
真樹ににらみ付けられ、サーヴァント・マスターは足元から頭部に向かって、震えをウェーブさせた。
「なぜ?……どうして?……私の正体がバレてる……」
「あれで、バレてないと思ってたのかしら……バカが底無し過ぎるわ……」
仄香は首を左右に振る。
「それでなくても『権限者』集団を相手にして、隠し事なんかできるはずが無いわけだし……」
「底無しのバカ……」と、レナがつぶやく。
彼女の頭の中には、小さなバスタブにオカダイがぎゅうぎゅう詰めに入っていて、突然バスタブの底が抜けて、オカダイたちが真っ逆さまになって、奈落の底に落ちていく光景が写っていた。
(……奈落にも底があります……その底だって、しだいに抜けて……さらに底に向かって落ちていって……まさに底無しです)
レナは両目をつむったまま、ほくそ笑んでいた。
着替えが終わったミキミキが控室に戻ってきて、真っ先に目に飛びこんできたのが、レナのその笑顔だった。
(きゃはあ、レナすわん、瞑想中なのでし。ここは邪魔しないで、そっとしておくのですわん)
ミキミキは、ニッコリと笑顔を浮かべ、静かにレナの隣に座った。
レナは、ミキミキの存在に気付かず、その満足げな笑みは維持された。
「天使様にひどい仕打ちをした悪人!いつか出会ったら、この私の手で成敗してやろうと思っていたことよ」
「真樹ちゃんの闘志がスゴいわ。なかなか良いマッチングだったのかも」と、仄香は感想を述べる。
「仄香さんを襲った相手でもありますよ」と、梨菜。
「その点は、どうなんですか?」
「真樹ちゃんが、私に代わって、仇を討ってくれるわ」
仄香の声は、さらりと言った。
長めのホイッスル。
真樹は、両手のククリナイフを正面に構えて、一直線にサーヴァント・マスター、もとい、オカダイに向けて突進した。
「私も、ここまで全勝で勝ち進んで来てるのよ。ナメないでほしいわね」
オカダイは、褐色がかった半透明の液体の入ったボトルを両手に持ち、中の液体を自分の周りに撒き散らした。
警戒心が働いた真樹の足が止まった。
オカダイは、さらに片足立ちをし、クルリと一回転すると同時に、円を描くようにボトルの液体を撒き散らした。
そして、フワリとした緩い風がオカダイを中心に地面を這うように吹くと、液体も風に乗り、じわじわと円状に薄くのばされて、真樹の足元を覆っていった。
何の液体なのか確かめるために、ほんの少しだけ右足の踵を浮かせようとしたところで、ヌルリとした感触が踵から爪先に走った。
真樹は警戒して、それ以上は足を動かさないようにした。
油なのか、何なのかはわからないが、恐ろしく滑りやすい液体だった。
「油と茶色く見えるのは、細かい粒子のようだね」と、梨菜が自己解析結果を話し始める。
「粒子は球状で、摩擦を無くす役割があるみたい。床に粉を撒き散らすよりも、滑りが良い感じ」
「こういう状況を作り出したからには」と、真樹は軽蔑ぎみに目を細める。
「自分自身も同じ不利を受けるということよ」
それに対して、オカダイは不敵な笑みを返す。
「私が作り出した状況よ。何の準備もせずにやってると思う?」
その直後に、オカダイの身長が少しだけ高くなった。
足元を見れば、靴底にいつの間にかブレードが現れ、スケート靴のようになっていた。
「なかなかハイブローな仕掛けでしょう?」
「バカみたい……」
真樹は、率直にまっすぐな感想をため息混じりに述べた。
「まあ……これのスゴさを今から見せてあげるわよ」
オカダイが前傾姿勢を取り、右足で地面を蹴ると、猛スピードで真樹に向かってきた。
真樹は、両手のククリナイフで応戦しようとするが、油断すると滑りやすい足元が両側に向かって開いていく。
体勢を整えようとすると、上半身の方が不安定になる。
ふらふらしている内に、オカダイが目前まで迫っていた。
「こういうのどう?」
オカダイは左足を上げて、刃になっているブレードを水平にし、体を回転させる。
ブレードは、真樹の胸のあたりを真横にかすめ、ビキニスタイルの戦闘服の肩ヒモだけを器用に切断する。
切られたヒモがだらりと下がり、真樹の左胸が露になる。
「どスケベなのは、相変わらずだね」と、梨菜は首を横に振る。
真樹の横を勢いよく通りすぎたオカダイは、鮮やかにターンを決め、「次は、肉を切りに行くわよ」と、上から目線で真樹を見る。
真樹は、はだけた胸を隠そうともせず、鋭い目つきでオカダイをにらみ続けていた。




