三十三
「よろしくお願いします」
ドーム内に入場した梨菜の丁寧なお辞儀と声高らかな挨拶に合わせて、観客たちから悲鳴のような声援が沸き起こった。
多国語の応援幕や矢吹パンナの美貌を表現したイラストに彩られ、場の雰囲気は、梨菜の方に有利に働いているように感じられた。
実際、ブックメーカーの人気では、圧倒的に梨菜が優勢となっていた。
「まあ」と、対峙する男子は唇をへの字に曲げ、右手で握っていた徳利を口元に運び、中の飲み物を、グイっと口に含んだ。
身長は百八十センチ超えで、梨菜とほぼ同じ。
広い刈り上げと、上方に盛り上げた髪型、丸い両目と二重顎の容貌は、どこかの国の政治家を彷彿させる。
筋肉質の百センチ超の丸い胴回りの関取のような体格で、飲んでいるモノの中にアルコール成分が入っているのか、露出している手足が赤みを帯びている。
《二回戦・第三ピリオド》
強天使
→矢吹パンナ(女18歳)リーダー
約束の地
→雷 一文(男18歳)リーダー
「何と言うか、あるあるだよな。一度ウケたパフォを繰り返すってヤツ」
イーウェンは言って、またもや徳利を口に持っていく。
「クソ面白くねぇパフォだってことに気づかねぇ。客にウケるから、本人は面白れぇことをやったと思いこんで、まあ、哀れって感じ」
「……」
梨菜は、何も言葉を返さない。
「無視かよ……つまらん女だ」
長めのホイッスル。
イーウェンは、多めに徳利の中の飲料水を口に含んで、全身から発汗させる。
赤い肌から水蒸気が勢いよく噴き出された様は、怒りに満ちた地獄の赤鬼のように写る。
イーウェンは、徳利からの補給を断続的に繰り返す。
発生した水蒸気は、留まることなくドーム内を包みこんでいく。
その熱気は、当然に梨菜にも及び、額や手足から玉粒の汗がにじみ出てくる。
「華氏451度」と、イーウェンはつぶやく。
「オレが作り出した熱地獄だ。とくと味わえ」
「技名が本当なら、摂氏232.8度!」と、日向が声を張り上げる。
「まさに灼熱地獄だわ」
「会長……大丈夫でしょうか……」
レナが心配そうにしている。
「大丈夫ですよ、きっと」と、日向がレナのそばに寄る。
「梨菜さんの意志の強さはスゴいから」
「あのドームの中、きっとあの男子のニヨイで充満してるんです。ああ……私だったら堪えられません……」
「……そっちか……」
日向は苦笑する。
「あの水蒸気には、イーウェンの意志が通った『ME』が含まれてる」
仄香が、把握できた状況を説明する。
「『加熱』を選択して室内温度を上げてるのよ。一回戦で彼の相手をした選手は、全身火傷で意識不明の重態。高温で全身が麻痺し、手も足も出せずに終わったの。第一ピリオドが終了した時点で棄権して、『時間稼ぎ禁止ルール』による反則で勝敗決したのよ」
「かわいそうな会長……あのニヨイの中に2分間も……」
「レナちゃん……また、そんなことを……」
日向があきれていると、着替えを済ませたミキミキが近寄ってきた。
「レナすわん、それは違うのでしよ」
ミキミキは、人差し指を立てて、メトロノームのように左右に動かした。
「レナすわんは、さっきからニヨイと言ってるのですわん。きゃはあ。それは、正しくはニオイなのですわん。おわり」
「ああ……美樹ちゃんも、そっちのヒトなのね……」
日向の顔の右半分に、絶望的な影が差していた。
その時、梨菜の全身から炎が上がった。
イーウェンが、梨菜に付着した『ME』を発火させたのだった。
「きゃああ!」
悲鳴を上げたのは大勢の観客と、日向だった。
仄香を含めた『強天使』のメンバーは、全員がけろりとした顔をしていた。
(こんなの見てて、みんなは平気なのかなぁ)
日向は、唇をキュッと結び、両手を握りしめて、メンバーの様子を眺めた。
「まあ」と、イーウェンはほくそ笑んだ。
「このまま前半戦が終わるまで蒸し焼きにしてやるよ。いやだったら、動ける内に出ていくってのが、あるあるだな」
梨菜は、刃先を下向きにして『ME』を先端まで行き渡らせた長剣を正面に構え直し、その刃先をイーウェンに向けた。
「梨菜ちゃんの反撃が始まるわよ」
仄香の両目がキラキラと輝いていた。
「まあ」と、イーウェンは警戒気味に目を細めた。
「何をするつもりかわからんが、悪あがきって感じで……」
ビキッという音がイーウェンの言葉を遮った。
梨菜の周囲から冷気を感じた。
そして、たちまち充満していた水蒸気が粉のようになって落下を始めた。
「まあ……」
イーウェンが言葉を発しようとしたが、そこで動きが止まった。
気が付けば、ドーム内は完全に凍りついていた。
そして、イーウェン自信、全身に帯びていた汗が凍って、微動だにできない状態になっていた。
(あの女がやったというのか?)
口を動かせないイーウェンは、視線だけを梨菜に向けた。
(オレの意志を『横取り』して、一瞬で凍らせたというのか?)
「キミが前回の戦闘でやったように」と、梨菜が言う。
「このまま動けない状態で、試合終了を待っても良いんだけど、エンターテイメント性に欠けるからね。ここは、簡単に決着をつけさせてもらうよ」
梨菜の長剣の先に小さな光が集まり始める。
それは針のように細い、五センチ程度の『光弾』で、まっすぐにイーウェンに向かって発射された。
小さな『光弾』は、彼の眉間まで届き、パチンと音を立てて破裂した。
イーウェンは大量の涙を飛び散らせながら白目を剥き、そのまま受け身も取らずに、床の上に倒れた。
「遠隔のデコピンね」と仄香は言って、クスッと笑った。
試合終了のホイッスル。
場内には、歓声に加えてどよめきが広がった。
一瞬にして形勢が逆転した状況を、大半の観衆たちには理解できていなかった。
「今の『強天使』の試合、ゴス、キミはどう考えてるんだ?」
大画面に写る矢吹パンナに祝福の拍手を贈りながら、ウィルヘルム・フィッシャーが向かいに座るウィリアム・ゴースワンに訊ねた。
ゴースワンは、満足げな笑みをフィッシャーに返した。
「期待どおりの活躍に満足してる。それに」
「それに?」と、フィッシャーが言葉をなぞった。
「優れた『予測』を導いているようだ」と、ゴースワン。
「今回の『強天使』の出場順は、前回と異なっていたな。ミキミキとハーモニー真樹の順番が逆になっていた」
フィッシャーの指摘に、ゴースワンは予想外というように両目を大きく開けた。
「フィズ、キミは割と見る目があるようだね」
「失礼な言いようだが、まあ許すよ」
フィッシャーは、すでにビールジョッキから昇進させたブランデー入りのグラスを口に運んだ。
「『約束の地』は決して弱いチームではなかった。『強天使』にとっては、ベストなマッチングだったと思うよ」
「『予測』の正確さが勝利を導いた、と」
「ボクは、そう思ったよ」
「うむ……」
ゴースワンは、右手でヒゲの生えていないツルツルの顎を撫でながらうなずいた。
「問題は、彼女たちがどこまで『予測』できていたか、だろ?」
フィッシャーがさらに疑問を繋げた。
「おそらく、我々の想像を絶する高次元の『予測』を繰り出せる『権限者』がいるな」
「……その人物には、心当たりがある」と、ゴースワン。
「だが、有り得ない……ホノは侮れない存在だ。我々が、彼女に対して秘密にしている事があるように、彼女もまた、我々に対して秘密にしている事があるようだ」
「そもそも、ホノはひどく負傷したと聞いた。なのに、彼女はあそこにいる」
「それは、私の言う、有り得ない状況ではない」と、ゴースワンは言い、ほくそ笑んだ。
「彼女には、キミの知らない大きな秘密があるのだよ。いや……彼女たち……と言った方が正確かな」
「……もったいぶるなよ」
フィッシャーは、不服そうに口を尖らした。
「いずれ、わかる」
ゴースワンは深く息を吸い込み、フィッシャーの前で得意顔を見せた。




