三十一
『ラズベリーパーク競技場』のダイヤモンドルーム区画内の男子トイレにて。
静寂に包まれた中で柴田が用を足していると、他で空いている便器があるにも関わらず、まっすぐに柴田の方に歩み寄り、その隣に並んで立つ人影が現れた。
柴田が興味を示さず、そのまま用足しに専念していると、人影の方から声をかけてきた。
「よう、兄弟」
男の声は、明らかに柴田を捉えていたが、柴田は顔をそちらに向けることすらせず、ただ一言、「おまえか……」とだけつぶやいた。
野球のホームベースのような形の顔と尖った顎、上底が下底より長い台形のサングラス、隣にいるのは新谷 紅だった。
「相変わらずのようだな、兄弟」
柴田は後ろに下がり、ズボンのチャックをキュッと上げて、新谷の側面を見るように、体を向けた。
「おまえ……アネさんとボクを殺そうとしたんだってな」
柴田の直球の問いかけに、新谷は「ああ」と、すげなく答えた。
「羽蕗 梨菜に阻止されたがな」
「その後に、アネさんは拘置所で重傷を負った」
「本来は、殺人依頼だったんたが、引き受け者の私利私欲のために失敗に終わった」
「まだ、アネさんのこと狙ってんのか? それにボクのことも」
「キミは、たまたま一緒にいたから、ついでだった」
「ひでえ扱いだな」
「アネさんが存在することで発生するリスクが大きいと読んでた……だが、今となっては成功する見込みは薄そうだから、半分あきらめてる」
「素直に全部認めやがって……」
柴田があきれたようなため息を漏らした。
「なあ、兄弟」
新谷も用が済んで、ズボンのチャックをキュッと上げた。
「一杯やらないか?」
二人は、出会いのトイレと程近い場所にあるバーカウンターに並んで腰かけた。
新谷はビールを、柴田は片言の英単語を重ねてジン抜きのピンクレディを作るよう、バーテンダーに伝えた。
「下戸なのも相変わらずだな」
「ボクは、人生の一分一秒だって正体を無くす時間を作りたくない主義なんだ」
「なかなか隙を見せないな」と、新谷は苦笑する。
「おまえとゴースワンが繋がってるのはわかってる。ここは、ゴースワンの巣窟……懐に入り込んでるんだ。油断できないのは、当たり前だろ」
「……なるほど。目に見えないが、強固な防衛システムをまとっているな。キミに『光弾』を放っても、瞬時に『横取』されて、発射した相手に跳ね返ってくる。キミが設計したのか?」
「『超小型保護具』だよ。もっと早く完成していれば、アネさんがやられることもなかったんだが……」
「粉粒程度のロボットに監視させてるのか。息を吸えば、一緒に吸い込んでしまいそうだ」
「そうならないように、自力で特定場所に帰巣する機能がある」
「抜かりは無いか」
「今度、ウチから売り出すことが決まってる。特許は、もう取ってるからな。まあ、設計図を不正に手に入れたとしても、ウチ以外の工場での生産は技術的に無理だろうけど」
「効果があるのは『ME』による攻撃だけだな。鉛の弾丸は跳ね返せないようだ」
「そんなモノをここで出せば、ここの治安維持システムが働くんじゃないのか? つまり、ボクは完璧に守られてるというわけだ」
「ふっ……」
新谷はほくそ笑むと、ジョッキを持ち上げて、ビールを口一杯に含み、ゴクリと音を立てて、飲み込んだ。
柴田は、グラスの縁に唇を当てて、桃色の甘酸っぱい飲み物をペロリと舐めた。
「元より、キミに危害を加えるつもりはない。ここは、争う場ではなく語り合う場だ」
「あの可愛い女の子たちは争ってるぞ。大人たちの都合で踊らされ、見せ物にされてる」
「能弁家だな。いつから、そんなロマンチストになったんだ」
「ボクは、生まれつきロマンチストだ」
新谷と柴田は、再びそこで自分の飲み物に口を付ける。
「おまえもバトルに出てるのか?」と、柴田が訊ねる。
「まあな」
相変わらず、新谷はすげなく答える。
「おまえが出てるのか?」
柴田は、そこにこだわって訊ねる。
「まあな」と、新谷は答える。
「ウルムスで、しかも『強天使』と当たらない運の強さで、まだ勝ち残ってる」
「ホントに運が良いヤツだな」
「高額なファイトマネーのおかげで、一応は儲かってもいる」
新谷は苦笑する。
「おまえなんか、パンナさんに、こてんぱんにやられればいいんだよ」
「もう、やられたよ。かなり、こてんぱんにな……」
「ははひひは」と、柴田が声に出して笑う。
「そういえば、アネさんの新車のアウディ破壊されたとき、手首を折られてたな」
「正攻法では、あの娘に勝てないのは承知してる」
「正攻法じゃない手で来るってのか?」
「あの娘には仕返しさせてもらう。もう、手は考えてある」
「汚い手を使って、パンナさんには勝つってのか?」
「私を見くびるな」
新谷は、右手の人差し指をピンとまっすぐに立てる。
「私が勝つというのは、『強天使』にだ。そして、今度こそアネさんの命も、その時にもらう」
「アネさん殺しにこだわるねえ。アネさんの方だって瀕死の状態から復帰して、おまえに仕返ししてやりたいと思ってるぞ」
柴田は、グラスを持ち上げ、ピンクの飲み物を一気に飲み干す。
「一つ賭けをしないか?」
柴田の提案に、新谷は驚きで目を大きく広げる。
「もし、おまえのチームが『強天使』を敗ったら、おまえのために売れる新製品を一つ考えてやるよ」
「いいのか?」と、新谷が聞き返すと、柴田がキャッキャッと笑う。
「マジで、勝つ気でいやがるな。言っとくけど、おまえでは『強天使』には勝てねえぞ。だが、もし勝てたら、アネさんに対する造反行為になるが、引き受けてやるよ」
「よし、その賭け、乗ってやろう。私が勝ったら、キミが儲け話に協力してくれるってことだな。では、キミが勝った場合は、私の何を持っていくと言うんだ?」
「おまえが、アネさんから奪ったモノを返してもらう」
柴田は言い切って、新谷を睨みつける。
「ヒトの思い出を踏みにじるような真似を、ボクは見過ごせなくてな。もう十四年が過ぎた。そろそろ、アネさんに返してやってもいいだろう?」
「むう」と、新谷は呻き声を上げる。
「まったく……ロマンチストの真似事ばかり言いやがる」
「生粋だって言ったろ。ボクの人生、ロマンチック百パーセントなんだよ」
「……どうだかな……」
新谷は少しの間だけ考えて、こう答えた。
「わかった。私が負けたら、『予言』の内容を当時のままで、アネさんに返してやろう」
「よし、賭けは成立だ」
柴田は、はしゃぎ気味に同じ飲み物をもう一度、バーテンダーに注文した。




