百十
宋 鵬は、右手の親指と人差し指で下顎を撫でながら、岡 将の正面のソファに腰を落とした。
二人の視線は、まっすぐに相手の目を捕らえていた。
「『不老不死』の権限か……」
まず、宋が小さなため息を混じえながら言った。
「それは、まさしく我々が手に入れたい重要な権限だ。WGBGという手段を用いて、こうしてヒト騒ぎを起こしている状況も、その権限を手に入れたいがためなのだよ」
将は、無言で宋の話に耳を傾けていた。
あとのメンバーは、二人を囲むように立ち、見守っていた。
「言い換えれば、『不老不死』が手に入るならば、こんな回りくどいやり方など、今すぐにでもやめてしまって良いと思っている。だが、ボクの立場では、その実現が適うには、相当困難であることも認識している」
そこで、宋は言葉を切り、じっと将を見つめた。
将は、ただ愚直に、宋の目を見つめるばかりだった。
「つまり、我々には、今まさに動かしている交渉術に頼るしか選択肢が無いことを、キミには理解していただきたい」
「宋閣下」と、ラスカー・タムが口を開いた。
「いかにも、現行動を正当化したい主張に聞こえるが、『軟禁』という倫理から外れた手段を用いての交渉が、公正であると評価されることはない、と改めて伝えておきたい」
「キミの言うとおりだ。ボク自身も、ボクの、この倫理から外れた行動に、正当性が認められることを期待していない」
宋は、毅然と言い返した。
「この行為に関するお咎めなら、この後に謹んで受けようじゃないか」
「交渉の効果は期待できないと思います」
今度は、将が言った。
「先ほども申し上げましたが……」
「『不老不死』であるからには、キミは死なないし、人質としての効果は薄い。キミはそう言いたいのだろうが、ボクには、羽蕗 梨菜は、かなり動揺しているという情報が届いている」
「かなり現場に近い情報だな。それは、つまり、『強天使』チーム内に情報提供者がいる、ということか?」
すかさずパーヴェル・シュトキンが追求を試みる。
宋は、パーヴェルの問いに対して、全く無反応で、まばたきですら動揺を見せなかった。
「キミは、『生来個体』だろ?」
宋の問いに対して、将も無反応で返した。
彼の場合は、戦略的な行動ではなく、宋が口にした趣旨を理解できず、返答に困っていた、というのが、正直な状態だった。
「羽蕗 梨菜は、すでに『生来個体』を失い、意志を転送させた『疑似個体』として生き続けている。おそらく『生来個体』に対するこだわりは、相当強いのではないかというのが、ボクの見解だ。つまり、キミが『生来個体』を失ってしまうかもしれない危機を恐れているのだよ」
「『生来個体』であろうと、『疑似個体』であろうと、羽蕗さんは羽蕗さん。何ら変わりはありませんよ」
将は、すかさず反論するが、宋の不敵な笑みは消えなかった。
「はたして、そうだろうか。羽蕗 梨菜の今の動揺は、キミの『生来個体』を心配してのことであるならば、ボクのこの交渉術は、一定の成果をあげているということになる」
「たとえ、今は動揺していても、そんなのは気持ちを切り替えられるかどうか、割り切れるかどうかの問題じゃないですか。大した問題じゃありません。羽蕗さんは、本番に強いヒトです。交渉は失敗に終わります」
「キミは若いのに、なかなかどうして、大した度胸の持ち主だね」
宋は、感心した顔で、将を見つめた。
「ボクは、キミのような優秀な若者を尊重したい主義なんだよ。ここにいる劉 梓朗も優秀で、エイシード社の責任者を任せている。今回の交渉術では、キミに乱暴を働いたことを深くお詫びしたいと思う。
さっきも伝えたけど、キミの身体の無事は、必ず保障するよ。今は、このボクのわがままを許してほしい。ボクには、選択肢がこれしかないんだ。こう見えてもね、かなり必死なんだよ」
「仮にWGBGで『強天使』に勝利できたとして」
抑揚のない口調で、ヴィタリー・コロソフが会話に加わった。
「宋閣下、あなたの目的が達成できるのですか?」
「ボクの目的について、キミたちがどの程度まで理解しているのか計り知れないが」
宋は、穏やかな口調でヴィタリーに返した。
「この際、秘密にしておく必要はもう無いだろうから、正直にすべてを話しておこう
ボクの目的は、『檸檬の天使たち』を全て『姫檜扇水仙』のメンバーたちに置き換えることだ。
『ル・ゼ・ジャセルの予言書』に記されているのは、長期予測が可能なシステムに関する計算技術と短い詩、そして四人の少女の名前だ。四人は名前だけで、固有の存在を特徴づける説明は何も無い。つまり、名前さえ一致すれば、任意の人物を『檸檬の天使たち』に仕立てあげることが可能である、と考えている」
「名前の一致だと?」
ラスカーが眉をしかめた。
宋は、ニヤリと笑みを見せた。
「第2ピリオドに出場する
ダイヤモンド・ザ ノナ、
エメラルド・ザ ウンデカ、
ルビー・ザ デカ、
サファイア・ザ ヘキサ」
この4人には、『籍』を与えてある。
それぞれの氏名は、『檸檬の天使たち』と同じだ。
ちなみに、ダイヤモンドの本名は『羽蕗 梨菜』だよ」
将の顔色が真っ青になり、今にも気を失いそうになった。
すかさず、ラスカーが将の背後に回り、両肩をささえた。
「本人との置き換えか……それは『強天使』のメンバーを抹殺するということか?」
ラスカーの問いに対して、宋は唇をへの字に曲げた。
「『不老不死』の権限が与えられているのなら、彼女たちを殺すのは不可能なのではないかな?
ボクの当面の目標は、あくまでもWGBGを優勝することだ。まずは、『予言』の対象に乗っからないことには、元もこうもないからね」
「ボクは大丈夫です。ありがとう、ラスカーさん」
将は、ラスカーに笑顔を見せた。




