百五
ラスカー・タム、パーヴェル・シュトキン、ヴィタリー・コロソフの3人は、C国S市内のロイヤルスコット・ホテルのエントランス側正面に建つオフィスビルにある一室にて、足元からスカートの中を覗くように、背の高いホテルを見上げていた。
ロイヤルスコット・ホテルの所有者であり、エイシード社の創業者でもある宋 鵬は、100メートル超の高層ホテルの最上階に3部屋あるロイヤルスイートルームのどれかにいることは間違いなかった。
そして、彼の利益に関わる重要な『預かり物』は、それに隣接した部屋に置いてあることも。
ラスカーは、ほくそ笑んだ。
要人は、姿を隠すことができない種別だ。
身体保護が優先される制限から、自ずと選択肢が限られ、実にわかりやすい位置に籠城せざるを得ない事態に見舞われる。
今回も、そのパターンだ。
要人の居場所については、すぐにわかった。
だが、このミッションにおいて難儀なのは、彼が占有する『預かり物」を持ち帰らなければならないという点にある。
防御を破って、要人を暗殺または破壊工作をして逃亡するだけならまだしも、軍事訓練の触りすら知らない素人を連れ戻すとなると、格段に難易度が高いレベルまで引き上げられる。
そんな難題でも、三人がミッションを引き受けたのは、彼らの雇い主であるマギーレインに対する忠義の表れであると言えた。
そして、自分たちの行動が望ましいとされる歴史を支えていることも、彼らの大きなモチベーションとなっていた。
ここでの勝機は、行動開始のタイミングにあると、全員が認識していた。
どのタイミングがベストなのかは未だ計り知れないが、ただ一つだけ確信があるのは、現在地からロイヤルスコット・ホテルの最上階まで移動するための所要時間だった。
交通量の多い信号交差点を横断し、ホテルのエントランスから従業員用のエレベーターに乗れば、3分44秒でたどり着ける、と試算していた。
もちろん、この所要時間は、信号機や交通量の過多による待ち時間は考慮されていない。
状況が生み出す障壁が、自分たちの行動に淀みを与えることはない、と確信していた。
もっとも、自分たちの行動が、自然偶発的な状況に対して淀みを与えることは有りうる、という認識は持っていた。
さて、この3分44秒のカウントダウンを、いつスタートさせるべきか、これが今回のミッションのツボだ、とラスカーは考えていた。
対象人物を無事に連れ戻すということを、真面目に考えて、まともに実行するなら、成功率はゼロパーセントだ。
まともな実行が、ここで求められている解答ではないことは明らかだ。
「よし、合図が来た」
と、ラスカーは仲間に伝えた。
その後に、仲間内での会話は一切なく、ラスカーの歩みに合わせて、あとの二人も続いた。
信号交差点では、ラスカー側に赤信号が点灯し、行く手を阻む激流の河のように、広い道路を大量の自動車が猛スピードで行き来していた。
それでも、ラスカーは歩みを止めなかった。
この瞬間に、信号交差点を通過しようとしていた乗用車の運転手が、力一杯に急ブレーキを踏んだ。
後続の車両も同じように急停車を試み、その何台かは追突の衝撃音を奏でていた。
そして、渦巻きのように周囲を巻きこんでいく罵倒の嵐。
3人は、周囲からの雑音には耳も向けず、ひたすら正面のホテルのエントランスに駆けこんだ。
ホテルマンの声かけを無視し、客用エレベーターに足を向ける。
エレベーターの乗車には、カードキーの読み取りが必要だが、ラスカーはあらかじめ用意しておいたマスターキーを通した。
最速の反応を示したエレベーターが、ラスカーたちの乗車を許し、最上階に到着したのは、ラスカーが行動開始指示を出してからちょうど3分44秒が経過した時だった。
計画どおりなのは、あくまでも最上階に到着するまでの所要時間のことだ。
ここから先、連れ戻す対象となる人物が所在する部屋を突き止め、同じエレベーターを使用して脱出する時間は未知数で、また成功の可否も不明である。
ラスカーは、ロイヤルスイートルームの各部屋の『走査』を試みたが、すぐに中止した。
建物の壁材などには、粒子の透過を許さないようにするシールドが施されていた。
「パーヴェル」と、ラスカーは仲間を呼んだ。
「キミは、ギャンブルが強い。
我々が、どの部屋を目指すべきか、意見を聴きたい」
「宗 鵬と劉 梓朗、そしてまさしクンの3人は、同じ部屋にいると思う」
パーヴェルは、即答した。
ラスカーは、「ほう」と驚きを示した。
「なぜ、そう思うのかな」
パーヴェルは、静かに正面に見える部屋のドアを指さした。
そのタイミングに合わせてきたように、部屋のドアが押し開けられ、中から給仕人が両手で料理運搬用のワゴンを引きながら、外に出てきた。
ワゴンには、少なくとも3人分の汚れた食器などが載せられていた。
「なるほど」と、ラスカーはうなずいた。
給仕人がそそくさと業務用エレベーターの方へ向かっていくのを見守った後、3人は部屋のドアの前に立った。
「どう考えても、敵側に見透かされているな」
と、ヴィタリーはささやき、皮肉な笑みを見せた。
「もちろん、そうだとも」
と、ラスカーも続いた。
「敵は、我々がここに来ることは、すでに理解している。
そして……」
ラスカーは、ドアのキーセンサーにカードキーを接触させ、解錠音を確認した。
「すでに、我々が侵入していることも、承知の上だ」
勢いよくドアを引き、室内に視線を向ければ、その正面に宗の不敵な笑みが浮かび上がった。
「やあやあ、ようやく来たね。
キミたちのことは、ずっと待っていたのだよ」
宗の陽気な声が3人の手元に届き、動きを凍らせた。




