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レモンティーン  作者: 守山みかん
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水野(みずの) 佳人(よしと)は、浦崎(うらさき) 芳隆(よしたか)の背後から右肩越しに前方を(うかが)いながら、その後ろ姿を追っていた。

ここは、N市内のとあるマンションの非常用階段。

二人は、目的のフロアまで、エレベーターを使わずに、階段をのぼっていた。

目的は七階だが、浦崎は四階の踊り場で足を止め、追随する水野の方に顔を向けた。

「『計画』では、ここで待機だったな」と、浦崎は(たず)ねた。

「はい」と、水野は返事し、ふうと小さくため息を漏らした。

「時間は?」

「ここから現場まで二十七秒を見込んでいます。あと、五分十一秒あります」

水野は、腕時計を目の前にしながら、そう答えた。

「再確認しよう」と、浦崎は、踊り場より一段上の階段に腰を下ろした。

水野は、踊り場の隅の方に陣取った。

「まず、標的の名前は、新谷(しんたに) (こう)。かつて、政府が運営する『量子情報物理工学研究所』、通称『アカデミー』の研究員だった男で、二日前に研究所を退職。その後、研究機密情報を持ち出した容疑が浮上し、今回の家宅捜査が判断されるに至った」

水野は、しっかりとした動作で、首を縦に振った。

「機密情報の内容については不明だが、媒体は『ディスク』の形状を成している」

「『プラチナディスク』と呼ばれているモノです」と、水野が補足した。

「『ディスク』と呼ばれてますが、形状から、そう呼んでいるだけで、特定の情報を持つ『マジック・アイ』を保存する容器のことです」

「『ディスク』に保存されていた機密情報というのは?」と、浦崎がさらに訊ねた。

「おそらく『ル・ゼ・ジャセルの予言』に関する情報と思われます」

「何だ、その……予言とかいうのは?」

「機密情報です。ボクが知る(よし)もありません」

「だが、その……なんとかの予言の存在を知っている。私よりも、キミの方が状況を理解しているようだ」

「アカデミーで話題になりまして、ちょっと小耳に挟んだ程度ですよ」

「キミは、特別な存在だ」

浦崎は、若い水野を決して茶化すような感じではなく、真面目な顔で、そう言った。

「立場的には、私はキミの上司だが、今回の捜査は、キミの判断を尊重したいと思う」

「ボクは、浦崎さんの指示に従いますよ。それが、組織倫理です」

浦崎は、苦笑した。

「新谷 紅とは、どういう人間なのかね?」

「自己中心的で、利己主義です」と、水野は、さらりと答えた。

「そして、『覚醒』した『天然の権限者(ナチュラル・ギフター)』です」

「キミと同じか……」

「ボクには無い『才能(アプリ)』を持っています」

「例えば、どんな?」

「『予測(プレディク)』。能力値は、おそらく十秒です」

「……」

浦崎は思案し、やがて、こう繋げた。

「……そうか。キミが、秒単位で行動を設定しているのは、その『才能』への対策のためか」

「そうです」と、水野は、はっきりと返事した。

「標的の部屋まで、二十七秒。我々が到着する直前に、相手には知られる想定というわけか」

「新谷に与える時間は、十秒です」と、水野は答え、口元をキュッと引き締める。

「一つしかない非常階段を我々が抑えましたので、新谷が階下に逃げるとしたらエレベーターを使う以外に、手段はありません。ここへ上る前に、エレベーターを一階に降ろす操作をしてきましたから、待ち時間が発生し、移動手段として使用するのは避けるでしょう。

「いずれにしても、マンションの周辺は、本署部隊が包囲してますから、普通だったら、逃げ場はありません」

「我々の標的は、普通ではないのだろう」

浦崎の言葉に、水野は大きくうなずいた。

「新谷は、何らかの手段で、与えられた十秒の内に逃げおおせるでしょう。ですが、『ディスク』は残していく可能性があります。十秒では、自分がどうやって逃げるか、その判断をするだけで精一杯でしょうから」

「『ディスク』を取り戻せれば充分だ」と、浦崎は言った。

「そろそろ時間です」と、水野が腕時計を確認しながら、浦崎に耳打ちした。

「二十七秒の始まりだな」

浦崎は、愉快そうに階段をのぼり始めた。

そして、階段をのぼりきり、目的の玄関ドアの前まで来て、浦崎は、ためらいも見せず、ドアノブを回し、手前に引いた。

入室すると、短い廊下の先が室内ドアで塞がれており、電球の淡い灯りが、寸詰まりの情景をぼんやりと写し出していた。

浦崎は、さらに躊躇(ちゅうちょ)せず、短い通路を土足で(また)ぎ、奥のドアを押し開けた。

正面から湿り気を含んだ強い風が、浦崎に吹き付けてきた。

テラスへのサッシが開いたままにされ、外からの風が部屋に流れてこんでいた。

部屋の中をぐるりと見回すが、ヒトの姿は見当たらなかった。

水野も入室し、無人であることを確認すると、すぐさま開いていたサッシを(くぐ)り、テラスに出た。

「水野クン」と、浦崎の呼ぶ声が背後から聞こえるが、水野は、そちらを振り向くことができなかった。

テラスには、灰色のスーツを着た男が立っていた。

白無地のワイシャツに、軽薄なレモンイエローのネクタイを締め、野球のホームベースのような形の顔と(とが)った(あご)に、上底が下底より長い台形のサングラスをかけた男が、両腰に両手を当て、じっと水野の顔を見つめていた。

「部屋にいるキミの上司についてだが」と、男は話を切り出した。

「私が残しておいた『ディスク』を発見したようだ。今、キミの名が呼ばれたのは、そのことを伝えるためだ。

「『ディスク』には、私固有のプロテクトを仕掛けておいたのだが、キミの上司は、かなり優秀なヒトのようだ。私のPCが起動しているのに気付き、ログイン状態なら、私の『ディスク』から情報を読み取れると考え、今にも『ディスク・ドライブ』に『ディスク』を差し込もうとしている。目標達成のための行動としては、完璧だ。百点満点だよ。

「ただ、私を逮捕する目的という観点からみれば、軽率な行動だ。なぜなら、私は、キミの上司がそうするであろうことを『予測』していたからね。正確に言うと、キミの上司がそうするよう、私が仕向けたのだが」

その時、背後の部屋から、ドンという爆発音が響き、灰色の(ちり)と共に、爆風が外に吹き出てきた。

水野は、すかさず爆発が起きた方に視線を向けた。

「『ディスク』に保存してあった『マジック・アイ』を『臨界状態(クリティカル・モード)』にしておいた」

男は、話を続けた。

水野の視線が、男に戻った。

「『ディスク・ドライブ』の接触による摩擦熱と通電により引火したのが、今の状態だ。ここで、キミに選択肢が現れた。背後で起きたことに構わず、私を追うか。それとも、キミの上司を気にかけるかだ」

水野は、迷わず、爆風が起きた部屋に戻った。

「浦崎さん!」

爆発で、めちゃくちゃになった家具類などが散在する中で、壁に背を向けて、うなだれたまま、じっと動かないでいる浦崎を見つけ、そばに駆け寄った。

(ひたい)(ほお)には無数のキズが付き、黒っぽい赤色のねっとりとした血液が、ドクドクと外に流れ出ていた。

浦崎は、薄く開いた眼を水野の方に向け、小さく口を動かそうとしたが、声にならなかった。

水野は、浦崎の()き出しの首筋に右手を当て、『治癒(ヒール)』を発動させた。

キズは、(またた)く間に塞がっていったが、浦崎に活力が戻ることはなかった。

水野は、医師ではない。

キズ(ぐち)程度を塞ぐことはできても、損傷してしまった生命維持のための『中枢』となる部位の修復までは、行う力がない。


《きっと、聴こえていると思うが……》


首筋にあてがっていた手の平から、浦崎の声が心に届いた。

『権限者』ではない浦崎は、水野からのメッセージを受け取ることはできないので、一方通行の『遠隔感応(テレパス)』となる。


《私を助けようとしてくれてるキミの行動はありがたいが、それよりも、私の視覚情報を取り込むんだ》

《私の『意志』は、あと少しで途絶えてしまうだろう》

《その前に、キミに伝えたいんだ》

《私に対する治療行為なら、もう手遅れだ》

《医師でないキミに、私を治療するなど、無駄な行動だよ》

《私が観たモノを……ほんのわずかな時間ではあったが、キミが言っていた……なんとかの予言の一部を、私は観ている》

《私には、何の意味を示しているのか、さっぱりわからなかったが、キミなら、情報を生かせるだろう》

《早く、取り込め……》

《……考えるのが、ツラくなってきた……》

《……上司として……もっとキミの役に立ちたかった……》

《……でも、これで……あの子の元に……行けそうだ……》


浦崎からの声は、そこで途絶えた。

水野は、浦崎が指定した視覚情報をすでに取り込んでいた。

浦崎が命をかけて守ったのは、ほんの少しの、小さな情報だった。

「やれやれ。世話が焼ける」

テラスにいた男が、水野の背後に立っていた。

男は、水野の後ろから右肩に手を乗せ、『封印(Seal)』と唱えた。

「長期記憶に入りこんだ情報を削除するのは厄介だ。だから、キミの記憶の一部を『封印』させてもらったよ。まあ、数年間、知られなければ、我々の『計画』に支障がない程度のことだけどね」

男は、水野に伝え、さらに『火花(スパーク)』を唱えた。

水野の眼が大きく開き、浦崎の上に(かぶ)さるように倒れた。

男は、自分の首元に手を当て、レモンイエローのネクタイの締め具合を整えると、そそくさとテラスに向かった。

入れ違うように、数名の警察部隊が部屋に入ってきて、浦崎と水野のそばに集まった。

男は、すでに破ってあったテラスの非常通路を潜り、留守にしていた隣の部屋から外に出て、エレベーターを呼んだ。

待ち時間は、約八秒。

男は、微塵の焦りも見せず、静かに到着したエレベーターに乗り、三階に行くボタンを押した。

三階への到着は九秒後。

男は、すぐには外に出ず、非常階段を騒々しく上階へ駆け上がっていく二名の警察官をエレベーターから顔を半分だけ出して見守った後、すばやい動きで、その非常階段を、逆に駆け降りた。

一階のラウンジには、一名の警察官が残っていて、男に背を向けて、無線機を耳に当て、応援の要請を依頼する旨の会話に夢中になっていた。

男は、その警察官の背中を一瞥し、ラウンジを抜けずに、非常用の裏口から、外に出た。



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