トーヤと魔法学園女子寮殺人事件 事情聴取から
連れていかれた食堂は清潔な白を基調としており、キッチンと隣接している。
部屋は広めに取られており、6人掛けのテーブルが等間隔で4脚設置してあった。
窓際側に設置してあるテーブルに3人の少女と1人の妙齢の女性が座っていた。
表情は4人とも沈痛な面持ちだ。自分たちの住まいで殺人事件が発生し、しかも自分たちが容疑者として隔離されているのだから当たり前である。
食堂へ入ってきた3人に、少女たちは一斉に振り返る。
女子寮という少女の花園に背広姿の男が3人、しかもその内1人は自分たちと殆ど年の変わらない少年というのは何ともアンバランスとも言うべき光景に感じたことだろう。
「あれ、あなたはアネルさん!」
一人の少女が驚いたような顔をして声を上げ、椅子から立ち上がった。その声にアネルが顔を上げる。
「君は…。」
知り合い?と声を掛ける前にトーヤは気付いた。
声を上げたブロンドの少女。彼女は今朝アネルの部屋で彼との逢瀬を楽しんでいた少女である。
朝は特に気にもかけなかったがこんなに早く、こんな場所で再会するとは世界とは狭いものである。
そして少女はトーヤと視線がかち合うと気まずそうに目を反らした。
彼女もまたアネルに水をぶっかけて説教を怒鳴り散らしたトーヤのことを覚えていたのだろう。
「先刻ぶりですね、エステルさん。まさかこのような場所でお会いすることになるとは。」
「私も驚きました。アネルさんって警察だったんですね。」
「いえ、私は探偵です。警察の依頼で事件の調査をしています。」
「まあ…!」
少女が驚いたように口をあんぐり開けると両手で覆った。
どこか芝居掛かった動作だが、アネルは特に気にしていないようだ。
「アネル、知り合い?」
形式的にそう聞いておく。知り合いも何も…と分かり切っていることだが。
アネルから改めて少女が紹介される。
「彼女はエステル・ベルネさん。私の恋人です。」
「なんと!」
男性陣の中で唯一事情を知らないボルン警部が驚いた声を出した。
アネルに恋人と紹介されたエステルは少し頬を赤らめて小さく頷く。
「えぇ、その人エステルの彼氏なの!?」
椅子に座っている少女の内一人が驚いた声を上げた。
エステルより少し落ち着いた色のブロンドで、好奇心旺盛な目をキラキラさせている。色恋沙汰の話題が好きなタイプなのだろう。
「ええ…とても良くしてもらっているわ。」
「すっごいイケメン…ちょっとエステル!どこでこんな人と知り合ったのよ!教えなさいよ!」
ぐいぐいと話を聞き出そうとする少女に、隣に座っている妙齢の女性が厳しい視線を向けて制した。
「クリスタさん、お静かに。エステルさんも座りなさい。」
黒いシンプルなワンピースに白いエプロンを合わせた女性が厳粛な口調でそう言うと、クリスタと呼ばれた少女とエステルの二人は大人しく椅子に座り直した。
この女性が寮長なのだろう。
その女性の前、エステルの右隣りには黒髪の少女がうつむき、小さくなって座っている。
つぶらな瞳で整った顔立ちだがひどくやつれていて、怯えた表情がそのまま固まっていた。
消去法でこの少女が被害者のダイイングメッセージで残されていたキャサリンなのだということが分かる。
小刻みに震える少女の様子を見てトーヤはボルン警部か、余計なことを…と心の中で毒づいた。
キャサリンという少女の面持ちから彼女は自分が犯人と疑われていることを知っている。
つまり誰かが事件現場の情報を漏らしたのだ。
規律に忠実で真面目を絵に描いたようなアイグナー刑事ではあり得ない。
とすると消去法でボルン警部が情報漏洩をしたということに行きついた。
トーヤがそのことに突っ込む前にアネルが少女たちに向かって言葉を発した。
「まずは自己紹介をしましょう。私はアネル・アルノルト。先ほど言ったように探偵です。こちらは助手のトーヤ君。トーヤ君、挨拶を。」
「あ…はい、トーヤといいます。以後お見知りおきを。」
帽子を脱いで簡単に挨拶をするとトーヤは少女たちをぐるりと見まわした。
キャサリン以外は落ち着いた様子である。彼女たちの中ではすでにキャサリンが犯人だと決まっているのだろう。
トーヤは証言を取るためにポケットからメモ帳とペンを取り出した。
最近とある雑貨屋が大々的に売り出してヒット商品となったボールペンという筆記用具だ。従来の付けペンと違って手元にインクがいらない手軽さから瞬く間に広まった人気商品である。
「大まかなことはボルン警部から聞いています。僕たちはあなた方から証言を頂くためにこちらに伺いました。」
少女たちがトーヤに視線を移す。
彼女たちは最初にトーヤの目ではなく顔の大きな傷に視線を奪われたが、すぐにエメラルドグリーンの瞳に視線を移した。
「まず一人ずつ名前をお願いします。」
そう切り出したらまずクリスタと呼ばれた少女が口を開いた。
「クリスタ・ベッカーと言うわ。多分警察の人から話を聞いてると思うけどアリーセの死体を発見したのは私よ。」
ボルン警部から聞いていたことだった。
さらに詳しい証言を得るためにトーヤは質問した。
「昨日から、今朝にかけての状況を詳細にお願いします。」
「ええ、分かったわ。」
アネルとエステルのことで色めきだっていた時とは裏腹に、真剣な面持ちで話し始める。根は真面目な性格なのだろう。
「昨日のことなんだけど、私とアリーセとキャサリンは、アリーセの部屋で卒業旅行はどこに行こうかという相談をしていたわ。エステルはいなかったけど。」
早速新しい情報が出た。
彼女たちはおそらく全員同級生で、魔法学園の卒業を控えていたということだ。
エステルがいなかったのはアネルと一緒にいたからだろう。彼女のことはアネルに聞いた方が早いかもしれない。
その時トーヤは一瞬だけエステルの表情が曇ったことを見逃さなかった。
旅行の相談に参加できなかったことを気にかけているのかもしれない。
「それで旅行先はマリーゴールドで美味しい物でも食べましょうって話になったわ。私たち、春休みが3日しかないし、すぐに王宮に入ることが決まっていたから日帰りの小旅行って感じね。寮の消灯時間は21時だから、その15分くらい前に解散したわ。」
「それから、朝までずっと一人で?」
「ええ、まあ。」
言葉を選ぶように彼女は続けた。
「消灯時間にはベッドに入ったのだけど、少しうとうとしてから喉が渇いて一度だけ目を覚ましたわ。だけどポットに水が入ってなかったから食堂に降りて水を飲んだの。」
「それが何時頃か覚えていますか?」
「はっきり時計を見たわけじゃないけど、多分2時くらいじゃないかしら。金木犀座が西側の廊下から見えたから大体そのくらいの時間だったと思う。」
午前2時。アリーセが殺害された時間帯だ。ここはもっと詳しく聞いた方がいいだろう。
「何か見たことや気になったことはありませんか?些細なことでも構いません。」
「気になった…というほどじゃないのだけど、アリーセの部屋の前に台車があって、大きな荷物が乗っていたわ。」
「その荷物についてもう少し詳しく教えてください。」
「って言われても、もうすぐ寮を出なきゃいけないし、引っ越しの準備くらいにしか思わなかったわよ。私たちが最後の寮生だし、あんまりのんびりしてはいられないわ。それに台車に何が乗っていたかまでは分からなかった。だって暗かったもの。」
夜中の2時に引っ越しの準備、ねえ。
トーヤは不振に思いつつメモを取り、その証言を丸で囲んだ。
「そう思って特に気にはせずに部屋に戻ってすぐにベッドに入ったわ。それで目が覚めたのは6時半くらい。私たちの寮って朝食が朝7時だから急いで顔を洗って着替えて食堂に降りたの。その時食堂にいたのは寮長とキャサリンだけだったわ。
エステルは昨日外出届を出していたから寮にいないのは知ってた。残ったアリーセはきっと寝坊をしてるのだと思って私が起こしに行ったわ。
何度かノックしても中から返事が聞こえないから直接声を掛けて起こそうと思ったのだけど、ドアに鍵が掛かってて中に入れないから寮長を呼んで合鍵で開けてもらったの。
それで中に入ったらすごく散らかっててちょっとびっくりしたんだけど、部屋にアリーセがいなかったから朝のシャワーでも浴びてるのかなって思ってシャワールームのドアを開けたら…アリーセが死んでいたの。」
そこまで言ってクリスタは青ざめて目を伏せた。アリーセの悲惨な死にざまを思い出したのだろう。
まだ15歳の少女にその光景は強烈すぎたことだろう。
「それから…外に寮長を待たせていたからすぐにアリーセが死んでることを伝えて、私は食堂に戻った。それから10分くらいね。警察が来てここから動かないようにって言われて…ずっとここにいるわ。」
「最後に一つだけ。被害者のアリーセさんはどういった人物だったのでしょうか。」
「アリーセはとてもいい子だったわ。いつも明るくて、誰にでも優しくて。でもちょっとズボラだったかしら。」
「なるほど、クリスタさん、ありがとうございました。」
トーヤがクリスタに礼を言うと、改めて証言のメモを見やる。
クリスタの証言で一番重要なのはアリーセの部屋の前に置かれていた不審な荷物だろう。
被害者の死亡推定時刻に現場の前にあったのだ。
これは事件に重大な関わりがあると見て間違いは無いだろう。
「次は…。」
トーヤが女性たちに目配せすると寮長が軽く手を挙げた。
「私が証言します。」
「はい、よろしくお願いします。」
トーヤは頷いて返事を返し、メモ帳を一枚捲った。
「私の名前はグレーテ・ブラウンと申します。この寮の寮長と、そして魔法学園で歴史の教員をやっています。」
「先生と兼任でしたか。では、続けてください。」
「はい。私は寮の管理人室で就職の決まった生徒たちの名簿を整理していました。学園の仕事を寮に持ち帰ったのです。生徒たちの主な就職先はマゼンタ王宮魔法院でして、クリスタさんとキャサリンさんと…アリーセさんも王宮入りが決まっていました。」
「エステルさんは?」
トーヤの疑問にエステルが目を上げた。
それに気づいたのか気付かないのか、寮長は少しがっかりしたような面持ちで続けた。
「エステルさんは…残念ながら王宮魔法院の就職試験で落ちて、冒険者ギルドに登録したようですね。大手冒険者付きの魔法使いになれたら…危険はありますが食べることに困ることは無くなりますからね。
ギルドへの登録は私の勧めではなく、エステルさんが自分で決めたことでした。」
エステルが小さく頷いた。
魔法使いには王宮魔法院ほどのトップエリートではなくとも、貴族家付きの魔法使いや研究所に入るという道もあるだろうし、回復魔法が使えたら医療施設から引く手あまただろう。
教師としても危険な冒険者よりもそちらを推薦すると思うのだが、それらを蹴って冒険者ギルドへの登録を選んだ辺り、エステルは自由な冒険者の世界に憧れがあったのかもしれない。
「すみません、昨日のことでしたね。
私は夜19時に夕食を摂りました。食堂にはクリスタさんとキャサリンさんとアリーセさんがいたので同じテーブルで食べました。エステルさんは不在でしたがは外出届を受け取っていたので、特に気にはしてませんでした。
アリーセさんについても、その時は特に変化はなくて、いつものように明るくハキハキと話していました。会話は他愛もない雑談です。生徒たちが卒業旅行でマリーゴールドに行くと言っていたので、おすすめのレストランなどを教えていました。
夕食の後、私は午後21時まで持ち帰った仕事をし、消灯時間が過ぎると仕事を一旦やめて寮の見回りをしていました。特にここでも異常はありませんでした。
見回りを終え、シャワーを浴びた私はベッドで横になったのですが、午前2時頃でしょうか。この寮に張っている魔法結界が揺らぐ音で目を覚ましました。誰かが魔法を使ったのです。
寮内で魔法を使うことは校則違反でしたが、もう夜も遅いことと、物を動かすだけの安全な魔法だったので特に注意することもなく私は眠りにつきました。」
魔法、か。事件現場でアネルが気付いた魔法の反応がこれのことだろう。
危険な魔法ではない、か。
この発言に矛盾があればアネルが気付くだろうが、彼は特に気に留めることもなく証言に耳を傾けている。
「私が起きたのは午前6時頃ですね。花壇の花に水をやって、自分で朝食を作り…食堂に入ったのは7時前くらいでしょうか。その時食堂にいたのはキャサリンさんだけでしたね。
それからしばらくしてクリスタさんが来たのですが、アリーセさんはなかなか来ませんでした。
それでクリスタさんがアリーセさんを起こしに行くと言ったので、私は見送ったのですが、すぐにアリーセさんの部屋に鍵が掛かっていることを伝えてきたので私は寮長室にある合鍵を持ってアリーセさんの部屋の鍵を開けました。
ここから先は…クリスタさんの証言と同じです。」
「一つ確認したいのですが。」
メモを取る手を一旦止め、トーヤは寮長の目をじっと見つめた。
「アリーセさんの部屋の鍵は本人のものと合鍵の二つだけですか?」
「ええ、そうです。中から鍵を掛けていたのですから、鍵はアリーセさんが持っていたのでしょう。アリーセさんは掃除や洗濯が苦手な子でしたが、大事なものは大事なものとして保管できる子なので、鍵を無くすようなことは無いと思います。」
この点をトーヤは少し疑問に思っていた。
アリーセの遺留品から部屋の鍵が見つかっていないのだ。
アリーセを殺害する際、犯人はアリーセの部屋に入る必要がある。夜中だから当然アリーセは部屋の鍵を閉めていただろう。
犯人は一体どうやって彼女の部屋の鍵を開けて中に入り、また、どうやって外に出た後鍵を掛けたのだろうか。
「寮長さん、貴重な証言ありがとうございました。次はエステルさん、お願いできますか?」
トーヤがメモ帳のページを捲りエステルに顔を向けると彼女はこくりと頷いた。
「昨日の夕方ですね。正確な時間は忘れたのですが、寮長に一晩外出する旨を記した外出届を提出してアネルさんとの待ち合わせ場所のオールドローズ駅に向かいました。遠出する予定は無かったのですが、駅の近くにおいしいお店があるので、ここでデートをしようというアネルさんからの誘いでした。
アネルさんとはすぐ会えたのですが、レストランの予約時間まで少し時間があったので、私は寮を出た後の新居に置くための家具や雑貨を見てみたいと頼み、アネルさんも了承してくれたので家具や雑貨を見て回りました。
気になった雑貨類を数点買い終わった頃、レストランの予約時間が来たのでそちらに向かいました。その時間は大体19時頃ですね。私は若鳥のスープと舌平目のソテー、アネルさんは地鶏のステーキとマッシュポテトを食べていました。あと、アネルさんはワインを飲んでいました。」
アネルはこの証言に「間違いは無いですね。」と頷いた。
エステルの証言については一緒にいたアネルが証人となってくれるだろう。
「食後はアネルさんと二人で映画を見て、私はアネルさんの部屋で朝まで過ごしました。」
「ふむ。」
この辺りはトーヤも知っての通りで、エステルはアネルの部屋に泊まったのだ。
ずっとアネルと一緒にいた以上、彼女にはアリバイがある。
エステルの証言はアネルが補足した。
「間違いありませんね。起床した時刻も同じです。午前7時でしたね。トーヤ君に起こされましたから。その時まだエステルさんがいたのはあなたも見ていたでしょう。」
エステルは少し居心地の悪そうな表情をしたが、トーヤは頷いた。
「それで…そのままアネルさんと別れて寮に戻ったら人だかりが出来ていて警察も来ていたので…話を聞いたら殺人事件が起きたということでした。アリーセが殺されたことはこの時初めて知りました。これで私の証言は終わりです。」
「分かりました。証言ありがとうございました。」
その後はずっと食堂で拘留されていたのなら他の容疑者たちと同じだろう。
一晩外出していたことについてはアネルが証人である以上疑いようは無い。
彼女の証言についての疑問点は特に思いつかなかった。
「次は…。」
最後の参考人である黒髪の少女に目を向けると少女はびくっと肩を大きく震わせた。
トーヤの顔を恐る恐る見た彼女の表情は酷く怯え、今にも震えだしそうだった。
トーヤはその様子に一つため息をついた。
「落ち着いてください。話を聞くだけですから。」
「はい…。」
少女は目を伏せるように小さく頷いた。
「私の名前はキャサリン・ビーレムと言います。あの…探偵さん…?」
「どうかしましたか?」
突然キャサリンはがばっと立ち上がると、必死な形相でトーヤの肩を掴んだ。
「信じてください!殺したのは誓って私じゃありません!アリーセの部屋に私の名前を書いたのは犯人です!私じゃありません!」
「そりゃあキャサリンが犯人だから犯人が書いたのは違いないよね。」
冷たい口調でクリスタがぼやくとキャサリンは目をカッと見開いて、一瞬クリスタに何か言おうとしたが、何も言わずそのまま頭を抱えて椅子に座り込んだ。
「私じゃない…私じゃない…!」
酷く動揺している少女をまずは落ち着かせないと話が進まないだろう。
と、ここでアネルが立ち上がり、食堂の方へ歩いて行った。そしてすぐに戻ってくると、キャサリンの目の前にグラスに入った水を差しだした。
それから、床に膝をついて座っているキャサリンと目線を合わせる。
「キャサリンさん、私たちはあなたを犯人と決めつけているわけではありません。どうか、事件解決のために本当のことを話してください。落ち着いて、ゆっくりでいいですから。」
真剣なまなざしでアネルは石のように冷たく小刻みに震えたキャサリンの手をそっと握りしめた。
アネルの手の温かさを感じたキャサリンは少し呼吸を落ち着かせたようで、運ばれてきた水を一口だけ飲むと、静かに口を開いた。
「……取り乱してすみませんでした。私、本当に怖くて……。」
「仕方ありません。殺人事件の犯人と疑われたら私だって腰を抜かしますよ。」
「探偵さん……。」
「深呼吸をすれば少し落ち着きますよ。」
言われて息を大きく吸い込んで吐き出すキャサリンと同じようにアネルも一緒に深呼吸をした。
「すみません、少しだけ落ち着きました。もう大丈夫です…。」
潤んだ目でアネルを見やる。
どうやら少しだけアネルに心を開いてくれたようだ。
その様子を見てエステルが少し複雑そうな表情をしていたが、トーヤとしてはほっとした。
アネルが女性の扱いに手慣れているお陰で助かることは割とよくあるのだ。
「大丈夫ですか?」
トーヤがもう一度確認を取ると、キャサリンは一つ小さく頷いた。
「はい、大丈夫です。それで何を話せばいいのでしょうか。」
「昨日から今日にかけてのことをお願いします。何か変わったことがあればどんな小さなことでも構いません。教えてください。」
「はい…。」
キャサリンは少し考えるように目線を上げると、さっきまで取り乱していたとは思えないほど落ち着いた口調で話し始めた。
「私たちはもうすぐ卒業ってことはさっきクリスタが言っていましたね。
もうすぐというのは明後日なんですけど、私たちはそれまでに寮を出ないといけないので、昨日の昼間、私は部屋の片づけをしていました。私だけではないのですが…。アリーセはとにかく片づけが苦手で、もうすぐ寮を出て行かないといけないのに部屋の片づけが全然できてなかったみたいなので私も手伝っていたのです。
といっても家具は全て寮に備え付けであるものなので、持ち込んだ私物を箱に詰めて運び出すだけなのですが、アリーセは片づけ始めたと思ったら本を読んだりし始めて…。」
あるある。とトーヤは心の中で頷いた。
やらなきゃいけないことを後回しにして目の前にある別のことに手を出すのはトーヤもよくやってしまうことだった。
「それで結局何も片付かないまま夕飯の時間になってしまったんです。」
その発言にトーヤは少しピンとくるものがあった。
「アリーセさんの部屋は散らかっていた、ということですか?」
「はい、そうです。全然片付きませんでしたから。アリーセは掃除が出来ない子だったんです。」
これは重大な証言である。
アリーセの部屋はが散らかっていたのは犯人と争ったからではなくて最初からあの状態だったのかもしれないという可能性が出てきたのだ。
「それで…夕飯はエステル以外の4人で食べました。クリスタと寮長が言った通りです。その後私とクリスタはアリーセの部屋に行って旅行の相談とかをしていました。その間も片づけようよって声を掛けたのだけど、アリーセは話題を変えて掃除を後回しにしようとしていましたね。
そんな話をしていると消灯時間が来たので私は二人と別れて自分の部屋に戻りました。それから着替えて寝ていたのですが……その、夜中にお手洗いに行きたくなって部屋を出たのです。」
「それは何時頃でしょうか?」
「多分、夜中の2時前くらいだったと思います。それで……。」
ここまで話してキャサリンは言葉を濁した。
「何かあったのですか?」
「えっと…その……分かりました。本当のことを言います。」
覚悟を決めたようにキャサリンは言葉を紡いだ。
「お手洗いの帰り、アリーセの部屋のドアが開いていることに気付いたのです。それで…中に入りました。」
「え!現場に入ったんですか!?」
トーヤは思わず声を上げてしまった。
キャサリンは一瞬びくりと肩を震わせ、どぎまぎとした表情でトーヤを見やる。
また取り乱していた時のように顔が真っ青になっていたが、それに気づいたアネルが彼女の肩に手を置いた。
「探偵さん…。」
「キャサリンさん、心配しないでください。トーヤ君、声が大きいです。キャサリンさんが驚いてしまったでしょう。」
「あ、ああ、ごめんなさい。」
トーヤはぺこりと頭を下げて軽く咳払いをした。
キャサリンはアリーセの死亡推定時刻に近い時間帯に現場へ足を踏み入れた。
この新しい証言の内容によっては事件が大きくひっくり返る。
何としてでも詳細を聞き出さなくてはならない。
「そ、その時、部屋の中はどういう状況だったのでしょうか。」
「……部屋は散らかっていました。それで見かねた私は……その、寮内で魔法を使うのは禁止されていたのだけど、暗くてよく見えないし、魔法を使って少しだけ片づけたのです。」
何ということだ。
現場にあった家具や調度品は魔法を掛けられた形跡があったとアネルが言っていたが、それはアリーセが殺害された時に抵抗したわけではなく、キャサリンが片づけのために魔法を使ったということが発覚したのだ。
いや、しかし魔法で片づけた?現場の状況はとても片づけた後のようには見えない。
あの惨状よりもっと酷い散らかり方だったのだろうか。
「アリーセさんは寝ていたのでしょうか?」
「アリーセは…部屋にはいませんでした。」
「ええ!?」
再びトーヤは声を上げてひっくり返りそうになってしまった。
何という爆弾発言の連発。
はっとしたトーヤはポケットからハンカチを取り出すと額に滲んだ汗をぬぐった。キャサリンも大声に驚いて身を反らしていた。
「ちょっと待ってください、被害者が現場にいなかったんですか!?あの、シャワールームはどうなっていたのですか?灯りがついていたりは…!?」
「いえ、暗かったです。でもアリーセもお手洗いにでも行ったのだろうと思って私は特に気にしてはいませんでした…!」
つまり被害者が殺された時間帯、被害者は現場にいなかったのである。
キャサリンの証言が本当なら、アリーセは発見現場とは全く別の場所で殺されて、部屋、ひいてはシャワールームに運び込まれたということなのだ。
となると露骨に怪しいものが一つある。
それはクリスタが証言したアリーセの部屋に置いてあった荷物だ。
アリーセは別の場所で殺されて部屋に運ばれたのならこの荷物の中に隠されたとするのが自然だ。
「キャサリンさん、あなたがアリーセさんの部屋を訪れた時、部屋の外に大きな荷物はありましたか?」
「いえ、私が行った時はありませんでした。」
大きな荷物でアリーセの死体が運び込まれたのなら、キャサリンが来た時はまだアリーセは生きていたということだろうか。
アリーセは部屋にいなかったという話だが、彼女は一体どういう理由でどこに行っていたのか。
「そうですか…話の続きをお願いします。」
「アリーセの部屋を出た私はそのまま自分の部屋に戻り、朝まで寝ていました。起きたのは7時前くらいで、着替えて朝ごはんを食べるために食堂に行きました。それから寮長とクリスタと私の3人でごはんを食べました。その内アリーセが起きてこないという話になって、クリスタが彼女の部屋に呼びに行ったのですが、部屋が開かないと言って戻ってきたので、今度は合鍵を持っている寮長と二人で呼びに行きました。
……それで、アリーセの死体が発見されたそうで、しばらくして警察が来て、私はその時からずっと食堂にいます。」
「分かりました。キャサリンさん、ありがとうございました。」
トーヤが手帳を閉じた時、黙って証言を聞いていたエステルが口を開いた。
「あの、どう考えてもキャサリンが怪しいような気がします。キャサリン、現場に入りましたし、その、残されていたのでしょう?ダイイングメッセージが。」
「ひっ!」
キャサリンがその言葉に肩を大きく震わせた。
ダイイングメッセージ…外部からその言葉を聞いてトーヤは今まで感じていた違和感の正体を掴んだ。
「いえ、あのダイイングメッセージは偽物です。」
「ええ!?どういうことですか!?」
エステルだけではなくその場にいる全員が食い入るようにトーヤを見た。アリーセが残した「Cathrin」という血文字。これが偽物と言える根拠は…。
「死体発見現場の写真を見せるわけにはいかないけど、クリスタさん!」
「え、あたし!?」
「あなたは確かにアリーセさんが死んでいるシャワールームを見たと言ってましたよね?その時血文字は見ましたか?」
「ええ、はっきりとキャサリンの名前が書かれてたわ。すぐに分かったもの。」
「そう、すぐに分かる、これがおかしかったんですよ。」
トーヤは両手をテーブルについて、きっぱりと言い切った。
「トーヤ君、何か分かったのですかな?」
ここにきて殆ど言葉を発しなかったボルン警部が身を乗り出してきた。
ボルン警部もしっかりとあの血文字を見ていた。おそらく写真も撮っていただろう。
「ええ。現場に残されたダイイングメッセージは真正面から見て真っすぐキャサリンさんの名前が書かれていた。
でもこれっておかしいですよ。キャサリンさんは壁にもたれかかるようにして死んでいて、その手元に血文字が残っていたんです。普通、その体勢で背中側にある壁に文字を書こうとした場合、上下が反転するはずです。だけど実際に残された文字はそのままの形で書かれていた。
これってつまり、犯人がアリーセさんを殺した後で彼女の血を使って書いたってことになります。
キャサリンさんが犯人だったらそんなことしないはずだ!」
「トーヤさん…!」
自分の身の潔白を証明してくれたトーヤに対し、キャサリンは目に涙を浮かべた。
そして今までの緊張の糸が切れたのだろう、その場で崩れて大粒の涙をぼろぼろと零した。
「トーヤさん…アネルさん…私、私…本当に怖かったよぉお!ありがとうございますうぅ…!」
そして、ついに声を上げて泣き出してしまった。
「密室トリックも改めて考えたら簡単なことでした。
犯人は別の場所にアリーセさんを呼び出し、殺害した。その時彼女が持っている鍵を奪えば簡単に入ることが出来るし、死体を運んだ後外から鍵を閉めることができる。アリーセさんの鍵が見つかっていないのも、犯人が捨ててしまったと考えたら辻褄が合いますね。
クリスタさんが見たという大きな荷物、あの中にアリーセさんの死体が入ってたんじゃないかな。別の場所で殺害して、荷物に隠して死体を運び込んだ。
犯人は部屋に死体を運び込み、部屋の中で争った形跡を偽装するためにキャサリンさんが片づけた部屋を改めて汚したんです。
だけど…だけど……!」
「だけど?」
「問題は誰がそれをやったのか確信が持てないんだ……。」
トーヤのその言葉でこの場にいる全員ががくっと脱力した。