トーヤと魔法学園女子寮殺人事件 現場の捜査
トーヤは混み上がってくる胃の内容物と共にごくりと息をのんだ。
殺人事件には何度も関わってきているが、いつまで経っても死体を見るのには慣れない。
アネルも同様で、彼は目を伏せて胸元で十字を切って哀れな少女に祈りを捧げていた。
「死因は撲殺と言っていたね。凶器になるような物は見つかってないかな?」
気を取り直してトーヤが聞くと、ボルン警部ではなくアイグナー刑事が身を乗り出してびしっと背筋を伸ばした。
「凶器は寮の用具室から持ち出された大型の金属製レンチと思われます!おそらく犯行後に現場に捨てられていたものをそのままの状態で保存しております!」
「ふむふむ、これか。」
それはすぐに見つかった。壁にもたれかかるように死んでいる少女のすぐ脇に転がっていたからだ。
レンチは血濡れで、亜麻色の髪が絡まっていた。間違いなくこれが凶器だろう。
トーヤがしゃがみこんでその凶器のレンチを手に取っ手眺めていると、横に立っているアネルが顎に手を当ててぽつりと零した。
「それにしてもこの子はどうしてシャワールームで死んでいるんでしょうね。シャワー中に襲われたのなら裸で死んでいるはずです。なのにパジャマを着ている。」
「それも気になるんだけど、アネル、これをちょっと見てみてよ。」
死体に向かって目を向けたトーヤは少女がだらりと垂らしている右腕の手先を指さした。
「これは…。」
アリーセの右手の指先が血に塗れ、壁にその血で「Cathrin」と、そのまま真っすぐ書かれていた。
「ダイイングメッセージというやつですかね、これは。」
「だろうね、ちょっと引っかかるけど…ボルン警部、キャサリンという名前の人物に心当たりは?」
「容疑者の一人ですじゃ。キャサリン・ビーレム、15歳。この寮で暮らしていた被害者…アリーセさんの同級生ですな。他の容疑者と共に食堂で待機させていますぞ。」
それに対し、アネルが言う。
「意外ですねボルン警部。あなたなら真っ先にそのキャサリン嬢を逮捕しそうなものですが。」
「我々を見くびってもらっては困りますなアネル殿。トーヤ君に「僕が現場に到着するまで誰も逮捕するな」と言われておるのでな。ほっほっほ。」
「そういうことでしたか、納得しました。」
この無能な警部に任せていたら何人誤認逮捕するか分からない。
それを知っているトーヤがあらかじめ言っていたことを律儀に守っていたようだった。
ダイイングメッセージに残されているキャサリンという人物が現状露骨に怪しいが、それについては後で容疑者全員に話を聞くとして、他に現場で調べなくてはならないことはあるだろうか。
しかしシャワールームには他に目立った物が無いため、トーヤはシャワールームから出た。アネルもそれに続く。
現場はここだけではない、この部屋全体である。
部屋は荒れており、アリーセの抵抗ぶりが伺える。テーブルはひっくり返り、椅子は倒れ、本棚の本が何冊も床に落ちて散らばっていた。
その乱雑な部屋を、トーヤはゆっくりと観察する。
シャワールームには死体とダイイングメッセージ、そして凶器のレンチ。目立った物はこれだけだった。
だが、何だろうかこの違和感は。あるべき物がそこには無かった。
目立った物が無い、それ自体がおかしいことだった。
ふと思い至り、もう一度シャワールームを見た。床には被害者の頭から血が流れ落ち、血だまりが出来ているが…。
そう、このシャワールームには血痕が床にしか無いのだ。
頭を鈍器で殴られて死んでいるのだから、血が壁やドアにも飛び散っていなければ不自然なのに、壁にもドアにもそれが無かったのである。
犯人が血を拭き取った?いや、それは無いだろう。
現場を綺麗に掃除するのなら死体そのものをどうにかするはずだ。死体からも血が流れ続けていたのだから。
つまりどういうことかというと、アリーセはシャワールームではなく、別の場所で殺されてここに運ばれてきたのだ。
彼女がシャワールームでパジャマを着ていたことからもそれを伺うことが出来る。
今ある情報から推理した限り、本当の殺害現場はシャワールームの外、ベッドルームである。この散らかり具合からおそらくそうだろう。
しかしそうなるとダイイングメッセージはどう説明づける?
運ばれた後でアリーセが息を吹き返し、最後の力を振り絞って犯人の名前、「Cathrin」と壁に血文字を書いたのだろうか?
いや、死体について考えるのは後にしよう。部屋全体を調べ、その後でまとめて考えよう。
部屋をもう一度ざっと見渡す。何度見ても異常な散らかり具合だ。
そう、犯人に激しく抵抗しただけとは説明がつかない不自然なほどに。
これまでの情報から単純に考えるとアリーセはこちらのベッドルームで殺され、何らかの理由でシャワールームに運ばれたことになる。
だがどう説明すればいいだろう、この違和感は。
「トーヤ君、考え込んでるところ悪いけどがちょっといいですか?」
部屋を見回しているトーヤにアネルが耳打ちした。
「どしたの?何か分かったの?」
「ええ。この部屋、魔法を使った形跡があります。この部屋に散らばった本や調度品に魔力を込められた跡があるんですよ。」
「ああ、そういえばここは魔法学園だった。生徒も教師も全員魔法使い、事件に魔法が絡んでいてもおかしくないね。」
珍しくアネルが仕事をした。
この男は推理はからっきしだが、魔法を扱うことが出来るのである。
彼は王室付きの魔法使いとして国王に仕えていたことがあるほどの使い手だ。魔法に関して彼の言うことは信用できるだろう。
「てことはこの部屋の残骸は、被害者が抵抗するために魔法を使ったんだろうか。」
「いいえ、それは無いでしょう。アリーセさんの体から魔力の残り香は感じられませんでした。つまり彼女は魔法を使って抵抗したわけではない。」
「そうなると犯人が魔法を使って彼女に襲いかかったのかな。
でもそれじゃあおかしいよね。凶器は金属製レンチだ。彼女はレンチで殴り殺されていた。魔法で殺せるのならわざわざそんなもの使わないよね?
それに、仮にアリーセさんがシャワールームではなくベッドルームの方で襲われて殺されたのだとしたら、犯人はどうして彼女の死体をわざわざシャワールームに運び込んだのだろう。
そのせいでシャワールームの壁にダイイングメッセージが残されてしまったわけだし。」
「どういうことですか?」
「ベッドルームの床はカーペット敷きだから床に血文字を残すことは難しいし、こう派手に物が散らかっていたら避けて壁に向かって血文字を書くのも瀕死の被害者には無理だろう。
でも何でだろうか。そのことそのものがとても不自然に感じる。
いや、それを決めるのはまだ早いかな。現場がこの一室と考えるのはやめよう。寮全体を見るべきだ。どこかに証拠品や遺留品が隠されてるかもしれないし。」
「そうですね。私には何がなんだかさっぱりですけど、トーヤ君がそう言うのならそれに従いましょう。」
たまには現場で自主性を持てよ、あんたも探偵だろ…とトーヤは突っ込みそうになったが黙ってそれを飲み込んだ。
それから部屋の前でぼーっと突っ立ってるこれまた推理に全く参加しない警察組二人に声を掛ける。
「この寮にはゴミ捨て場とかは無いかな?犯人が証拠品を捨ててるかもしれない。」
それに対してはアイグナー刑事がびしっと背筋を伸ばして答えた。
「それでしたら寮の裏手に焼却炉があります!夜中に火が入れられて稼働していたでようであります!」
「それじゃあアイグナー刑事は焼却炉を調べておいてほしい。証拠品になるような物が残ってるかもしれないから。」
「お二人は調べないのでありますか!?」
「僕たちは容疑者に会ってくるよ。随分待たせてるからね。」
「了解したであります!」
トーヤから指示を受けたアイグナー刑事はびしりと敬礼して廊下を駆けて行った。
犯人が焼却炉を使ったのだとすれば証拠隠滅が目的だ。
つまり決定的な証拠はもう灰になっている可能性が高い。だが万が一ということもある。
アイグナー刑事が何も見つけることが出来なければ自分が改めて調べればいいことである。
それに焼却炉に誰かがいたら、犯人は新たに証拠隠滅のために炉を使うことが出来なくなる。
これもトーヤの狙いの一つだった。
アイグナー刑事は犯人特定という面で見たら無能だが、物分かりがよく実直な性格で、その点はとても信頼の置ける人物であった。
「ボルン警部、重要参考人たちから話を聞きたい。」
走っていくアイグナー刑事を見送っていたボルン警部がこちらを見やり、頷いた。
「分かりました。ついてきなされ。食堂で待たせておりますぞ。」
トーヤとアネルはボルン警部に連れられて寮一階にある共同食堂に向かうことにした。