2時
冷たいコーラ。カランと、水滴が白くグラスを濁らせる氷が回る濃い香りのアイスコーヒーも目が覚めて悪くは無いが、コーラが飲みたかった。
ペットボトルの蓋を回そうとする手が滑る。この蓋が開けば、中身を飲む事が出来る。瓶のコーラよりも遥かに何故か生ぬるいペットポトルのそれは、私の手の熱のせいだろうか。早く早くと喉がうなる。何処よりも知っているはずのその場所で、空腹を満たす為に入る店も無く、駅の片隅でコーラの蓋を空ける為汗ばむ手の平をシャツで拭う。ホームの上線路を隔て、今公開中の映画のポスターが並んでいる。いつか出会った映画好きの少年が懸命に生きていたのを思い出す。時に優しく時に凄まじく残酷。強気な姿勢はふと突然に俺はバカだと弱気を見せる。私は笑った。全部含めて好きな事を、言ってやれる内に伝えておけば良かった。そんな事が頭を過った。例えば、あの時昼食で出た蟹尽くし弁当は、なぜ人にあげてしまったのだろう、食べておけば良かった。どうしてここに僕が来たか分かる?と聞かれ、分からない振りをしたのはなぜだろう。何度も訪れた気がするチャンス全部を、見送って来たのはには理由があるのだろうか。握りあっていた手を相手が解こうとした時掴み返さなかったのは、私も同じだったからだろう。成長するのを待っていたのでは、おばあちゃんになってしまう。そう思うようになったのは。私の頭の中で浮かんでは消える、繋がりの無いつまらない疑問。左手が痺れている。左肩から左足の先に痛みが走る。コーラの蓋が開かないのはそのせいだ。もう私にはあまり時間が無い。額に流れる汗は、夏の名残の太陽のせいだけでは無い。
言いたい事は何も無い。そこに立っている事が全てだ。ギリギリラインの上で次に向かう場所の事を考える。
私は外を眺めていた。
ガラスの仕切りを隔て向こう側にあるその庭は、物心付いたその頃から見慣れた景色であり、幾本かの果樹が配置良く並んでいる。今は季節的に枝を飾るのは青葉のみであるが、時期が来ればそこにやがて花が付き、後ずっしりとした実が撓らせるであろう。毎年それが繰り返される。
住宅街を走るパトカーの音も通さない部屋の一面、目を凝らせば映るガラス塀の向こうに、斜めに入る日差しが色を帯びつつあるのが分かる。それは秋の訪れを私に告げて来る。毎年。もう夏も終わりか。
私の事を馬鹿だと思っている人間がこの家にはウロウロしている。この家を維持し、人を雇い、稼がせてやったのは、私であるが、おそらくその自負が自身に薄いのか、半馬鹿を気取るのも悪くない。疲れる反抗は生むものが無い。それでもやはり時として馬鹿めと思う気持ちが湧くのは、やはり。
トントンと、誰かがドアを鳴らした。
「お客様ですが、お約束とかで。お通ししてもよろしいでしょうか?」
時計の針が2時を指し、その女性が私の部屋に飛び込んできた。夏の7丈の袖の胸元まで開いた白シャツに、さっきまで風にさらされていたかに髪の先が四方に揺れていた。秋の風を纏い、風のかんたろうの様に、吹かれてやって来た。都会の喧騒を体のあちこちに張り付けたような、それでいて野生の豹が今忽然と舞い込んで来たかのような、面白い感覚を私に与えた。パッとそこだけ部屋の色調が変わる。新鮮であった。
秋風に吹かれやって来た彼女に、
「外はすっかり秋ですね。」と、我知らず馬鹿な挨拶が出た。
女性はふと笑ったかのように見えた。
「秋?暑くてしょうがないですよ。」