第六章 優介の末路
読者諸君の中には、この事件についてまだ整理がついていない方もいるだろうと思う。大体の犯行は説明したが、私の拙筆のせいでいまいち事件の理解が追いつかない方もいるだろうと思う。それだけでなく、まだこの事件には、より明確に語らねばならぬこともある。
そこで児島優介の末路を通し、明らかにできなかったところを明らかにしていきたいと思う。
児島優介が大麻を使い始めたのは、二十九歳の頃だった。彼は私立大学を卒業し、同大学大学院の博士課程を得て大学に籍を置くことになった。そのときはまだ二十六歳だった。ちなみに彼が専攻していたのは、言語学だった。
その関係で二十九歳のとき、アメリカの未開地で音韻に関する取材を行い、それからアメリカのある工科大学で人工言語の研修を受けた。学際的な研究を行っていたのだ。彼には夢があった。人工言語の開発を成し遂げ、世界中の共通言語を公用語として浸透させるという夢が。
だが、彼は研究を通じてできた友人により、大麻を覚えたのだ。
一方で夏帆は、高校時代から引きこもる生活を送るようになった。理由は、誰にも分らなかった。進学校に通い、成績も優秀、部活は美術部で楽しくやっていたのに、突然、学校に行きたがらなくなったのだ。夏帆の両親はスクールカウンセラーに話をすると、カウンセラーは、「理由のない不登校というものもあるんです。心のエネルギーが切れてしまったんですよ。学校に行きたがらないのであれば、決して無理に行くように押し付けてはいけません。待つしかないんです」と答えられた。
そして夏帆の母親に何故か未来予知の才能があることは読者諸君にも示したと思うが、彼女は夏帆に言いたい予言があると夫である父親に持ちかけた。夏帆は今デリケートになっている、余計なことは言ってはいけないと父親は言ったが、母親は使命感に駆られ、夏帆にこういった。
「なっちゃんはいつか好きな人ができる。だけどその人は殺されてしまう。なっちゃんは、その復讐で大勢の人間を殺すのよ。だから、絶対に三〇歳になるまで恋愛はしてはダメよ」
夏帆はその意味を理解できないまま、反抗期に入り、通信教育で勉強し、受験会場まで全力で力を振り絞って出かけ、試験を受けて合格し、大学に通学するという建前を利用して一人暮らしの準備を整えた。そのときは父親と大ゲンカをしたが、夏帆は意地でも、一人になりたくて、家を出ていった。
そして二人は出会ってしまった。夏帆は大学になっても引きこもりで、行動範囲はせいぜいコンビニか、アパート付近の自販機ぐらいだった。深夜、自販機で缶コーヒーを飲むのが唯一の楽しみだった。
そこへ優介が現れた。彼は夏帆と同じアパートに、妹の児島華凛と住んでいた。最初、優介が来ると夏帆は急いでその場を去った。だが優介は、夏帆のことをよく知らず、ただ、綺麗な人だなと、ちょっと一目惚れをしてしまった。それで彼は深夜の時間を狙って、自販機に行くようになった。夏帆は最初は迷惑だと思って、次第に姿を現さなくなった。しかし優介はそれを見通して、夏帆の部屋に、缶ビールとコーラを買って、彼女の部屋の呼び鈴を鳴らした。
「……誰ですか」
「あ、すいません。君、いつも自販機に来てるでしょ、最近なんで来なくなったのかなって」
夏帆はドアをちょっと開けていたが、閉めた。だがすかさず優介はドアを開けて、夏帆と初めて正面から相対した。
すると、夏帆も、ちょっとこの人、いいかもなと、思ってしまったのだ。
ルックスに惚れたと言えばそうなるかもしれないけれど、それ以上に、飾り気のない、爽やかな感じが、いいなと思ったのだった。
夏帆は優介を中に入れ、缶ビールとコーラ片手に、雑談をした。
「そうですか、お互い、ろくな親を持ちませんね」
「私の方がましだわ。あなた、すごく偉いと思う。妹さんのために働いて。警察になろうとは思わなかったの?」
「いや、僕は警察には興味がないし、キャリア組になろうと思ったら、東大に入らなくちゃ。そこまで勉強はできなかったんですよ。夏帆さんも、辛いでしょうね。誰も理解してくれない、孤独で。辛かったでしょう」
「うん……ありがとう。ただ、いきなりお酒持って押しかけてくるのはやめてほしいな」
あはは、と優介は笑った。このとき夏帆はまだ未成年だったので、優介はコーラを買ったのであった。
それから自販機で毎晩二人は会い、いつしか恋人になっていた。その過程で、夏帆は引きこもりを克服できるようになり、デートに行った。優介はアングラな映画を好み、ついていけない夏帆ではあったが、それでも、心は通っていたので、交際は順調だった。
優介はアメリカ留学中に覚えた大麻の快楽が忘れられなかった。だが一年目の頃はまだ我慢はできた。しかし来年、三〇歳になって夏季休暇を利用し、またアメリカに旅行しに行き、現地で大麻を教えてくれた友達と、マリファナパーティーを楽しんだ。もう優介は、その時点で人として失ってはいけないものを失ってしまった。夏帆とだけ交わしていた体を、他の女性と薬漬けになり、なんのためらいもなく、預け、オーガズムに達していた。妹の華凛のことも、忘れていたのだ。
彼は朝焼けの写真を日本時間の五時にメールで送ることで、自分は日本にいるのだということを夏帆に伝える工作を、この時からすでに行っていた。というのも、今年も研修に行くと嘘をついたのが、大学の窓口に夏帆が押しかけて尋ねたことがきっかけでバレ、日本にいるよう強く迫ったからだった。
とはいえ日本に帰るたびに、罪悪感で死にたくなる。そこで今度は日本のブローカーを捜した。夜の繁華街をふらっと歩いたら、すぐに見つかり、金をつぎ込み、借金を重ねた。ついにはシンナー、コカイン、ヘロインなどの違法薬物に、手を染めて行ったのだ。
そしてある夜、薬でふらついて夜の公園に佇んでいるときのこと。ワンピースを着た女性が現れた。
「……ヤクやって何ヶ月?」
ベンチに座っていた優介の隣に、座って来た。優介は立ち退こうとしたが、
「あんたが欲しいものは何?」
「……金だ」
吐き捨てるように歩いて行くと、女性は彼に飛びつき、唇を奪った。
いきなりのことだったので、優介は腰を抜かした。
「私とセックスしたら、当面の金の工面はしてあげる」
「……ほ、本当か?」
女性はその場でワンピースを脱ぎ、ランジェリー一枚になってこう言った。
「私はユニ。空気を食べる女」
この日を境に、優介は二重交際をするようになった。とはいえ、ユニとは一ヶ月に数度会うくらいだった。会うたびにセックスをし、十万単位の金を受け取る。おかげで借金は返済できた。
一方の夏帆からも、いつしか優介は適当な理由をつけて、金をせびるようになった。夏帆はこのとき、母親の予言を思いだして、優介に対し不安に似たものを抱くようになったが、自分を外の世界に連れ出してくれた彼に抱いている恋愛感情は強固なものだった。
そんなある日、優介に知恵の輪をプレゼントされた。そしてそのまま映画館に連れて行かれた。長くて覚えにくい題名の映画のなかで、一緒に映画の役者がやるように知恵の輪を解く、そんな奇妙で退屈な時間さえ、夏帆にとっては幸せだった。
だが、薬物使用三年目を迎え、全てが破たんする。
ユニの資金のパイプがあるのをいいことに、一発逆転してやろうと、ラスベガスに行く。
ところが大敗して、ユニに泣きつくと、こんな言葉を返された。
「ごめんよ。お金はやれない。あなたに資金を援助しなければ、こんなことにはならなかったんだよね。ごめん。方法は考えておくけど」
「方法ってなんなんだ、頼む、助けてくれ! なんでもするから!」
ユニはそこで電話を切った。
優介は友人に金の工面を迫った。友人は金をせびる彼を見るなり、
「俺の視界に入んじゃねえ! 金なら狂言誘拐でもして作れ!」
と言って、優介に蹴りをくらわし、去って行った。
優介はいよいよ自殺を考え、最上階から飛び下りようと、マンションの屋上に向かい、らせん階段を上って行った。だが、そこで足を踏み外し、転がりおちてしまう。
優介は複雑骨折で病院に運ばれた。彼は英語でユニに電話させてくれと頼んだ。するとユニは、
「君は私と夏帆、どちらを愛してる?」
「君だ、ユニ、僕は君を愛してる!」
すぐさま優介は答えた。ユニはふっと笑い。
「本当に落ちぶれたね。私はあなたに最初から恋愛感情なんてなかったんだけどな。でも、あなたを救う義務はある。あなたはなんでもすると言った。それから夏帆より私を愛していると言った。できることはひとつだよ。夏帆に冤罪をかけ、あなたは自殺し、損害賠償を勝ち取って妹さんの医療費に当てなさい。その手伝いなら私はいくらでもやる」
「そんな……あんまりだ……僕はまだ死にたく……あっ……」
自分の置かれている状況を、ようやく彼は察したのだ。
「もう僕は大学を追い出されるだろう、手足も使えず、研究もできない。そうだ、僕は死ぬしかない。華凛を救うことが第一だ」
「……そう。よく決断したね。嬉しいよ。じゃあ、私の言う通りに犯行を行う、いいね」
ここからの犯行はさすがに推理編でやったので、説明はざっくばらんにする。理解できている読者諸君は、読み飛ばしてもらって構わない。
ユニは狂言誘拐殺人を提示した。彼女は廃工場を犯行場所に選び、写真を撮り、ボイスチェンジャーで夏帆に脅迫電話をかけた。身代金の金額は、おおよそ支払い不可能だろうと思われる、一億五千万円を提示した。そして優介に、友人の結婚式があるから日本の医者に迎えに来てもらうように言えと言った。その費用は、自分が半額は工面するからと伝えて。そして優介はチャーター機で日本に帰国。そのとき解体した両腕両脚も持って帰るように意思表示し、ユニと合流。彼女はクレーン車を使って自殺装置を作り、持って帰った優介の両手両足を並べ、義足をつけた状態でナイフでロープを切らせ、包丁で自殺させた。ユニは最後の仕事として、義手義足をのこぎりで解体し、どこかへと持ち去った。そして夏帆が現場に来るまで待ち、来たら写真を撮り、以前の写真と一緒に破ってカムフラージュ、そしてそれを警視総監に提出した。
警視総監である児島照彦と、ユニは面会した。
「どうしますか。あなたの馬鹿息子が、取り返しのつかないことをしましたよ」
「貴様……こうなる前に何故警察に相談しなかった……? 彼を麻薬取締法で逮捕して、精神病院に預けて真人間にできたというのに!」
「あなただったらそうしますか?」
「そりゃするさ」
「そんな嘘を今更私についてどうするんです? 彼との交際中、私、彼があなたに電話しているの、見てましたよ。父さん助けてくれ、って」
「ちっ……いたのか……」
「軽蔑しますね、あなたの教育方針は」
「お前は誰の肩を持っているんだ」
ユニは肩をすくめて、
「私は私の周りにいるなかで最も人間性の高いと思われる人間の肩を持つんでね」
「私の人間性はあの馬鹿息子以下というわけか……ふざけやがって」
「まあそうおっしゃらず、この証拠をなんとかしてください。私は知りません」
そう言って、バラバラにした写真を渡し、
「私はこれで帰ります。あ、その写真、燃やしたり廃棄したりしないでくださいね。その写真のコピーは私の手許にあるので、そういうことをされた日には、マスコミに事件全貌を話すというオマケ付きで渡しますので」
「わかった、わかったからそれだけはやめてくれ」
ユニは薄ら笑いを浮かべ、去って行った……。
一方の夏帆は、愛する人を失うばかりか、冤罪までかけられ、多額の損害賠償を児島家に請求され、絶望していたが、いつしか復讐の念を抱きながら、女子刑務所で刑期を服し、母親のところへ行った。
すると母親は泣きじゃくりながら夏帆を抱きしめた。夏帆も泣いていた。母親はこういった。
「いいかい、ユニ、という女の名前を、よく覚えておくんだよ。そいつが、なっちゃんに罪を着せた張本人なんだからね。私の言う通りに動いて、A・ゲームという制裁ゲームでユニを追い詰めるのよ」
「お母さん……ユニは死ぬのかな……?」
「予言ではA・ゲームでは死なないわ。だけどその後にP・ゲームを開きなさい。そこでユニがどうなるかは、私にはわからないわ」
母親は、この二つのゲームの準備のためにとって置いた八億円を夏帆に渡した。彼女は母親の言う通り、ゲームを行い、そして絞首台に立つことになったというわけだ……。




