第三章 現場検証
捜査四日目
現職FBIであるOBの名はケイトと言った。ケイトはアメリカからの留学生だった。FBIになるのが少年時代からの憧れで、中高生に警察教育を行うエーテル学院に興味を持ち留学したのだった。そして抜群の成績で風紀委員会委員長を務めた。流暢な日本語をしゃべり、委員会のメンバーは彼を頼りにしていた。
だがFBIは一口にテロやスパイ活動、強盗事件など重大犯罪しか扱わない。それでも、協力してくれると快諾を得た。
この日も彼らは、『エーテル学院生出張所』に入り浸っていた。
彼らは、ある壁を前にして立ち往生している。
児島優介はどこで四肢をバラバラにされたのか。
日本か。あるいはシカゴか。
「四肢をバラバラにしたのがシカゴだとすれば、四肢を解体する仕事、傷口を縫合する仕事、四肢を運ぶ仕事のすべてが闇ルートで行われなくてはおかしい。この仮説が正しければケイトさんに駒を進めてもらうだけだ。では日本での犯行はどうか。現場に行かないと分らない。ところが捜査は終了したため、血痕は拭い去られ、状況の再現は難しい、が、現場に落ちていた第三者の毛髪の物証があるため、この線を消すことはできないね」
諸人はコーヒーに口をつけ、自分なりの意見を述べた。
「その意見は納得できますが、肝心の、何故バラバラにしたかという理由が欠けています」
浩の主張に諸人は頭を掻きむしった。
「私の推測ですが」
麻衣子が口を開く。
「バラバラにした理由は、優介さんが自殺をしたという線を消すためではないでしょうか」
「えっ……自殺?」
「そうです。ここまで捜査すると、だんだん憶測がはっきりしてくるものなので、そろそろ容疑者を確定しようと思いまして。」
「僕も、麻衣子委員長と同じです。これは狂言自殺の線ではないかと、ずっと疑っていました」
祥平はコーヒーを飲み干して、
「せやけど、犯行の全容を明らかにせんとな。自殺は非常に高い可能性やけど、共犯者も必ずおる。いや、共犯者がおらんとこの犯行は不可能や」
「ユニさんは、犯罪に手を貸したと言ってましたね、祥平さん」
「ユニとはどなたですか?」
浩が尋ねる。
「謎の多い女性だよ。国籍不明の」
「待ってください、急いで彼女のDNAを調べます」
浩はささっとパソコンを取り出し、検索をかけた。
「そうか。警察は四肢がバラバラになっているから、優介さんがロープを掻っ切って自殺したわけがないと考え、ナイフを持っていた夏帆さんに嫌疑をかけたんだ。だけど、四肢が日本でバラバラにされたとすると、シカゴに行ったのはなんのためだったんだろう」
「それに、日本だとしたらどこでバラバラにしたんかっちゅうことやな。現場の線が強いんやけど、どうなんや、そこんとこ、麻衣子はん」
「斧やチェーンソーなどで四肢を解体すれば血は飛散するでしょう。ですが、現場にはそのような血痕がないので、恐らく別の場所で解体されたのではないかという見解が記録に残っています」
麻衣子がそう言うと、浩が突然強い口調で、
「ありました。確かに彼女のDNAは、工場に落ちていた毛髪と一致します」
「ご苦労やったな。ほな、現場にいきまひょ。いつまでもここに籠っとってもしゃーない。諸人はん、運転できるか?」
「できますよ。ナビもついてるのでそれに入力すればOKです」
犯行現場は八王子市内某所だった。焼肉店から数百メートル行った先に、古びて塗装の剥がれた巨大な廃工場があった。入り口には立ち入り禁止を示すチェーンが張られていた。彼らはそれをまたいで入って行った。
スプレーで落書きがそこかしこにしており、工場内部の巨大な扉に手をかけたら、開いた。鍵が施錠されていないのだった。
「南京錠のひとつでもあるかと思っとったがな」
「入りましょう、窪塚先生、祥平先生」
麻衣子に促され、入った。中には使用済みコンドームや缶ビールなどが散らばっていた。
「なるほど、南京錠は誰かが何らかの方法で外したんやな。ご苦労はんってとこやな」
祥平は嘲笑した。四人は内部に歩いていく。すると、拭い去られたらしい血痕が、かすかに残っているのを祥平は見逃さなかった。彼は上を見上げた。フックがかかっている。高さは五六メートルほどある。
「脚立じゃ無理やな。クレーン車を用意したんやろ」
「はい。その業者を当たりましたが、休眠会社だったらしくて、犯人の特定にはうまくつながらなかったと記録されています」
そうか……と、祥平は顎に手を添えた。
「ロープは何で固定したんだろう」
「あの台車のフックですね」
浩はコンテナの載った台車を指差した。
「とは言っても、四肢がないのにどうやって、優介さんはロープを切ったんだろう。いや、そのとき、共犯者が切ったに違いない」
「共犯者が殺したのであれば、義手義足は隠す必要はないでしょう。まあ、義手義足があれば、の話ですがね。ユニがこの現場に出入りしていることは大いに考えられます。何故なら彼女は、ブレサリアンなのですから」
浩の言葉に、諸人ははっとした。
「なるほど、二四時間体制で、現場で優介さんの手助けをすることができるってわけだ」
「そうです。委員長、ユニの行動を検証してみましょう」
「そうね。いろいろ骨が折れるでしょうけど」
「まったく、俺らもブレサリアンやったらいくらでもできるんやけどな」
祥平の不謹慎なジョークには、誰も笑わなかった。
彼らは工場を歩きまわり、次のようなストーリーを想定した。
仮に、シカゴで四肢を解体されたとしよう(その方が可能性が高いため)。
道路に四肢のない優介を乗せた、裏仕事の人間をユニが迎え入れる。その日時はそうなると十八日以降となる。十八日に解体されたからだ。十八日、シカゴで義手義足を闇医者に手術させたと考える(義手義足をつけず車いすに乗せて運んだとも大いに考えられるが)。バラバラになった手足も、闇ルートで運ばれたのだろう。ユニは十八日に夏帆を写真に収めたと記録が残っているが、今はそれは考えない。彼女は優介を迎え、中に優介を入れ、食事を近くのコンビニで調達して、食べさせる(遺体の胃には食物が検出されていた)。その間、中から南京錠をかける。そして二〇日、夏帆を呼ぶ。このときまでにクレーンカーで予め殺人装置を用意して、優介に自殺させた。その直後、彼女は義手義足を隠し、ばらばらになり腐った四肢を並べる。そして外に南京錠をかけ、考えられるとしたら、このとき駆け付けた夏帆の写真を撮ったのだろう。
「夏帆の写真は、びりびりになっとった。鑑識による鑑定やと、これは新しく作った合成写真ではないという見解がなされたんや。納得いかへん。コンピューターを使わんと合成なんてできるんかいな」
祥平は珍しく悩んでいるようだった。
「そうですね。写真については現物を見ないと何ともつきません」
「ちょっと待って!」
工場の外で、麻衣子が叫んだ。彼女はコンクリートを指差していた。
「このバツ印は何かしら」
白いチョークで、アスファルトにバツ印がついている。
浩はしばらく思案すると、
「……なるほど、これなら写真の説明がつく」
「何ですって? 教えなさい」
「委員長、これくらい自力で考えたらどうです」
(嫌な奴だわ……)
麻衣子はそう思いつつ、
「時間がないのだから急ぎましょう。夏帆さんのアリバイを完成させましょう」
ということは、夏帆の家に行くことを意味するようなものだった。ずっと諸人は疑問に思っていたのだが、沢城家の資産はどれほどなのか。
車で三十分ほど公道を走ると、路地に入り、
「あそこや」
と祥平が口にしたので、車を寄せると、小さなアパートだった。
「ホントにここに住んでたんですか?」
「親が決めたことや」
祥平は合鍵を使って中に入った。中はテレビゲームのソフトや、カップ麺、コンビニ弁当のゴミなどで散らかっていた。
「言うとくけどな」
ゴミを片付けながら祥平が言う。
「俺の家は日本最大手のホテル経営やってん。沢城グランドホテル、聞いたことあるやろ?」
「え、あれ祥平さんのお父様の……?」
沢城グランドホテルは、全国に五つ支店を構えている、高級ホテルだ。政府要人や芸能人、業界人が利用する。記者会見などもホールで行われたりするのだ。
「そうや、せやから総資産はウン十億ってとこや。それでも、親父はある理由で俺らに金をかけないようにしてきたねん」
「それは何故?」
「予言者や」
諸人は耳を疑った。彼だけでなく、麻衣子と浩も動揺を隠せないようだ。
「冗談ですよね……?」
「本気や。俺のオカンが予言者で、A・ゲームで誰が勝ち残るか、もう分かってたねん。オカンは親父と出会った際、まだその頃は親父は普通のサラリーマンやったな。せやけどオカンの助言で株を投資したとき、数か月で億単位儲けた。ま、さすがにインサイダー取引を疑われて任意出頭させられたんで、株はそこでやめたんやけどな。で、ホテルの経営を始めたんは、結婚したときや。表向きは親父が代表取締役やってんが、経営はオカンの指示やな。ほとんどが。事業は大成功やった。けどいつか優介はんが夏帆に冤罪かけるっちゅうことまで分かっとって、このA・ゲーム、P・ゲームの企画を夏帆に持ちかけたんよ。それは夏帆が高校になって引きこもってからのことや。このA、P・ゲームに費やす費用はぶっちゃけると賞金含めて八億。経済援助できないのも無理ないで。それが嫌なら恋愛はするなとオカンが言ったもんやから、親子の溝は深まった。夏帆が出ていったんのも無理ないで」
納得していいのか、してはいけないのか分らない話だった。
「とりあえず、徒歩では無理ですね。バスかタクシーを使用したことになる。仮に夏帆さんが犯人だとしましょう。すると夏帆さんがボイスチェンジャーで脅迫電話を受けたのが嘘になります。同じ理由で二〇日に電話がかかってきたのも嘘です。そう考えると、どこから電話をかけたのかという記録が出てこなくてもいいので捜査は一見楽になりますね。となるとやはり、証拠写真に印字された時刻、八月一八日二二時三二分に廃工場にいなくてはならない。ですが疑問があります」
浩はそこまで説明すると、持ち歩いていたパソコンを開き、夏帆のその写真の画像を開いた。
写真の夏帆は、工場に向かって駆けていたのである。これは一体どういうことか。
「何故、一八日に夏帆さんは外にいたのでしょう。これを洗わないといけない。一体夏帆さんは、いつからこの廃工場にいたのかということですよ」
「そうか。じゃあバスの営業所とタクシー会社に行くべきだ」
「そうなりますね。じゃあ、二つに分かれましょう。私は窪塚先生につき、バスの営業所に当たります。笠見くんは沢城先生について、タクシー会社を当りなさい」
「了解しました」
捜査五日目
諸人と麻衣子はバスの営業所に行った。営業所には落とし物をしたときぐらいしか行かないので、諸人はぎくしゃくしていた。
中年の中肉中背の職員が応対に出てきてくれた。諸人たちは事情を話した。
「防犯上、レコーダーは設置してあります。けれどこれも迷惑な話ですよ。運転手の勤務態度を記録する役目もあるので、常に上から見張られてるようなもんですからねぇ」
麻衣子は警察手帳を見せた。
「へえ、あんた学生さんなのに警察やってんの、ってあっそうか、エーテル学院さんね。ご足労様です」
「二〇××年にドライブレコーダーは設置されてましたか?」
すると中年職員は、
「いや、それはないと思うよ。最近はいろんな制度ができてうるさくなってきたからね。けど七年前でしょ? 僕はそのときのこと分からないなぁ」
「僕は分からない?」
諸人が問い詰めた。
「そうねぇ、もしかして、あの大学教員狂言誘拐殺人事件のことかな? ああそれならね、当時八王子署からも警視庁からも聞き込みがあったよ。綿貫さんなら詳しいかな。ねぇ、綿貫さんいる?」
中年の職員は、痩せて白髪交じりの初老の職員を呼びつけた。
「ああ、君ら、誰?」
「特別司法警察職員の、進藤麻衣子です」
麻衣子は名刺まで渡したので、諸人は面食らった。きちんと、学校の所在地と電話番号まで書かれている。
「そちらは」
諸人は答えに窮したが、
「あ、僕はちょっと忘れ物を探しに……」
「話、長いの?」
中年職員が問う。
「そうなりそうですね。あなた、将棋指せます?」
麻衣子が尋ねる。
「ああ、指せるよ」
すると諸人が、
「じゃあ、一局お願いできますか」
「しょうがないなあ、少し腕、鈍ってるかもしれないけどね」
麻衣子のアシストを、諸人は逃さなかった。ここに来る前、諸人が将棋の話をちらとしたのだ。
そういうわけで諸人は中年職員と将棋を指し、麻衣子は綿貫に営業所の奥に通された。
綿貫は日誌を取り出して、事件につながると思われる頁を探した。
「あんときゃダイヤを改変したり、路線を変えたりで大変だったよ。警察が規制線張ってね。半径何キロだったかな。封鎖されたの。ねぇ。それにあれ、犯人が脅された女子大生だって発表されても、真犯人と思しき人物がいないかとか、共犯者を特定させたりとか試みてしばらくごちゃごちゃしてたからねぇ。」
「当時はすでに、ICカードの導入があったはずです。警察は被疑者沢城夏帆の利用履歴の開示を行い、ここの事業所に調査したはずですが」
「あんたさすが、頭の回転が速いねえ」
「八月六日から八月二〇日の間、沢城夏帆が乗車した履歴を教えてください」
「はいはい、ちょっと待ってね」
綿貫は腰をあげ、書類を束ねたバインダーを数冊用意して、日誌と一緒に調べ続けた。そして、
「乗車したのは、八月十八日と十九日、それから二〇日だね」
「十八日ですか……」
証拠写真の日付と一致する。
「何回何時にどこのバス停を利用しましたか?」
「十八日は、午後四時三〇分にK公園前から乗ってめじろ台駅に、それから十九日にめじろ台駅から午前九時二二分にK公園前に。八月二〇日はK公園前からS川橋だね」
K公園前は夏帆のアパートの最寄りのバス停だ。S川橋は、廃工場に最も近い。十八日と十九日の間に何があったのか……とにかくその間のアリバイを証明できれば、王手だ。
「王手」
指したのは諸人だった。中年職員は、
「もう一局! もう一局指させてくれ!」
と頼んだが、
「行きますよ、窪塚先生」
麻衣子は冷たい声でそう言った。諸人は苦笑して、席を立った。
「どうもお邪魔いたしました」
「いえいえ、また将棋でも指しに来てください」
中年職員は物腰柔らかくそう言って、
「おい、嬢ちゃん」
綿貫は麻衣子を呼び止めた。
「嬢ちゃんは鉄の女って感じだぜ。たまには、弱みを見せた方が男にモテるぞ」
「あいにく、異性交遊厳禁なので」
綿貫は笑って、
「さっさと行きな」
と、二人を送り出した。
そして、また警視庁エーテル学院生出張所に戻った。午後七時だった。諸人と麻衣子が先に待っていると、祥平と浩がやってきた。祥平は、デパ地下で買った弁当を広げ、四人で食事をした。
麻衣子と諸人は聞き込みの報告をし、祥平と浩も報告をした。
「タクシーの運転手によると、夏帆さんは十八日外食をして、映画館に行ったようです」
「映画館?」
浩の報告に諸人は訊く。
「調書によると彼女はレイトショーに行ったと供述した。ところが映画のタイトルを正確に言えなかったという理由だけで、それが偽装アリバイだと警察は決めかかったようだけどね」
麻衣子は眼鏡をくいと中指で上げてそう述べる。
「無理もないです。映画のタイトルは『ウィトゲンシュタインの論理空間に泳ぐ二匹の魚のような、ただひとつの恋』というもの。警察はそれを知って逆手に取ったんでしょう。内容も前衛的でどこが面白いのかわからない。俳優も劇団上がりたての低予算キャスティング」
「どうしてそんなことでアリバイ偽装だと決めるの? 第一、切ったチケットは劇場に残っているだろうに」
「冷静に考えてくださいよ、窪塚先生。映画のチケットを買うとき、住所や名前を記入したりしますか? だから、映画館に行った、というアリバイを述べる犯人は結構多いんです。だからそういう場合、なんという題名だったか、映画の内容はどのようなものか、どんな俳優が出ているか、そういう細かいところまで聞くんですよ」
うぐう、と諸人はうなる。
「せやけどなんてあの引きこもりの夏帆が、そんなわけわからん映画を観たりなんてしたんやろな」
夏帆と連絡がとれない状況に、悶える祥平。彼女に聞けば、一発で分るのに。
「それも裏を取らないといけませんね……」
麻衣子は珍しく、頭を抱えていた。
「ところが、劇場にこんなものが落ちていたんです」
浩はそう言って、じゃら、と、金属を手からぶら下げてかかげた。
「それは何?」
「知恵の輪です」
知恵の輪? 諸人たちは疑問符を頭に浮かべたが、祥平と浩はにやりとしていた。




