第九十四話 怒り 悲しみ 混乱
ユーフラは空中でフーレンにつかみかかり、浮いたまま馬乗りの姿勢になった。
「あんたを野放しにしたら、白い人たちだって命がいくつあっても足りたものではないわ!」
右手で構えた剣をフーレンの左翼に向かって振り上げた。
「ユーフラ、危ない!」
目のいいトールクが気がつくのと、白い人が矢を放つのは同時だった。狙いをたがわず、矢は真っ直ぐ空を切りユーフラの首に命中した。腕を上げたままユーフラはグラリと傾き、礫で打たれた鳥のように無抵抗に地面へ落ちていった。
「ユーフラ!!」
一番にセプルゴが飛び出す。追ってケーワイドたちも駆け寄った。ユーフラの首に横から矢が突き抜けている。見事な腕前だ。セプルゴとトールクが抱き上げると、すでに呼吸をしていなかった。心臓だけが不気味に動いているが、止まるのも時間の問題だろう。
「…フ…、フーレン様に…、手を、出すな…!」
矢を放った白い人の震える声が聞こえてきた。
「ケーワイド、治癒魔法は?」
トールクが冷静に言ったが、
「…駄目だ、頸椎をやられておる。何を再構成しようと、脳は戻らない……」
とケーワイドは小さくかぶりを振り、燃えるような目で弓を構えた白い人をにらんだ。
「お主ら、私を怒らせるとはどういう了見だ? 命はいらんと見えるな」
身体中から朽葉色の光を放ち、ゆっくりと立ち上がった。セプルゴも続いて立ち上がる。
「守ってもらっておきながら、義理はないのか?」
「怒りに身を任すのは、趣味じゃないんだけどね」
「これに目をつぶるのはよっぽど悪趣味だ」
ファレスルとドゥナダンも立ち上がり、無言でトールクも、涙をこらえながらポルテットも立ち上がった。
「アイレス、ユーフラを頼むぞ」
ケーワイドはアイレスに偽の『ワールディア』を放った。アイレスはユーフラを膝に抱えながら小石に念を込め、防壁魔法で自身とユーフラを覆った。ユーフラはまだ温かいが、ダランと力のない腕や青ざめた唇が、精気が急速に失われつつあることを物語っていた。
「……ッ…、ユーフラ…!」
泣いちゃ駄目だ。今ひとりで泣いても、悲しみと混乱を制御できる自信がない。泣くのは後でもできる。後でみんなで泣いたらいい。アイレスは両腕の中にいるユーフラに意識を取られないよう、ドゥナダンたちが白い人に立ち向かっていくところを見つめた。怒りによって力が発揮されたか、かなり優勢だ。
「食らえ! ヤアアアァァァ!」
首からゆっくりと血がたれる。
「ファレスル、こっちだ!」
妙に重量を感じる。
「許せん! 【ローテ、ブーレケ】!」
鼓動が弱くなっていく。
「くッ、アアァッ!」
不思議と肌の潤いがなくなったように見える。
「……ユーフラ、目ぇ開けて! ユーフラ! ねえ、嘘でしょ!?」
アイレスの嘆きが防壁魔法の外に漏れてきた。すでに周囲の白い人を倒したドゥナダンが近くまで寄ろうとして、肩で息をしながらケーワイドを振り返った。
「はあ、はあ…。ケーワイド、これ、防壁魔法、消せませんか?」
「うむ」
ケーワイドがその呼びかけに応えて、アイレスの周りの防壁魔法を消そうと、そちらに気をやった一瞬の隙を狙い、
「【グールフ】! 【トンヴェタルフォ】!」
フーレンがケーワイドに向けて、かまいたちのような風を地面すれすれにいくつも放った。
「くっ!」
ケーワイドはヒラリと宙返りしながらそれを避けた。空中にとどまりながら何度も襲ってくるかまいたちをいなす。そして外套がバサッと翻った拍子に、
「…あっ!」
ケーワイドの懐から小さな布の包みが転がり落ちた。包みが露わになり、小さな『ワールディア』がキラリと光りながら姿を現した。落下地点にはかまいたちが乱舞するように吹き荒れている。ケーワイドは動けなかった。




