第九十二話 荒野を駆ける思い
地平線まで続く荒野は乾燥しており、気温はそれほど低くないはずだが頬をなぐる風は妙に冷たかった。砂塵がピシピシと顔に飛んでくる。
「襟巻き買って正解だったね、ドゥナダン」
「ああ。お、アイレス、その包み開けるのか? 貸してみろ、紐切るから」
アイレスがエッセル町で購入した保存食を開けようと苦心していると、ドゥナダンはテイノ町のユビノ・キーラムからもらった小刀を出して、アイレスに手を差しのべた。ドゥナダンは包みを開けるとか木を削るとか、簡単な作業にもその小刀を愛用していた。アイレスはなんだかもったいなくて、一度も鞘から出していない。
(キーラムは、「剣は命を奪うだけのものじゃない」って言ってた。もちろん理屈では分かってるけど…)
正直、まだピンとこない。剣士として未熟なのだろうか。そんなことを考えながら、アイレスは両腰に下げた2本の短剣とキーラムの小刀に油を塗った。
「この砂ぼこり、喉を守るのが一苦労だね」
「アイレスたちいいな、それ。私も何かの布でやろうかな」
ファレスルが布を三角形に折って鼻より下を覆う。
「………」
「どうした、アイレス? 似合いすぎて目が離せないか?」
「顔を隠した方が男前だったら駄目だろうが」
アイレスは小さく首を横に振った。
「ファレスルはどっちでも男前だから大丈夫よ。そうじゃなくて、白い人の中に、顔に布を巻いてる人がいたでしょ? 思い出しちゃって…」
「あいつはどうして顔を隠してるんだろうな。ただでさえ白い人は表情が読めないっていうのに」
「ケーワイド、何か心当たりありませんか?」
白髪ばかりの巻き毛とひげをなびかせてケーワイドはゆっくり振り返った。
「あやつは他にも謎が多いよの。組織だって人を動かすことも、我々を追うためやら合戦やらで作戦を立てることも、白い人について知られている範疇ではありえんことだ。白い人全体に変化が表れておるのは、あの男、フィレックの策略やも知れぬと思うほどだ」
ユーフラはまとめるには短すぎる髪を、かえって邪魔そうな様子で額からかき上げて、
「フーレンも変わってきましたね。この間は明らかにわたしへの挑戦でした。風の魔法を使う者としての力比べだったのじゃあないかしら。わたしはフーレンの翼を奪ったけれど、気を失ってしまった。痛手を負ったのはあっちでも、魔法使いとしては負けた気分ね」
と風上を見て言った。足元に乏しく生えている枯れかけの草をむしり、フッと草を吹き飛ばした。草はひび割れた黄色い大地に音も立てずに落ち、風向きと逆方向に舞っていった。
「………」
ユーフラの目が鋭く光る。ケーワイドも同じ方を向いた。
「来おったな」
「やっぱりか。ユーフラ、下がってろ」
セプルゴが弓と2本の矢を手にして腰を上げた。つむじ風が起こり、その中心に白い人が現れた。30人近い男たちは、セプルゴたちがユーフラをそうしているようにフーレンを守っている。唐突にフィレックが話し出した。
「…もうやめにしないか。悪いようにはしない。大人しく『ワールディア』を渡してくれないか…?」
布で目元が見えないが、沈痛な表情をしているのは声で分かる。
「勝手なことを抜かすでない。そっちが我々を追うのをやめれば良かろう?」
「そうはいかない。ここまでフーレンを犠牲にして、引き下がることなどできない」
フィレックはそっと後ろのフーレンを見た。淡く光る左翼で右肩を抱いている。ボサボサの白い髪が顔全体にもかかり、フーレンの表情をいっそう読めなくさせていた。
「それが『勝手なことだ』と言ってるんだ。前の合戦では30人以上死んでる。ユーフラの髪も見てみろ! こっちだって無傷じゃないんだ!」
矢をつがえかけながらセプルゴが声を張りあげた。その腕に触れ、ユーフラは諭すように「いいから」と言って首を振った。
「フーレン、聞こえるかしら? あの時はお互い身を削る思いをしたわね。それでもあなたはわたしを殺そうとしなかった。そうでしょう?」
フーレンは少しだけ顔を上げた。相変わらず覇気がない。
「魔法使いとしての誇りがあなたにもあるのね? そんなフーレンだから聞くわ。何が目的なの?」
何かの塵が乾いた風でカサカサと転がっていく。セプルゴはユーフラから漂っている並ならぬ魔力を感じとっていた。ユーフラとフーレンは言葉だけではない力で精神を感応し合っているようにも見えた。




