第九十一話 エッセル町を後に
エッセル町での2日目、ケーワイドが皆にある提案をした。
「肖像画?」
「どうしたんですか、突然?」
朝食をとりながらの出し抜けな話に、アイレスたちは首をかしげた。鳥の卵をふんだんに使った蒸餅にかぶりつき、ポルテットが道端の絵師を思い出す。
「そういえば道行く人を描く絵師が何人かいましたね」
「あたしたちの絵を描いてもらうんですか?」
濃い茶をすすり、ケーワイドは柔らかく微笑んだ。
「良ければだがな。昔…、妻の肖像画を描いてくれた絵師なのだよ」
「………え?」
「どうした?」
「ケーワイド、結婚してたんですか!?」
セプルゴとファレスルが同時に立ち上がった。アイレスはケーワイドが結婚していたことにも驚いたが、セプルゴたちの勢いの方にビクッとさせられた。
「なんだ、意外かの? 30年ほど前に死別しておるのだがな」
「そうだったんですか…」
「しんみりしなさんな。その絵師はとても温かい絵を描くから、誰かとここを訪れる時にはいつも寄るのだよ」
「わたしが弟子入りしたての時にも描いていただきましたね」
「そうなんだ。ユーフラ、持ってないのか?」
「家に飾ってあるわ」
つかの間羽を伸ばせた昨日。そのささやかな土産だ。トールクが皿を寄せながら、
「それほど時間がかからないのであれば、いいんじゃないですか。我々には娯楽が少なすぎます」
と賛成した。
「通行人相手の大道芸のようなものだからな。あっという間に絵を仕上げるのよ。いつも感心する」
「じゃあ食べたら早速行きましょうか」
「アイレス、よく整えてこいよ」
「何よ、ファレスルったら。もう!」
「ハハッ! いや、冗談だって、ドゥナダン。そうにらむなよ」
若者たちのはつらつとした後ろ姿を見て、ケーワイドは目を細めた。それにトールクは目ざとく気がついた。
「彼らの明るさは救いですね」
「うむ。……これから先、精神を消耗する戦いになる予感がする。そんな時に支えとなるのは…」
「仲間の存在ですね」
ケーワイドは無言でトールクを見つめうなずいた。
「よし、じゃあこの構図で!」
「まさかこうなるとはな。肖像画っていうからてっきり一人ひとり描くんだと思ったよ」
「これはこれでいいじゃないの。ではお願いします!」
エッセル町の外れで通行人や行商人を相手にひっそりと絵を描くその絵師は、アイレスたちを一目見て、8人いっぺんに描きたいと言い出したのだ。相当な年寄りだがしっかりした視線で距離を計り、微笑みながら木炭を紙に走らせ、実に楽しそうに仕上げていく。
背の低いポルテットとアイレスが中心となって、ポルテットの右隣からケーワイドがポルテットの肩にそっと触れ、セプルゴがユーフラの肩に腕を回して立った。アイレスの右腰を抱いてドゥナダンがその左に立ち、その後ろに立ったファレスルはセプルゴの肩に体重をかけている。頭がひとつ飛び抜けているトールクは一番後ろで、右端のケーワイドと左端のファレスルの肩をしっかりと支えた。ケーワイドの杖にフォアルがすましてとまっている。こうして並ぶと、ポルテットとトールクの身長の差が相当あるのが分かったし、改めてこの面子の多彩さが際立った。
「さあ、できましたわい。急ぎとのことでしたので木炭のみでの仕上がりと相成りますがな」
「どれどれ」
「ケーワイド、どうですか?」
全員笑っている。描いてもらいながらの雑談中に笑ったりするのを巧みにとらえたのであろう。
「うむ。いつもと変わらず素晴らしい絵を描いてくださった。代金と…」
ケーワイドは魔法で1本の瓶を出して絵師に手渡した。
「ウェール村の果実酒を進ぜよう。お元気での、画伯」
皆がその絵を気に入り、誰が持っているか争ったほどだ。硬貨の裏表を賭けてユーフラが勝った。
「これは魔法で隠してしまうのは無粋ね。懐に持ってましょう」
「あー、ずっと中腰はつらかった!」
「僕はなんともないよ。アイレス、なまってるんじゃない?」
ポルテットにそう言われ屈伸し始めたアイレスの手をとり、ケーワイドは街道の入り口を杖で示した。もうすぐ南中する日に照らされたケーワイドの笑顔は朗らかだ。
「さあ、では行こうか。しばらく町も木々もない荒野が続く。我々の心の中は常に明るく行こう、な?」
エッセル町を後にするアイレスたちは、乗り越え難い苦痛の始まりに気づいていなかった。




