第九十話 ケーワイドとユーフラの魔法講座2
とても香ばしい香りがケーワイドの部屋を充満させる。ファレスルが丁寧に蒸らした茶を一同に振るまった。
「温まるなあ。おいファレスル、ちゃんと役に立つ物も買ってたんだな」
「ああ、そういうこと言う。セプルゴは出がらしの茶っ葉でも食ってろ!」
元気のあり余っているふたりを制し、ケーワイドは色とりどりの小さな玉を無数に魔法で出した。
「さあ、魔法の仕組みをもう少し詳しく説明するぞい。その前にな、例えばここにある机も、この茶も、我々の肉体そのものも、そしてこの場を満たす空気も、極限にまで分解していくと小さな粒子の集まりであるのを知っておるか?」
ポルテットが勢いよく手を上げて答えた。
「はい! 原子のことですね!」
「よく知ってるな、ポルテット」
優しくトールクに頭をなでられ、ポルテットは満足そうに笑った。
「魔法使いは、というか人は誰でも……、何と言ったら良いのかの」
「わたしの兄は『亜空間』という言い方をしていましたね」
「ふむ、ではそれで良いか。人は皆『器』と呼ばれる亜空間を持っておる」
「亜空間ねえ。にわかに信じられないな」
「僕も持ってるの?」
「もちろん。しかし『器』の大きさは人によって違いがあり、これは素質や訓練、または精神的な安定具合に左右される。この『器』の内部では様々な物を保持することが可能で、ここから物を取り出したり納めたりする技術が魔法と呼ばれておるのだ」
時折ファレスルの茶を誰かがすする音がするが、その他は無言でケーワイドの話に集中していた。
「それで原子の話は?」
アイレスのその質問にケーワイドはひとつ咳払いをして答えた。
「魔法とは、物質を原子にまで分解して『器』という亜空間へ送りこみ『器』内部で再構成する、もしくは逆に『器』で保持している物質を原子に分解して取り出し再構成する技術、ということなのだよ」
「………」
「………」
分かるような、分からないような。そんな表情でアイレスたちは説明を聞いていた。さらにケーワイドは小さな玉から淡い空色の玉を30個ほど選んで、玉同士を魔法でピタッとくっつけた。
「水が固体になると氷となることはもちろん知っておろう。この玉の集まりを氷の模型と思ってくれるかの。厳密には水分子は曲がっており…、いや、それは面倒だからいいだろう。氷に熱量を加えると水になり、さらに温めると水蒸気になる。ここまで良いな?」
「はい」
「なんとか」
玉の塊に魔法をかけ、一定の嵩を保ちながら不定形のまとまりとなった状態を、
「これが水」
さらに玉一つひとつを離れさせて宙を舞わせ、
「これが水蒸気だな」
とつけ加えた。
「『器』内部では常温で安定する形態で物質が保持されておる。ここから魔法で水を出す場合、『器』にある水を酸素原子と水素原子に分解してから取り出し再構成するわけだ。その際どれぐらい熱量を与えるかで、水として再構成するか、氷として、あるいは水蒸気として再構成するかが決まるのだ。それを思いのままに操作するにはそれなりの熟達が必要になる。熱量も勝手に生み出すことはできないから、熱を生じさせるだけの燃料を要するわけで、それも『器』に保持しておいたり、自然界から借りなくてはならん」
「どんどん難しくなってきましたね」
「でも普通の化学法則とかけ離れてはいないんだな」
「あらかた分かったか? 大まかな仕組みはそんなところだ」
ケーワイドとユーフラ以外は、腕を組んで説明を反芻した。
「じゃあ、風を起こすのはどうなるんですか?」
「それはユーフラが解説せい」
「はい。そうね、風というのは気圧の高いところから低いところへ流れていくものなの。それは分かる?」
疑問を投げかけたドゥナダンはコクコクとうなずいた。
「気圧を操作するために、風を送りこみたい場所から大量の窒素や酸素を消したり、風が生じる中心へは逆に出現させたりするのよ」
「フーレンもそうなのか?」
「そうでしょうね。翼であおぐのは補助的だと思うわ。ケーワイドの杖のようなものでしょう」
「なるほど」
「移動魔法は?」
「原理は一緒だ。『器』とは、この星、いや、試すことはできないがおそらく宇宙全体の、どんな空間にでも亜空間として接しておる。なので移動させたいものを原子にまで分解し、『器』を通して移動させたい場所で再構成する」
「え!? じゃあ人も魔法でもって原子に分解されて、目的地で再構成されてるってことか!」
「その通り」
「失敗したらどうなるの?」
「……この世の物ではない物体になるか、その魔法使いの『器』の中に閉じこめられるか、どうなるのかしらね。わたしも知らないわ」
「……」
「うわあ…」
移動魔法は何度も目撃しているが、そんな大変な魔法だったとはつゆほども知らなかった。
「防壁魔法は、魔法で不思議な壁が出現しているわけではなく、何らかの硬い物体なんでしょうか?」
「ああ。これも日々研究がなされておる」
セプルゴは自分の右胸をさすりながら、
「治癒魔法は? これも再構成なんだろ?」
とユーフラにたずねた。
「ええ。人体についてよく勉強をしないと再構成できないから、治癒魔法を修得するのは一人前への通過点のひとつなのよ」
「大変なんだな、魔法使いってのは」
しゃべり疲れたのかケーワイドはゆっくり茶をすすり、椅子に深くもたれた。
「並大抵の努力で一人前にはなれんが、そうは言っても人によって得手不得手があるの。私は水を操る魔法は、まあ使えるが、あまり得意ではない。ユーフラはどんなに訓練しても雷が起こせないな。トリドも風は操れなかった」
「何かに特化して得意な魔法を極める人もいますものね」
ここでひとつポルテットがあくびをする。もういい時間だ。
「さて、こんなに話すことになるとはな。魔法使いに弟子入りしたくなったか?」
挑むような眼差しをたたえながらケーワイドは皆に向かってニヤリと笑った。ファレスルが、
「とんでもない。おっしゃる通り向き不向きがあるでしょう」
と右手をヒラヒラ振って辟易した様子を見せる。
「あ、ケーワイド。こんな言い方もなんですが、『ワールディア』を移動魔法でデ・エカルテに移動させることはできないんですかね?」
「実は俺もずっと解せなかった。今の説明だとできる気がするんです」
「うむ、理屈ではできるのだがな、『ワールディア』の組成が分からんのだ。再構成できるか私には自信がない」
魔法は科学だ。自由自在にこの世の不思議を操れるようだが、化学や物理学の理を超越することはできない。魔法は万能ではないのだ。




