第八十八話 エッセル町
次なる目的地はエッセル町。商人を優遇することで通商を発達させることに成功し、地元の資源や農作物が少ないながらもかなりの繁栄を見ることができる。
「すごい、大きな市場!」
「僕たちはショーラ町で市場に寄ったけど、それより大きいね、ここ」
「そうさな。これから先は大きな町がないから、必要な物は買いこんでおくように」
「ようし、まずは市場の案内所を探すかな」
早速ファレスルは調味料や香辛料、セプルゴは薬草を調達に行こうとしている。
「今夜はあの宿に泊まるからの。夕食も皆で食堂へ行こう」
「やったあ、ごちそうだ!」
「温かい布団が恋しいな」
日が暮れる前に集合することにし、自由時間となった。
「ドゥナダン、どうする? 買い物に行く?」
アイレスは思いがけない機会に心を躍らせドゥナダンの腕をとった。知らない町を歩くことを想像し期待に胸がふくらむ。
「そうだなあ。清潔な布とか石鹸とか必要な物は買うとして、あとは適当に散歩でもするか?」
「いいね。何のお店があるかな」
ありとあらゆる物が売られている市場は、食料品や日用雑貨など、似通った品物の商店が固まって配置されていた。町の作りそのものが商業政策に手を尽くしていることをうかがわせる。
衣料、装飾品、雑貨、化粧品……。ウェール村では手に入らない物が揃っており、この世のすべてのものがこの市場に集まっているかのようだ。キラキラと誘惑する宝飾品に目を奪われ、菓子店の甘い香りが鼻をくすぐる。
「うわー、目移りするね」
「余計なものも買っちゃいそうだな。お互い気をつけよう」
アイレスもドゥナダンも長旅に荷物は増やせないと分かっていたが、気がついたら何かを手にしており、踏みとどまるのに苦心した。
「あ、この色いいなあ」
「何だ、何だ? 服ならわざわざここで買うことないんだぞ」
「襟巻き! 朝晩欲しいときもあるんだよね」
長い髪を高い位置で引っつめて寒そうな首をしたアイレスの手に、燃えるように赤い大判の襟巻きが握られている。
「かさばるだろ、邪魔になるぞ?」
「普段は巻いてればいいのよ」
ドゥナダンは頭をかいて色違いを手にとった。渋い藍色だ。
「まあ、いいか。俺も買おうかな」
アイレスはニコリと笑って、鼻歌を歌いながら2枚の襟巻きを店の奥に持っていき、上機嫌で戻ってきた。すでに首に真新しい襟巻きを巻いている。
「まけてくれた!」
涙が出そうなくらいのまぶしさで笑うアイレスは、真っ赤な襟巻きよりも鮮やかだった。
(ああ、そうか)
ドゥナダンは目頭が熱くなるのを感じ、もはや遠い記憶を胸の底からたぐり寄せた。
(この赤、アイレスに似合うはずだよ。結婚式用の衣装と同じ赤だ)
喉の奥がツンとする。ただの買い物にこんなにはしゃぐなんて。満足にふたりの時間なんて作れやしないからこそだ。軽やかに跳ねるアイレスを後ろから抱きしめ、ドゥナダンは小さく、
「ごめんな」
とつぶやいた。アイレスはわけが分からず、とりあえずといった具合でドゥナダンの頭をなでた。
「もう、絶対誰かがやると思ったのよ!」
「頼むよユーフラ、一生の頼みだから。この通り!」
宿にたどり着くとファレスルがユーフラを拝み倒しており、それをセプルゴが指を差してゲラゲラ笑っていた。
「何してるんだ、珍しい」
「あ、襟巻き買ったの? きれいな色だね。見てよ、これ!」
セプルゴと同じように腹を抱えていたポルテットが、机の上の四角い石を指し示した。トールクの手のひらより大きい。
「研ぎ石? なんでここにあるの?」
「よくぞ聞いてくれた!」
ファレスルが目を輝かせて飛んでくる。それをセプルゴが、
「いい加減うるさいぞー」
と茶化した。
「やっぱりエッセル町ぐらいの市場じゃないと手に入らないんだな。アイレスは知ってるだろう? サンゼ石の研ぎ石だよ!」
「サンゼ石は知ってるけど、買ったの? ファレスル小さいの持ってたじゃない」
フフン、とファレスルはアイレスを鼻で笑い、
「分かってないなあ」
としたり顔をして研ぎ石を両腕で抱え上げた。
「あれは携帯用さ。本物の料理人は…」
「その明らかに携帯に向いていない石をね? 誰が携帯すると思ってるのかしら?」
「だから頼むよ、ユーフラー!」
再びファレスルは魔法使いに食い下がっていった。セプルゴがポルテットの肩にひじを乗せ、
「ずっとあの調子だ」
とあきれていた。
「これを魔法で消して運ぶくらいわけないけどね、いざという時には路傍に置いていくから。いいわね?」
「ありがとう、ユーフラ!」
ファレスルがユーフラの肩をもみだしたのを尻目に、ケーワイドとトールクが外套を羽織りながら立ち上がった。
「気がすんだか? 食事に行こう」
「ケーワイドがいい店を知っているらしい」
ユーフラが指を一振りして研ぎ石を消すと、ファレスルが大げさに歓声を上げてユーフラを称えた。そこにまたセプルゴの野次が飛ぶ。アイレスとドゥナダンは顔を見合わせて微笑み、手をつないで一行の最後尾についた。




