第八十三話 森の息吹きを感じて
鬱蒼と生い茂る木々に隠れて、この森では月明かりが見えない。招かれた家は大樹の根元にあるうろを利用したもので、内部は薄暗かった。うろの内側がむき出しになった壁には何もかかっておらずむしろ寂しげで、切り株や大石を利用した椅子や机がぽつんと置かれていた。チェルクが机の中央に置かれた透明な椀のようなものに手をかざすと淡く光った。椀の中は光る石でいっぱいになっており、それぞれの光で乱反射していた。見覚えのあるその光に、アイレスとドゥナダンは思わず近寄った。
「お邪魔しますー。ドゥナダン、この石」
「ああ。以前ケーワイドから借りた石とそっくりだ。あれよりだいぶ大きいけど」
ケーワイドも寄ってきた。
「何十年も前に泊めてもらった時に、その見返りとして私が贈ったものだ。あの時分はチェルクはまだポルテットより小さかった」
荷物を降ろしながらチェルクはひとつ石をとりあげた。
「その時の家主であった父は、8年前に土に還った。一緒にひとつ埋めたよ、ケーワイド」
「そうだったか……。良ければ明日にでも参らせてくれ。若かりしころの大事故のことも、改めて詫びたいしの」
ポルテットの脳裏に、先の合戦で散ったオクシロンを焼いた煙がよみがえる。強くこぶしを握っていると、ルウェンナがそれに気づいてそっと手を重ねてきた。少しビクリとして隣を見ると、ルウェンナは生死の道理を知る存在であるかのように崇高に見えた。
「灯りが欲しい時に火をたかなくてすむから、この石は実際重宝している」
そう言いながらチェルクは石を握りしめ、うろの奥の方へ進んでいった。ルウェンナに手を引かれたポルテットを先頭に8人もついていく。動物の皮で作られた簡素な仕切りがあり、その奥は寝室であった。家族の寝台3つが並んでおり、一番奥の寝台でとても小柄な女性がか細く息を立てて眠っていた。
「お母さん、ただいま」
とルウェンナが声をかけたが、女性は目覚めなかった。ポルテットは導かれるままに寝台の側へと歩み寄った。ルウェンナの右手にもいつの間に持っていたのか、光る石が握られている。
「お母さん。ポルテット、友だちよ」
女性の顔にほのかな明かりが影を作る。髪は透き通った緑色をしていた。この色にポルテットは見覚えがある。この大樹の葉の色だ。
「あのね、ポルテット。あたしのお母さんはこの木なのよ。お母さんはしゃべらないし動かないけど、あたしたちを見てるのよ。今だって本当は起きてるんだから」
寝台に横たわり人の姿をしたこの女性が木であるという。にわかに信じがたいが、ポルテットはなぜだか納得できた。穏やかに微笑んでいるとも泣いているとも見えるこの女性は、ルリの森がもつ原始的な神秘の具現であるように感じた。まさに木の魂であるように感じた。
「ねえ、ポルテット。お母さんは木で、お父さんは人で、あたしは何だろうね」
同じように神秘的な瞳を少し伏せ、ルウェンナはそっと隣のポルテットに告げた。
「ルウェンナはルウェンナだよ。何だとしても僕の友だちだよ」
ポルテットがそこまで言うと、チェルクがふたりの背に優しく手を触れた。
「さあ、食事にしよう。ルリは君たちを歓迎しているようだ」
何気なく「ルリ」と聞いて、ポルテットもごく何気なく寝台に横たわる女性を振り返った。その周りに微風がただよっているような、光を放っているような、しかし目ではとらえられない雰囲気のような何かが、女性の内側からにじみ出ているように感じた。
(「ルリ」とは、この人のことなのだろうか…)
ポルテットは目の前の不可思議にただ圧倒されていた。
ファレスルが腕を振るうまでもなく、木の内部での食事は完成されていた。きのこも菜っ葉も漬け物にされ、細かく挽いた穀物は水で練られてそのまま団子になっている。
「火を使わなくてここまでうまいものが作れるのか。勉強になるな」
その賞賛に目を細め、チェルクは果実の砂糖漬けも出してきた。
「温かいものをとりたい時もあるから、まったく火を使わないわけではないよ。しかし今日は少し乾燥しているから用心してね」
空気が乾燥しているなど、ケーワイド始め8人はまったく気がつかなかった。ポルテットが横のルウェンナを見ると、小さくうなずいていた。
夜は寝室の床に動物の毛皮を敷き、全員で雑魚寝した。チェルクとルウェンナは寝台で寝ればよかったのだが、ルウェンナが友の隣で眠りたいと聞かなかったのだ。ポルテットが「おやすみ」と声をかけようとすると、ルウェンナは身体を横たえた姿勢のまますでに眠っていた。
「………」
息をしていないかのようだ。ポルテットは少し不安になり、ルウェンナの指に触れた。するとルウェンナは大地に根を張り巡らすように、自身の指をポルテットの指にからめ、そのまま頬に引き寄せた。ルウェンナの頬はあの花畑の香りがし、あの土のようにしっとりと水分を含んでいた。ほんのかすかに生えている産毛が、生まれたての若草のようにくすぐったい。
ポルテットの心に森の風が吹き抜けていった。




