第七十七話 翼
フーレンの家は非常に粗末で小屋のようなものであった。白い人たちは魔法使いであるフーレンを恐れており、モクラス山脈の外側へ遠征するまでは、近所に住んでいようと姿も見たことがないという者がほとんどであった。魔力を持つ鳥フェアレが側にいる以外は天涯孤独で、何からも疎外されていたフーレンを見出し、力になってほしいと説得したのはフィレックであった。
広場での演説を成功裏に終えた翌日、フィレックはフーレンの家を訪ねた。あの決戦の日から5日間も家から出ていないとも聞く。再度の出発に際してまた説得したいという思いもあったが、何よりただ心配であった。
「フーレン、私だ。入るぞ」
たてつけが悪い扉を殴るように開けてフーレンを探す。居間と台所にはいなかった。
(まだ休んでいるのだろうか)
そう考えながら寝室をのぞくと、フーレンは寝台から身体を起こし座った状態で窓の外を見ていた。窓を開け放ちボロボロの外套のような上着を肩にかけている。
「フーレン、いたのか。具合はどうだ? 食事はとっているのか?」
まったく反応しない。ケーワイドに手ひどい目にあったのだから無理もない。口元が何かで汚れている。食事はしているようだ。
「話すのがつらければ構わないが、今の魔力の状態を教えてくれるか? フーレンの魔力の源は翼なのだろう?」
しばらくフーレンは無言であったが、一言ポツリと、
「…翼……」
とつぶやいた。そのか細い声が胸に刺さり、フィレックは慰めようとフーレンの肩に触れた。するとフーレンは上着の内側から真っ白い右翼を広げ、そしてゆっくり左翼も広げた。
「な…、何? どういう…」
トゥライト平原でケーワイドに切り落とされたはずの左翼が生えていたのだ。
「良かった、また生えるものだったのか。それにしても早いな」
フィレックはホッと安堵し、フーレンの新しい左翼をまじまじと観察した。しかし右翼とは明らかに色が違い、羽そのものが淡い緑色に発光していた。この色には見覚えがある。ふと床を見ると、フーレンの左翼と同じ色をした小さな羽が寝台の脇に落ちていた。
「この羽はフェアレの…」
フーレンが冷たい目でこちらを見た。全身の血が凍りそうだ。
(フーレンの口元の汚れはなんだ? フェアレはどこにいる? なぜフェアレと同じ色の翼がフーレンに生えているんだ?)
「フーレン……、フェアレを食ったのか?」
恐る恐るそう問うと、フーレンはうつむいて、
「魔力を元に戻すには、これしか……」
と言ったきり微動だにしなくなってしまった。
(ああ、なんてことだ。鳥の肉ぐらい誰だって食う。しかしずっと自分の側にいた相棒のような存在を自ら捕らえ食らうとは…!)
フーレンにそっと手を伸ばし、荒れ放題の白い髪をかき上げると、フーレンはほんの少し眉をゆがめていた。口元の汚れはフェアレの血なのであろう。フィレックはフーレンに口づけし、そのまま汚れをゆっくり丁寧になめとった。開いたままの窓から乾いた風が容赦なく入ってくる。フィレックは顔を離したが、フーレンの表情は変化がないままだった。
「フーレン、すまない……」
次の出発についての覚え書きを枕元に置いて、フィレックはフーレンの家から逃げるように出ていった。




