第七話 ケーワイドの問い
最初の夜は野宿であった。一の月は半月だが明るい夜だ。
アイレスは眠れなかった。隣で毛布にくるまっているドゥナダンの寝顔に、「ごめんなさい」とつぶやいた。ドゥナダンがこの3日間、どれほど悩んだかを想像すると、胸がしめつけられる。愛してくれていることも、自分に厳しい一面も、アイレスは誰よりもよく分かっている。何も知らない自分がついてきて良かったのか、実力があれば、ドゥナダンを愛していれば、それでいいのか。
「……アイレス、起きているか?」
ケーワイドのしわがれた声だった。
「はい…」
「少し話そう。皆を起こしてしまうから、あちらで」
ゆっくりアイレスは立ち上がった。ケーワイドは杖をつき、さらにゆっくり立ち上がった。柔らかい草地で眠る一行から少し離れ、ちょうどいい石をふたつ見つけて腰かけた。
「ドゥナダンから、この旅の目的をどれほど聞いておる?」
月明かりに背後から照らされ、ケーワイドの表情がよく分からない。悲しんでいるようにも怒っているようにも見える。
「ドゥナダンからは……、何も聞いてないんです。一方的に婚約だけ解消されて。デ・エカルテへ行くってことはお父さんから聞いたんです」
ケーワイドは深くため息をついた。
「そうか、テンクスだったか。テンクスからは? 何か聞いておるのか?」
「実は…、何も聞いてないんです。『危険の伴う任務で旅に出ることになった』と、それだけなんです」
「いくらドゥナダンから離れたくないとはいえ、何も知らぬままで来ることに不安はなかったのか?」
ケーワイドが自分を見極めようとしている。アイレスはそう確信した。慎重に言葉を選ぶ。
「それより、さっきも言いましたけど、ドゥナダンたちが必要になるなら相当危険なはずだと直感したので、ドゥナダンを……、死なせたくない、守らなくちゃと思ったんです」
クスッとケーワイドは笑った。
「先ほどの手段を選ばぬ戦いぶりからも、アイレスは強い信念の持ち主なのだと感じた。ドゥナダンはアイレスを守るつもりのようだが、逆なのかも知れんな。そこを見込んで、アイレスにも話そう」
ケーワイドは懐に手を入れ、布の包みを取りだした。そして中から小さな石を丁寧につまみ出しアイレスに見せた。青緑色をしているが、時おり紫や桃色や黄色にも見え、内側からかすかに発光している。
「10日ほど前、デ・エカルテのキリ山が噴火したのを知っておるかの? この石は『ワールディア』といい、そのキリ山の火口深くに眠らせていたものだが、噴火のために吹き飛ばされてしまった。そして遠く離れたウェール村に落ちてきたのだよ」
「じゃあこれをデ・エカルテに……」
懐に包みをしまいながらケーワイドはうなずいた。
「持っていくのが我々の目的だ」
主旨は分かった。しかし長旅とはいえ危険が伴うとはどういうことか。アイレスの疑問は晴れなかった。まっすぐアイレスに見つめられ、ケーワイドは杖を抱きしめるようにして話し始めた。
「……行動を共にする以上、何が起こりうるかアイレスにも知らせておかねばならん。アイレスは白い国を知っておるな?」
「はい……、山の向こうの…」
アイレスはそれ以上のことを知らなかった。
「我々のウェール村の背後に連綿と連なるモクラス山脈。この山脈は切れ目なく輪を描いておる。そしてその内側に住むのが白い人だ。我々はあの地を白い国と称しておるが、痩せた土地で原始的な生活をしており、組織だった国の体をなしていないと考えられておる」
「ケーワイドも詳しく知らないんですか?」
「モクラス山脈がどれほどの高さか知らんか? なぜ行き来がないのか、それはあまりにも高い山々が切れ目なく連なっておるからだ。心肺が無事なまま踏破できる者はおらん。……しかしフォアルは違う。あれはモクラス山脈最高峰の頂上で生まれ、同時に羽化した兄弟のうち1羽は巣立ち後、白い国に降りたと聞く。兄弟同士の精神感応でもって向こうの様子を知ることができるのだ」
ケーワイドはこの世のすべてを知っているように、どんなことでもできるように見えたが、人としての限界を超えた能力はないようだ、とアイレスは思った。
「それで判明したのだが、白い人たちがこの石を手中に納めようとしておるということだ」
アイレスはハッとした。危険が伴うというのはこういうことか、と。
「我々としては一刻も早く、白い人たちが山を越え追いついてくる前に、デ・エカルテへ着かねばならない。しかしこれを奪うためどんな手段をとってくるか予想だにできん」
静かで何もない夜。まれにねずみか何かが足元を通り抜ける。ケーワイドはゆっくりとアイレスの方を見て、ためらいがちに聞いた。
「後には引けんぞ。まだ帰れる。率直に聞こう、この任務に命をかける気はあるか?」
遠くで鳥の低い鳴き声が聞こえた。草が風にそよぐ音がかすかに耳に届く。アイレスは決断できなかった。
「………」
「…今日ついてきて、今このような話を聞いて、『命をかけるか』と言われても難しかろう。しかしいざという時、ドゥナダンの命ではなく、自分の命でもなく、この石を守りデ・エカルテに届けることを優先させなくてはならん。できるか? アイレス」
アイレスは決断できなかった。