第六十話 突然の恐怖
パラパラと降る小雨が体温を奪っていく。ポルテットは外套を頭から被り、しっかり前を閉じて歩いていた。濡れた草を踏みしめる度に青臭い匂いが鼻まで漂ってくる。雨も悪くない、とポルテットは思った。
「トゥライト平原に着くころにはやむといいな」
とオクシロンに言われて、ポルテットはすぐ横を見上げた。
「そうですね。天幕を張るのには不便ですね」
雨の中歩いていると言葉少なになりがちだ。しとしととそぼ降る雨は霧のように視界を遮り、ローホー山も見えなくなっていて距離感もつかめない。
大きな岩がいくつか並んでいる場所を見つけ、風を避けながら休憩をとることにした。
「あ、僕ちょっと…」
ポルテットは用を足しに立ち上がり、集団からいそいそと離れていった。
「気をつけろよ。地面がぬかるんでる」
周囲から優しい声がかかった。ポルテットは普通の子ども並の体格だが、脚力があり援軍の早歩きにもよくついてくる。それでいて明るく元気で、その姿が健気に思えるのだ。ケーワイドの思惑通り、ポルテットはショーラ町の人たちから受け入れられていた。
低木に向かって立ち小便をし軽く身震いすると、それが合図であるかのようにポルテットを耳鳴りが襲った。キー…ンという音がやむと少しめまいがした。
(なんだろう、冷えて風邪でもひいたかな)
軽く手をふいて急いで大岩の元に戻ろうとした。しかしほんの数歩ほどの距離だったはずの大岩はどこにも見当たらない。進めば進むほど霧が濃くなっていく。自分が草をかき分ける音しか聞こえてこないのも、ポルテットの背筋を寒くさせた。
(なんで誰の声も聞こえないんだ? そんなに離れてたっけ?)
誰かがこちらへ近づいてくる。
(4人? いや、5人だ。まずいぞ、これは……)
ポルテットは剣の柄に手をかけ、周囲の動きに集中した。
「しかし、この雨には参ったのう」
「昼食の間ぐらい簡単に天幕を張るか。準備してくれ」
「かしこまりました」
ケーワイドはミグラルと共に石に腰かけていたが、ローホー山の方向を確かめるために立ち上がった。
「おい、爺さん。水たまりにはまるなよ」
ミグラルの軽口を鼻で笑って、
「うるさいわい、この老いぼれが。そっちこそ立ち上がれなくても手は貸さんぞ」
と言い返した。魔法で地図を広げて、太陽があると思われる方向や風向きを確認する。
(視界が悪すぎる。ローホー山と日の位置さえつかめれば…)
そう考えながら目を上空へやると、キーンという耳鳴りが聞こえてきた。
(しまった、この音は!)
慌てて周囲を見渡すと、ケーワイドは濃い霧にとらわれ何も見えなくなっていた。
ショーラ町の援軍の面々は天幕を軽く張りながら昼食の支度を始めた。周辺の木々は濡れているので木炭で火をおこす。
「温かいものを腹に入れないと進めないよな」
「早くやんでくれるといいが」
全員の耳にキーンという耳鳴りが聞こえてきた。音が広がるのに呼応して霧が濃さを増し、自分の足元さえも見えなくなった。霧に消されるように木炭の火が消えていく。
「なんだ、この音? しかし随分と霧が濃くなってきたな。…………。おい、返事ぐらいしたらどうだ? …おい、おい! 誰か返事をしてくれ!」
援軍の一人ひとりが同様に霧に飲みこまれ、自分の声しか聞こえなくなっていた。




