第五十八話 白い人の笑顔
突風が収まると村長らの前にはふたりの白い人の姿があった。ひとりは翼のある魔法使い、もうひとりは車椅子に座する青年であった。
「………」
「………」
ウェール村の人たちはトリドを含めて一言も発することができず、初めて口を開いたのは車椅子の青年だった。
「…ウェール村の者たちだな? どうしてあの防壁魔法を破れた?」
村長が呆気にとられているのを見てトリドが話し出した。
「破ったわけではない。山麓に新たな横穴を掘っただけのことだ」
白い人の青年は鼻で笑い、しかしはっきりした声でさらに続けた。
「『魔法は万能じゃない』。魔法の最大の原則を忘れていたな、フーレン? しかしそれはどうでもいいことだ」
(やはりあの魔法使いはフーレンというのか)
翼のある魔法使いがフーレンと呼ばれて、そして「どうでもいい」と言われてシュンとした様子なのを見て、トリドは改めてそう思った。
「とにかくケーワイドがかけた魔法を解くきっかけを寄越したのは、そこの男だ」
そう言って青年はトリドを指差した。
「私はサブラ・フィレックという。これはウィルネ・フーレンだ。お前は?」
名を問われて戸惑ったが、トリドは正直に名乗ることにした。
「私はユニ・トリド。ガダン・ケーワイドに師事している魔法使いだ」
師匠の魔法を破る手伝いをしてしまった、とトリドは改めてあの時フーレンに治癒魔法をかけたのを後悔した。フィレックと名乗った男は、
「トリドというのか。トリド、お前がかけた治癒魔法のお陰でフーレンは目覚め、結果私たちも目を覚ますことができた」
と言って笑ったように見えた。とはいえフィレックは顔全体を白い布で覆っているので表情は読めない。
「礼を言おう。非常に助かった」
笑っているのだろうか? やはりよく分からない。トリドはどう反応していいか分からなかった。
「どう…、いたしまして…」
そうとしか返せない。白い人には自己も感情もないとケーワイドや兄弟子に教わり、さらにウェール村に面した横穴から無表情で出てきた様子を見て、その通りだと思っていたが、今トリドたちに対峙している白い人は間違いなく感謝の言葉を述べ、あまつさえ微笑んでいるように見える。
(ケーワイドたちに迫り『ワールディア』を手中に収めようとしていると聞いたが、これは何か深淵な理由があってのことなんじゃないか?)
いたずらに『ワールディア』を我が物にするような輩とは思えなかったのだ。
「しかし我々にも譲れないものがある」
フィレックが重々しく告げ、村長と村役人は我に返った。
「どういうことだ!?」
「なぜケーワイドらを追っている?」
「お前たちには分かるまい。あの石を手に入れることが我々にとってどのような意味を持つかなど、な」
フーレンの周りの空気が渦を巻き始めた。トリドは身体を弾くようにしてそちらへ駆けた。
「待て、フィレック! お前たちの目的はなんだ!?」
瞬時にフィレックとフーレンの姿は消え、かすかなそよ風だけが残っていた。トリドはすぐさましゃがみ、大地に耳をつけ何かの気配を探っている。それを見た村長は、
「トリド、何をしている?」
とたずねた。
「フーレンの様子が、ふたりを移動させるにはあまりにも気合いが入っていたような気がしたので……。…やっぱりだ。8000人近くの白い人も一緒に移動しています」
「なんだと?」
「どういうことだ、トリド?」
目を閉じてじっくりと大地の鼓動を聞いていたトリドは、やがてゆっくり頭を上げた。
「大まかにしか分かりませんが、恐らくフィレックたちは白い人の大群に合流し、なおかつ全体で私たちを追い抜いていったようです」
村役人はトリドに手を差しのべ助け起こしながら、
「何!? ケーワイドたちに追いついたというのか?」
と問いつめた。
「…そこまでは分かりません。何千人もの気配は大地の鼓動を聞けばつかめないこともないので、私たちより先へ行ったことぐらいは分かります。ですがいかんせんケーワイドたちはたった8人なので、元々よく分からないのです。そもそも居場所が分かるならとっくにそちらへ向かってますよ」
「それもそうか、分からないのだな…」
「というかトリド、そんなことも魔法で分かるものなんだな」
「ケーワイドたちには追いついていないと祈るしかなさそうです」
村長はこのところ深さを増した眉間のしわをさらに寄せてそれを聞いていた。
(追い抜かれたのは確かなのだろう。ああ、我々にできることは…!?)
進行方向である西に沈む夕日を見つめ、村長は唇を強くかんだ。
フィレックが意識を取り戻すと、目の前には夕日を背景にした山が悠然とそびえ立っていた。フィレックは地図を取り出し現在位置を確認する。
「あれはローホー山だな。ケーワイドたちには追いつけなかったか」
フーレンは白い顔を一層青白くさせて今にも倒れそうであった。肩で息をしているフーレンを見て、
(我々全員の目を覚まさせ、さらに移動魔法を使ったんだ。少し休ませよう)
と思った。日暮れも近いのでその場で露営を張り休むことにした。
「フィレック様、毛布はここでよろしいですか?」
「そうだな、ありがとう」
「お着替えはここに置きますね」
「ああ、助かる」
フィレックに付き従う者の他も、脚のないフィレックのためにと力を貸してくれる。談笑することすら増えてきた。笑わないのはフーレンだけだ。
「よし。明日からは山を迂回して、このテイノ町の脇を通り過ぎる道をとることとしよう」
「承知いたしました。皆に通達します」
「頼んだぞ」
しばし徒歩で進みつつ、この星の大自然を余すことなくフーレンに見せてやろう。フィレックはそう思った。




