第五十四話 たったひとりの人
2日がかりで丸太舟は完成し、あまりの手際の良さにファレスルは、
「私たち船大工の才能ありますね」
と誇らしげに言った。しかし作業の早さとは裏腹に、トールクの過去の話は至極ゆっくりと進んでいた。ようやくふたりが結婚するところまで話が進んだのだ。
「じゃあ奥さんのご親戚とは、それ以来会ってないんですね」
「さらうようにして連れてきてしまったからな」
一言話す度、トールクは何度でも思いにふけってしまう。静かに見えて実は誰よりも情熱的なのだ。
「あいつは孤児のようなものだったから、勝手に私と結婚したのも気に食わなかったんだろう」
「でも、それを分かってて駆け落ちしたわけですよね?」
「そうだな。我慢できなかったよ、あいつが閉じこめられてるのは。さあ、これで完成だ。乗ってみようか」
そろそろと小舟に乗りこみ、川の流れに身を任せた。乗り心地は悪くない。
「ポルテットでしたっけ? 空飛ぶ舟で酔ったのは」
「……」
またトールクは無言になる。ファレスルはそれに慣れてきた。
「…いや、違う。我慢できなかったのは私の方だ」
「はい?」
「さっきの話だよ。あいつが閉じこめられてるのが我慢できなかったんじゃない。あいつを自分だけのものにしたいという私自身の気持ちに抑えが効かなくなったんだ」
舟に乗る前に話していたことだ。ずっとトールクはそれを考え続けていたというのだろうか。ファレスルはキョトンとし、そして笑いをかみ殺して、
「そうですか、そうですか」
とうなずいた。
(この人、天然なんだな。いや、奥さんに浮かされてるだけかも。結婚して10年以上経つんだろ? すごいな。子ども5人もいるわけだよ)
飛ぶように過ぎていく景色を眺め、トールクとファレスルはたくさんの話をした。うまく舵をとれれば何も難しいことはない。流れに乗ってあっという間にカイシキ村にたどり着いた。ワン川とユン川の分かれ目に位置し、大規模な堤防が築かれている。船着き場には大小様々な船が停泊していた。物流の要点であるようだ。トールクたちも小舟をとめて村に入った。市場は活気にあふれているが、こぢんまりとしている。
「人口は多くなさそうですね」
「住民のほとんどが運搬業やら、物流に携わっているらしいな」
村長も元は船乗りだったようだ。民家かと思うほど簡素な村役場は、ウェール村の役場や集会所よりも小さかった。
「ほう、舟を手ずからお作りになったと! 後ほど拝見いたしたいですな」
「とんでもございません。丸太をくり抜いただけの原始的なもので」
「何もないところから作り上げる気概を見たいのですよ。趣味のようなものです」
気の置けない男だ。村長自らが率いて1500人の援軍を割いてくれることになっていた。
「早速明朝に出発しよう。構いませんかな?」
「もちろんです」
「よろしくお願いします」
トールクたちの体力の消耗もさほどではないため、一晩休んですぐに出発する。宿では少し酒を飲み、ファレスルの作った干し肉をちびちび食べた。トールクの話はさらに続く。
「ファレスル、恋人はいないのか?」
「1年前にとある女性と別れたきりですね」
「いい恋をしろよ、な?」
トールクは酒には強くないようだ。トロンと眠そうな目をしてファレスルの肩を何度も揺すった。
「そうですね。芯があってまっすぐな女性に出会いたいですね」
「必ず会えるよ…」
そう言いながらトールクは目をしばたたいた。ファレスルはどんなに飲んでもなんともない。
「トールク、もう寝ましょう。明日は出発ですから」
「会えるよ、エルナのような…、素晴らしい女性…に……」
トールクは寝台に身を預けてすぐに寝入ってしまった。あまりに身体が大きくて脛の半分より下は寝台からはみ出ている。
(エルナさんっていうのか、トールクの奥さん)
落ち着いた瞳の奥でいつも妻を思っているトールクがうらやましくなった。
(会えるといいな。たったひとりの人に)
ファレスルも寝台に横たわり毛布を引き寄せた。人恋しい夜は少し肌寒い。




