第五十三話 トールクと妻との約束
ワン川沿いの船着き場を見つけたが、小舟は底が抜けていて使えそうになかった。
「あちゃー、これじゃ駄目ですね」
ファレスルはトールクを仰ぎ見て頭をかいた。トールクも小さくため息をつく。
「どうしましょうかね? 飯でも食べて考えますか」
小鍋を取り出しながらファレスルはその場に腰を下ろした。考える気はあまりなさそうだ。
「歩くか、舟をどうにかするか、ふたつにひとつだろうな」
冷静なトールクの意見を話半分に聞きながらファレスルは火を起こした。
「舟ねえ、どうにかするって?」
「作ったらいいだろう」
「はい?」
突拍子もない提案がトールクから出て、ファレスルは動揺のあまり匙を鍋の中に落としてしまった。
「作るって? 木からですか?」
「もちろん。ファレスルのその大剣で木は倒せるだろう?」
「いけると思いますけど…」
できあがった汁物を受け取りながらトールクは続けた。
「幼馴染みに船大工がいてね、若いころはいかだや丸太舟を一緒に作って探検したものだ。あそこの木なら丸太舟にできそうだが、どうだ?」
トールクが指さした大樹を見てファレスルは、
「本気ですかー…」
とつぶやいた。
「…フンッ!! アァッッ!」
ファレスルが威勢のいいかけ声をあげる度、大樹は確実に傾いていった。その間トールクは舟を作る道具の代わりになる石を探しに行った。
「よし! トールク! 倒れますよー!!」
ズーン…、と周囲に轟く音をたてて大樹は倒れた。
「よくやった、よくやった。大変だったな。舟は私が形にするから、櫂を作ってくれ」
「お安いご用です!」
調子がついてきたファレスルをうまくおだて、トールク自身は大きなのみのような形の石と、それを打つ用の石を持ち出して丸太に向かった。
(あれ、そういえばトールクって、小刀すら使ってるところを見ないな)
ファレスルは今までのトールクの様子を思い出してそんなことを考えた。縄を切るとか、そんな場面ですらどこかから拾ってきた石を使い、すぐに道端に戻している。
「トールク、聞いてもいいですか?」
袖をまくってトールクは振り向いた。鳶らしい非常にたくましい腕だ。
「なんだ?」
「どうしてトールクは武器を持ってないんですか? 護身用はもちろん、小刀すら持ってないですよね。料理の時とか不便でしょう?」
「料理はファレスルに任せるとして」
と言いながらトールクは水筒の水を飲みほして答えた。
「妻とね、約束したんだよ」
「奥さんと? 何て?」
じっと手を見つめて、トールクは噛みしめるように話し出した。
「…絶対にこの手で人を殺さないって。自分や子どもたちを抱くこの手で、人の命を奪わないって」
日が陰ってきている。夕暮れの風は冷たくなってきた。ファレスルは川から新しい水をくみ、鍋で沸かして茶を入れる支度をした。
「奥さんはどんな方なんですか?」
「優しい女だよ。触れると折れそうなぐらい細くて小さいし、虫ひとつ殺せない。でも人の心を踏みにじることも、命をないがしろにすることも、頑として許さない」
普段トールクは多くを語らないが、妻のこととなると別のようだ。ファレスルはもっと聞いてみたいと思った。
「出会いは? ウェール村の方なんですよね?」
トールクは「聞いてどうするんだ」と笑って茶をすすり、少しまぶたを伏せて思いにふけり、ワン川のせせらぎのように静かに語り始めた。




