第五十一話 この世の不思議すべてをあなたに
山の尾根の向こうにローホー村が見えてきた。周囲に茶畑が広がる小さな村だ。セプルゴはユーフラに心中を打ち明けると無言になってしまった。やはり普段は空元気なのだ。
「ゆっくり降下するわね」
「ありがとう…、なあユーフラ、さっきの話だけど」
ユーフラがセプルゴの方を振り返ると、神妙な面持ちで何かを話そうとしていた。
「さっきの話って? どうしたの?」
器用なことにセプルゴは、竜巻に乗りながら膝を抱えてうつむいている。
「私はさ、家族が安心して暮らせるようになればと思ってここまで来たんだ。嫁さんと生まれてくる赤ん坊のためなら、どんなことにも立ち向かおうって決めたんだ。それなのに……」
「セプルゴ…」
「あいつの方が大変なはずなのに、笑顔で『元気な赤ちゃん産むからね』って送り出してくれて…、ああ情けない、こんな怪我ひとつで駄目だな、私は。ユーフラ、活を入れてくれないか? こんなこと他の人には頼めないよ」
魔法で人の心までは変えられない。ユーフラはそれでも魔法を使うことにした。正面に日が傾きかけていることを確認し、魔法で水筒を取り出した。そして空中で後方を振り返り、
「見て、セプルゴ!」
と朗らかに言って水筒の中身を眼下の森にまいた。
「えっ? ユーフラ、何やってんだ!」
いたずらっぽくユーフラは笑い、魔法で風を起こした。その風に乗って水は雨粒のように小さい水滴になりながら輪を描いていった。太陽に薄くかかっていた雲が晴れていく。
「ほら、よく見て」
目を凝らすまでもなく、ふたりの前には鮮やかな虹が現れていた。
「うわ、え? え? 虹? ユーフラが出したのか?」
満面の笑みで問うセプルゴを見て、ユーフラは負けじと明るく答える。
「簡単よ。朝夕に水まきしてると虹ができることあるでしょ?」
「ああ、あれか。やろうと思ってできるんだな」
感嘆しきって瞳を輝かせているセプルゴの顔をのぞきこんで、
「セプルゴ、元気出して! わたしがこの世の不思議をすべて見せてあげるから。奥さんと赤ちゃんに何を話してあげようか考えながらなら、どんな道のりだって楽しめるでしょ?」
とユーフラは微笑んだ。セプルゴはつられて笑いながら、
「確かに今のは驚いたな。痛みなんかぶっ飛んだよ」
と言って胸をさすってみせた。
「しかし一番の不思議は、ユーフラと話してるとこうも楽しいってことだな。ファレスルたちとも違う、気分がスカッと晴れる感じだよ」
セプルゴはニカッと歯を見せてユーフラの肩をバシッとたたいた。
(ああ…)
ユーフラは消えゆく虹を名残惜しそうに見つめながら、
(こんな友人が今までいたかしら。ああ、セプルゴの幸せな笑顔を守るためなら、わたしはきっとなんでもできる)
と思った。
「ありがとう、ユーフラ」
その「ありがとう」という言葉の、なんと美しいことか。
「わたしこそ…、ありがとう」
ユーフラの長く繊細なまつげが風に揺れる。
「何もしてないよ、私は。変なやつだな、ハハッ」
そう言ってセプルゴはユーフラの頭をグシャグシャとなで回した。ユーフラが「もう」とにらむと、セプルゴは少し舌を出した。
「さあ、もうすぐ降りるわよ」
「頼むよ」
大地に足をつけ踏みしめた。ローホー村は目の前だ。茶葉の芳香が村全体に漂っている。何人かの素朴な村人とすれ違ったが、皆いぶかしげにセプルゴたちを眺めていた。
「くっ…」
傷が痛むのかセプルゴはその場でよろけて立ち止まった。
「大丈夫? 役場より先に宿を探す?」
「んー、悪いな。夕方はいつも痛むんだ」
「それはそうよ。怪我を押して1日身体と神経を酷使するんだから。いいから休んでて」
目に留まった宿へセプルゴを押しこめ、ユーフラひとりで村役場へ行った。ローホー村の援軍は約2000人。山あいの村で狩猟が盛んなためか、弓隊が中心であった。紹介された宿はちょうど自分たちが見つけた宿と同じところだったので、ユーフラは安心して休めそうだと安堵した。
ローホー村は果樹と茶葉が主な農作物だ。いくつかファレスルに買っていくことにした。宿にたどりつき、人好きのする女将にセプルゴの様子を聞くと、
「ご主人はよく眠っておいでですよ」
と返ってきた。
(わたしの「主人」じゃないのだけど。部屋を別にとったのに分からないのかしら)
ともかく起こさないように様子を見ることにした。日が落ちてすぐにもかかわらず、本当にセプルゴは眠っていた。汗が大量に流れている。
「……うぅ…ッ…」
かすかにうめく声を聞き、ユーフラはセプルゴの額に触れた。燃えるように熱い。疲れが出たのだろう。
(無理してたんだ…。いくら気分が晴れたって、これでは出発できないわ。明日からどうしよう……)




