第三十九話 ポルテットを襲う誘惑
沈みゆく夕日を見つめて、ケーワイドはさらに話を続けていた。歩きながら口を動かし続けているとくたびれるので、道中の半分ぐらいは無言であったが、ポルテットは「もっと聞かせて」とさらにせがんだ。
「今夜はここらで休むとしよう。魔法使いがデ・エカルテに住み着くようになった経緯を話して、今日は終わりにしようか。さすがにしゃべり疲れたわい」
「はい。夕食は僕が用意しますね」
「では、温かい物を腹に入れながら話して進ぜよう」
ポルテットはニコリと微笑んで周囲に薪を探しに行った。その間にケーワイドは石を集めて簡単なかまどを作った。携行食だけでは味気ないと、ファレスルが青菜に塩と少々の酢をもみこんだ物を持たせてくれた。塩を払ってそのまま食べてもいいし、湯をかけて汁物にしてもいい。いつの間に作ったのか、干し肉や干し魚もあった。食後に熱い茶を入れ、ホッと一息つく。
「ケーワイドはデ・エカルテに行ったことがあるんですよね」
「そうさな、何度行ったか覚えていないほどだ。私の故郷もその近くなのだよ」
「そうなんだ。やっぱりデ・エカルテには魔法使いが多いんですか?」
自身の過去を思い出し、ケーワイドは目を閉じた。デ・エカルテへ行くからには、必然的に故郷を通過する。
「うむ。今はデ・エカルテの住人の半分強が魔法使いだが、キリ山に『ワールディア』を封印したころは、ほぼ全員が魔法使いだった」
「『ワールディア』をキリ山に封印することになったのはどうして? 魔法使いが多いから?」
小さな虫の鳴き声が聞こえてくる。普段の就寝前はファレスルやセプルゴやドゥナダンが大声で談笑しているが、今夜は夜が奏でる音が穏やかに耳に届いてくる。ポルテットはじっとケーワイドの返答を待った。
「どこからともなく、『ワールディア』がキリ山のふもとに落ちてきた。それだけのことだ。どこにやろうと危なっかしい代物だ。この際キリ山に眠らせてしまおうと考えたらしい。魔法使いが住むようになったのはそれ以降のことだ」
「それって、いつごろですか?」
「……10万年ほど前だ」
ポルテットは驚いて息を飲んだ。とても実感できるような年数ではない。ケーワイドは懐に手を当ててさらに話を進める。
「10万年にも渡ってキリ山の火口深くに、この小さな石は眠っていたのだよ。それほど強力な封印魔法が必要だったということだ。今ここにある小さな石がどれほどの物なのか、考えるだけでも身が凍るというものだ。死火山だと思っておったのに、な」
「………」
「さあ、もう寝よう。いささかしゃべりすぎた」
杖を頼りにしながらケーワイドはゆっくり立ち上がった。
その夜はとても静かで、静かすぎてポルテットは眠れなかった。少し周囲を歩こうと頭を上げ、ケーワイドの防壁魔法で囲まれていることに気づいた。
(そうだった、出られないんだ。参ったなあ、用を足しにも行けない)
そう思ってケーワイドを見ると熟睡しきっていた。起こすにはしのびない。
(いいか。それほどしたいわけでもないし)
毛布を整えて再び寝ころんだ。ケーワイドは腹の上で手を組み、微動だにせずに眠っている。ポルテットは先ほどケーワイドが話してくれた『ワールディア』のことを思い出した。あの石を実際に見たのは、呼び出されて長旅に同行するよう請われた時だけだ。
(どうしてあんな小さな石のためにみんな必死になるんだろう)
自分自身も出発前に話は聞いたが、命をかけるほどの力を『ワールディア』が持っているとは信じられなかった。路傍に転がる石と何が違うというのだろうか。
(そんなにすごい石だったかな。僕はよく見てなかったんじゃないかな)
規則的に寝息をたてるケーワイドの襟元をそっとのぞくと、懐の奥深くに小さな包みが見えた。黙っているとシー…ンと耳鳴りのような音が聞こえた。ポルテットは自分の衝動を抑えることができそうになかった。




