第三十八話 この星の来し方
ケーワイドとふたりきりになっても相変わらずポルテットは様々な物に興味を示しながら、時に鼻歌を歌いながら、トコトコとケーワイドについてきた。年老いた祖父と孫が連れだっているかのようだった。
「ケーワイド、この間川が逆流したの、あれなんでですか?」
「あれは大潮といってな、月と太陽に海の水が引っ張られるのが原因だ」
ポルテットは何でも聞いてくる。
「どうしてケーワイドは何でも知ってるんですか?」
そんなことまで聞かれ、ケーワイドはすっかり面食らった。
「何でも? そんなに私は物知りじゃあないぞ。勉強家でもなかったし」
「でも僕が知りたいこと全部知ってる」
屈託のない笑顔はどんな人も心の垣根を取り払ってしまう。一同から離れてふたりで話していると特に顕著に感じられた。ショーラ町への長い道中、爽やかな風とポルテットの明るい声があれば飽きることはなさそうだ、とケーワイドは思った。すでに日は南中しており、分厚い外套では蒸すようになってきた。
「なんで風が吹くと涼しいんだろう。ケーワイド、なんでですか?」
「風が吹くから涼しいというより、汗が風で乾くから涼しいのだよ」
「ふーん、なんで?」
「なんといったかの、あの現象は。水分が蒸発するとき……」
「気化熱! ですよね?」
目を輝かせてポルテットはケーワイドの横で跳びはねた。
「さよう。よく知っておるな」
「そっか、だから涼しいんだ」
「自然科学に興味があるのか?」
青い空を見上げて、ポルテットは両手を太陽にかざした。
「そうですね。あのね、僕、実は教師になりたいんです」
「ほう」
「知らないことが分かるって楽しいでしょ? だから生徒を持って一緒に勉強できたらいいなって」
はにかんだポルテットのまつげを風が揺らしていく。無限の可能性がある若者は明日を生きている。ケーワイドはほんの少しだけポルテットをこの旅に連れてきたことを後悔した。
(『ワールディア』を守るためなら手段は選ばないと割り切ったつもりだったが……)
ウェール村に帰れる保証のない長旅。ケーワイドは今ポルテットの望む話をすべてしてやろうと思った。
「ではせっかく余計な茶々が入らないのだから、何でも聞かせてやろう。未来の生徒のためにもな。何が聞きたい?」
ポルテットは「うーん」と悩んだ後、パッとケーワイドを見上げて明るく言った。
「歴史! お父さんが鋳物師だから化学にはよく触れるんだけど、歴史とか文学には縁がなくって。この星の、ワールディアの歴史を学んでみたいんです」
「歴史か。先史時代のことはもはや言い伝えだが、それでも良いか?」
「もちろん!」
遠く遠くどこまでも吹き抜けていく風を見ながら、ケーワイドは悠久の過去に思いを馳せた。風はどんなに時が経っても止むことはない。この単なる空気の流れを「風だ」と感じた最初の存在は、一体どのような力を感じたのだろう。何の力が働いていると感じたのだろう。
「……あの大いなる太陽と、夜空に輝く星々が同じ物だというのを知っておるか?」
ケーワイドはこの星の成り立ちから語りはじめることにした。それが相応しいと思ったのだ。
「そうなんですか!? 太陽だけが大きいの?」
「太陽以外はとてつもなく遠いから、夜の星が小さく見えるだけなのだよ。つまりこの宇宙には、太陽の兄弟が無数にあることになる」
ポルテットは感動して声すら出ないようであった。
「え……、じゃあ、じゃあケーワイド。太陽に兄弟がいるんだったら、この星にも兄弟…、いや、従兄弟? がいるってことですか?」
「従兄弟か。面白い言い方だの。当然この星の従兄弟は宇宙に数多存在する。我々のような人が住んでいるかも知れんな。ともかくこの星は、そのような星々と共に生まれた。始まりは大いなる闇と大いなる光のせめぎ合いであったと聞く。徐々にこの星も形作られ、大地が生じ、海に覆われ、豊かな恵みが育まれた」
ゆっくり丁寧に語るケーワイドの言葉に、ポルテットは引きこまれていった。この星がつむいできたとこしえの営みに身を任せていた。




