第三十四話 魔法使い2
ユニ・トリドたちの報告を聞き、村長は驚きを隠せなかった。
「そうか、そんなに白い人の近くに迫っていたのか」
「そうですね。しかし白い人たちが一体どれほどの時間向こう岸に横たわっていたのかはまったく分かりません」
トリドは死んだように累々と転がっていた白い人たちを思い出し、背筋に冷たい汗が走るのを感じた。次にマリエスが口を開く。
「やつれているとは見えなかったので、長くても2~3日でしょうけれど、そんなに長い間気絶させていられるとは…」
一同は揃ってトリドを見つめた。皆の視線を感じたトリドは、
「我が師、ケーワイドでしょうかね。放っておいたらあと3日は目覚めないでしょう」
と複雑な面持ちで眉尻を下げた。ブツブツと「年甲斐もなく無茶をして」と言うトリドに、村長は慎重に切り出した。
「ユニ・トリド。まだ移動魔法は使えるか? 白い人が動けないうちに向こう岸に移動してしまうのはどうかと思うのだが」
近くに控えていた自警団長も賛成した。
「それは良いですな。ケーワイドたちと白い人たちの間に入れば、ケーワイドらを守ることができる」
「3000人もの人を同時に移動させるのはやったことがないのですが…、分かりました。今夜決行しましょう。ひとりで集中力を高めるため、天幕をひとつ貸していただけませんか?」
村長は村役人に目配せし、
「いいだろう。他に必要な物があれば可能な限り用意する」
と心を配った。
「清潔な水があれば充分です。椀に2杯ほど」
「あたしが用意します」
トリドの腕に触れ、マリエスはそう申し出た。
「マリエス。助かるけど、君も休んだ方がいいよ」
マリエスの手は震えていた。妹の無事、トリドにかかる重圧、3000人の村人の不安、すべてを背負いこんでいるような表情だ。
「いいの。何かしてた方がいいの」
村長はふたりの様子を見てそっと微笑んだ。心通わせ合う若者がいる限り、苦しい状況も乗り越えられる。
「そうか。じゃあ悪いが、地面に穴を掘って撥水性の皮を張り、大地の水分を集めてくれ。僕は夜までそれしか口に入れない」
マリエスは何度もうなずいて作業に入った。不安を振り払うには何かに没頭していた方が良かったのだ。何の混じりけのない純水が溜まっていく様を見ていると心が静まる。椀を両手で大切に持ち、トリドが精神統一をしている天幕の入り口にそっと置いた。こちらに背を向けじっと座っている。音をたてないようにそっと立ち去ろうとすると、トリドが声をかけてきた。
「マリエス、ありがとう。一瞬でいいから、手を握ってくれないか」
声を出して話しているにも関わらず、トリドは微動だにしない。心に直接話しかけられているかのようだ。マリエスがためらいがちにトリドの横顔をのぞくと、汗がにじみ真っ青であった。
「……っ! トリド、具合悪かったの? 今夜はやめにしてもらおう?」
トリドは「違うんだ」と言いながらマリエスの手をとった。
「普段ケーワイドやユーフラに頼ってて、こんな大きな魔法を使った試しがないからさ。情けないね、魔法使いのくせに」
そっとトリドの肩に触れると緊張しきってガチガチに固まっていた。
「トリド、大丈夫よ。移動魔法はユーフラより得意だって言ってたじゃない。一度も失敗したことなんてなかったじゃない」
「失敗するような無茶をしたことがないだけだ。ケーワイドたちは命をかけているっていうのに…、僕はたった1回の魔法にすら不安がって。ねえ、移動魔法が失敗したらどうなるか知ってる?」
マリエスは泣きそうになりながら「知らないよ」と首を横に振り、
「どうしたらいい? あたしが力になれることある?」
とトリドを見上げた。
「…魔力を強くするにはね、その使う者の魔力の『器』が大きくなければならないんだ。ケーワイドのように生まれつき大きい人もいるけど、普通の魔法使いがそれを鍛えるにはどうすればいいか分かるかい?」
沈みかけた日が天幕のすき間から差しこんでくる。トリドを集中させるために人払いがしてあるから、長の旅の道中とは思えないくらい静かだ。こぼれ落ちそうなマリエスの瞳を見つめ、トリドはそのまぶたに口づけした。
「ごめんな、マリエス。ありがとう」
ふたりは強く抱き合った。




