第二十二話 大潮に見舞われる
徐々に強くなっていく風を読みながら、ケーワイドはため息をついた。
「参ったのう、今日は大潮だったか」
アイレスとポルテットも空を見上げた。今にも雨が降りだしそうだ。
「風も強くなってきましたね」
「ケーワイド、これから舟に乗るんですよね? 大丈夫ですか?」
船着き場はすぐそこだ。まだ水面は荒れていないが、風雨に見舞われたら進めなくなるのは火を見るより明らかだ。
「行けるところまで舟で下ろう。なに、流れに乗ってしまえばあっという間だ」
ファレスルに持たされた木の実をすりつぶして焼いた携行食に、香辛料を振りかけて空腹を満たす。3人とも温かい手料理が恋しくなっていた。
「アイレスは料理できないの?」
無邪気にポルテットに問われ、アイレスは口ごもった。
「ドゥナダンがお腹を壊さない程度には…、でもファレスルにはかなわないじゃない」
「そりゃ家業だもん、あっちは」
黒い雲に覆われていく空を見上げていたケーワイドはふたりを振り返り、
「行こうか。酔うといけないからあまり食べないようにな」
と言った。船着き場には4人乗りの小さな舟がひとつだけあった。櫂は流されていた。不安げにポルテットは舟をたたいて確認している。
「こんな小舟で大丈夫ですかね。櫂はどうしよう、木でも拾ってきますか?」
「それには及ばん。舟もどうにかなるだろう」
杖をひと振りしてケーワイドは2本の櫂を魔法で出した。アイレスとポルテットが1本ずつ持ち、ケーワイドは舳で風と流れを見る。舟は小さいながらも長い間船着き場につながれながら耐えていただけあり、わりと頑丈であった。上流から下っていくだけなので漕ぐことはほとんどなく、船首がぶれないように均衡を保つのが主となる。
「結構楽しいね、これ」
「本当! ケーワイド、向こう岸の船着き場までどれくらいかかりますか?」
「半日も下れば着く。そこから先は岩が多くて舟では下れないのだ。しかしドゥナダンにとっては岩が多いからそれを伝って向こう岸に行きやすい」
小雨が肩にかかるようになってきた。ケーワイドは防壁魔法で円蓋状に舟を守った。櫂が出る場所だけ絶妙に穴が開いており、便利な形状になっている。
「ドゥナダンのいるあたりはもっと降っているでしょうか?」
「フォアルは落ち着いた状態のようだから、危ないことにはなっておらんよ」
アイレスとポルテットは驚いてケーワイドを仰ぎ見た。
「フォアルの様子が分かるんですか?」
ふたりがよそ見をして船首がかたむく。
「ほれ、ちゃんと流れを見い。そうさの、魔法をある程度使える者なら、少しばかり離れていてもフォアルの意識を知ることができる。危険があれば分かるのだよ」
目からうろこが落ちたようにアイレスはケーワイドの背中を見つめた。ドゥナダンひとりで行かせたことに不安を覚えていたが、そういうことなら心強い。
(でも、先に教えてくれたらいいのに)
ともアイレスは思った。ケーワイドの考えはどうも読めない。
風がますます強くなり、川下の方では雷がとどろいている。雨も強さを増し流れが急になってきた。3人で懸命に船首をまっすぐに保つが、それももはや難しい。轟音で会話ができなくなりつつある。
「あまり進んでないんじゃないですか!?」
「大潮って、この川はどうなるんですか?」
ケーワイドは前方を鋭く見つめ、
「…来るぞ。できれば避けたかったが、やむを得ん。櫂は捨てて良いからしっかりつかまっておれ!」
と叫び、耳慣れない言葉をつぶやいた。アイレスとポルテットは櫂を川に捨て、わけが分からないまま小舟のへりにしがみついて目をつぶった。揺れは一層激しさを増し、海の波に乗っているかのように、浮かんでは沈むをくり返していた。
「【モーラ、プフリージュ】!」
ケーワイドが杖の先で小舟の底を軽くたたくと、舟はまったく揺れなくなった。正確にはかすかに揺れているのだが、経験したことのない揺れであった。アイレスは、子どものころ深い湖に飛びこんで遊んだことを思い出した。深い水の中で身体が浮き始める直前のフワリとした感覚に似ていた。
「アイレス、見て!」
ポルテットの弾んだ声に、アイレスは、こわごわ目を開けた。防壁魔法で覆われた舟は宙に浮いていた。杖に全神経を集めているケーワイドは、舟を浮かばせながら空中で舵をとっているようだ。
眼下の川は逆流しており、上流からの流れとぶつかり合って渦になっている。衝突する流れのただ中にいたら、舟は間違いなく大破していただろう。
「すごい、ケーワイド、すごい! 僕たち飛んでる!」
「わあ、本当に? すごい、飛んでる、飛んでるよ!」
「アハハ、舟の意味ないですね!」
興奮しきりのアイレスとポルテットをチラリと見てケーワイドは、
「気が散るから少し黙っておれ! もう面倒だからこのまま船着き場まで行くぞ。つかまっておれよ!」
と叫び、さらに「ハッ!」と気合いを入れて小舟を一層高く浮上させた。荒れ狂う川の流れを下に見ながら、アイレスたちは見慣れぬ景色を楽しんだ。




