第百二十話 どこにいるの?
ケーワイドは恐らくフーレンと相討ちとなったろう。ではドゥナダンは? フィレックが放ったあの髪束は本当にドゥナダンのものだったのか? しかしアイレス自身が贈った紐でくくってあったのだ。見間違えるはずがない。
口をつぐむアイレスの頭にそっと触れ、ファレスルがラウダムスに向き直った。
「もうひとりの仲間はスウェロ・ドゥナダンといいます。背丈も歳の頃も私ぐらい。黒い髪を後ろでくくっていて、大槍を使う真面目な男です」
さらにセプルゴも続いて言う。
「キリ山が噴火した後、この地デ・エカルテの様子を確認させるために、ケーワイドがドゥナダンをここに寄越したはずなんです。その後は行方が分からず、白い人に捕らえられた可能性もあります。見覚えはおありでないですか?」
「そうだったの。心配をかけた上に大変な危険にもさらしてしまったわね。リリイたちに聞いてみましょう」
すぐに現れたリリイとシシイにドゥナダンの背格好や、白い人と戦闘になった可能性を伝えたが、ふたりとも心当たりはなかった。かすかに震えているアイレスに気づき、リリイはアイレスを抱きしめた。
「ああ、アイレスの大切な人なのね? 抱きしめることしかできないあたしを、どうか許して」
リリイの腕は細かった。女なのだから当たり前だ。アイレスの覚えている抱擁はそうではない。骨が折れそうと思うほど力強いものであった。
(ドゥナダン、ドゥナダン)
心の奥で何度もとなえようとして、不安を断ち切るためにそれに抗った。ケーワイドに託された小石の重さを感じる度、ケーワイドのまっすぐな瞳が脳裏をよぎる度、何としてもデ・エカルテにたどり着かなければと無理に自分を奮い立たせた。重傷をおして歩くセプルゴたちの姿を見て自分を叱咤した。
リリイが運んできた茶の芳香が全身にじんわり染みてくる。
(ドゥナダン…、どこにいるの……?)
ケーワイドがいなくなり、トールクはじっくりとこれからのことを考えていた。
まずしなくてはならないこと。セプルゴとポルテットの治療だ。デ・エカルテの屋敷にいる限り医師もいるし、セプルゴが自然の治癒力にこだわっているから、滋養のある食事をとって休息し身体がなまらないようにすれば問題ないだろう。
それから、ケーワイドがどうなったのかを確認する。これは絶望的だ。ラウダムスもああ言っているし、望みは薄いのだろう。どう弔うかを帰路につくまでに考えなくては。
白い人の動向を知ること。フーレンはケーワイドと刺し違えて倒れただろう。フィレックらは自分たちを追っては来なかったが、今どこでどうしていることか。以前フィレックの言っていた「ここで引き下がれない」という言葉も気になる。意地になっている以上、あきらめることはなさそうだ。
『ワールディア』の封印について。自分たちにできることはないだろうが、当事者としてその瞬間を見届ける心構えをすることだ。セプルゴたちに促しておこう。
そして、これを考えないわけにはいかない。ドゥナダンの安否をどう確認するか。白い人に直接問うしかないだろうが、しかし真実を言うかどうか。ケーワイドほど「これは駄目だ」と思う決め手に欠けるから、考えたくはないが遺体を確認するまで死んだと決めつけられない。生きているにしても死んでいるにしてもアイレスが心配だ。よくも自分を保っている。
「……ふう」
これほどたくさんのことを一度に考えることなどなかった。ケーワイドの苦労がしのばれる。自分はおろか、一番弟子のユーフラにも何も相談していなかったようだが、自分には無理だ。頭が足りない。
(ケーワイド、聞えますか? セプルゴたちをまとめるのは、やりがいを感じるがやはりしんどい。信頼と責任は背中合わせですね)
ヒラヒラと光る火山灰が降る中庭の端にアイレスとリリイがいた。ふたりを眺めているとファレスルがやってきた。
「トールク、ちょっといいですか?」
「ああ、どうした?」
ファレスルも疲弊していたが、身体の調子は戻ったようだ。
「アイレス、大丈夫かなって。様子見てきたら、リリイと一緒に鳥にえさやってるんだ。おかしいでしょう? ドゥナダンがいなくなったってのに」
いつの間にかセプルゴも来ていた。ヒョコヒョコ歩いて窓枠に腰かけた。
「私も気になってた。アイレスさ、あれから涙を見せているか?」
「いや、見てないよ」
「現実を直視できないのかも知れない。私だってそうだよ。ドゥナダンの安否は不明確すぎる。何をどう確認したらいいのか、皆目分からないんだ」
トールクは部屋に転がっていた雑記帳を開いて1枚ちぎり、ふたりに今後の見通しを箇条書きにして説明した。
「これは想像すらしたくないんですけど」
とファレスルが声をひそめて言った。
「ドゥナダンが死んでるなら、そうだとはっきりさせたい。曖昧なのが一番アイレスには酷だよ」
「……私もそう思ってる。生きてると信じているが、とにかく確認しないことには。どうにかならないものかな」
「もし……、ああ、考えたくないな。もし、もし死んでいるとして、見えるところにいるなら探したい。フィレックの言う通りすでに土の下なら?」
「しかしデ・エカルテ中を掘り返すわけにはいかないだろう。埋めた場所が分かったところで、掘るのは気が引けるしな」
「うーん……」
トールクたちは嘘のように明るいアイレスとリリイを見た。動作も言葉もしっかりしている。しかしほんの一瞬、風を読むように空を見上げ、耳をすまして何かを探している。それが3人には恐ろしかった。
ユーフラがいなくなる前は、どこかに泊まる時アイレスはユーフラと同じ部屋で寝ていた。野宿の際は地面に全員で並んで寝転がった。ケーワイドの実家ではよく眠れなかったし、個室になっている客間は怪我人にあてがい他の者は違う部屋で雑魚寝であった。しかし今いるデ・エカルテの屋敷は立派なもので、客間も10部屋ほどある。女扱いなどほとんどされていなかったが、「せっかく部屋があるのだから」と、アイレスはトールクたちとは別室で寝ることになった。ウェール村を出発してから、ひとりで寝るのは初めてなのだ。
窓の外から虫の声が聞こえてくる。ぼんやり明るい火山灰がしんしんと降っているのがなぜだか分かった。とても静かな夜だ。何の気配も感じない。
「………」
何の気配も感じない。夢も幻も見えない。
幻でもいいから。
「……ドゥナダン、どこにいるの?」
スルリと髪紐を解いて握りしめる。
いないものはいない。泣いても、叫んでも。
ドゥナダンの母エンライナは夫を亡くした時、どうしてこの不安に立ち向かったのだろう。ケーワイドが妻を亡くした時、どうして寂しさを乗り越えたのだろう。
(駄目だ…! あたし自身がドゥナダンは死んだと思いこんでる。信じなきゃ。ドゥナダンを探す方法を考えなくちゃ!)
アイレスはギュッと目を閉じて涙をこらえた。不安に囚われないようにさっさと寝てしまう。眠れないかもしれないと思っていたが、疲れているのか一気に眠気に襲われた。
(たったひとりの婚約者の安否が分からないというのに、人というのは現金なものね。あたしの心身は、ドゥナダンの心配より自分の休息を優先してるんだ……)
罪悪感は感じない。それがアイレスの強さであり、弱さであった。




