第十二話 若いふたり
高い木に登るのが得意なトールクが初めに峡谷の存在に気がついた。
「あと3日も歩けばたどり着くだろうな」
「ほう、確かにこの先に峡谷があるが、トールクは目が良いの」
ケーワイドは地図を広げながら、予定通りの進路を通れていることを確認している。
「トールク、木の実とれました?」
「ああ。上の方はかなりあった」
ファレスルはすっかり調理担当となったようだ。長い道中、温かいものを作る余裕があるなら極力腕を振るいたい。ファレスルはそう考えていた。
「ドゥナダンとアイレスはどうした?」
「ふたりで果樹を探しに行ったよ」
「もうすぐこっちもできあがるんだけどなあ」
本日捕れた野生の小動物は、腹に香草を詰めて蒸し焼きにした。
「僕探してきますよ!」
ポルテットはサッと立ち上がった。最年少ながら要領よく、動きが素早い。
「気をつけて!」
ユーフラは一行の母のような存在になりつつあった。セプルゴやファレスルと歳はそう変わらないが、魔法の修行を経て大いなる悟りを得たのか、自然に周囲に気を配るようになっていた。
「ドゥナダンー、アイレスー」
ポルテットは街道の左手の広大な林に足を踏み入れふたりを探した。自身の背丈ぐらいの低木の群れの向こうから、人の声が聞こえてきた。
「……ドゥナダン…、……」
見ると、アイレスとドゥナダンであった。果樹をもぎとりながら肩を寄せて話している。ポルテットは声をかけるのをためらった。
「…この任務がなければ今ごろは…」
「そうね。…あ、ん…、待って…」
ドゥナダンがアイレスの肩を抱いて口づけしているのが見えた。
「アイレス…」
これはまずい、とポルテットは子どもながらに直感した。音を立てずに素早く10歩ほど後ずさり、今度は大声でふたりの名を呼びながら、大げさに足音を立ててゆっくり近づいた。
「アイレスー! ドゥナダンー! 蒸し焼きできるってー!!」
木の陰からふたりが赤い顔をして出てきた。ポルテットは小さく舌打ちをした。
「ごちそうさま。ファレスル、いつもありがとう!」
「どういたしまして。私だってうまいものを食べたいからね」
よほど今日の料理が気に入ったのか、アイレスはいつまでも食べていた。すでに眠る準備をしている者もいる。
「ファレスルは料理でしょう? セプルゴは手当てができるでしょう? あたしは何もできないのよね」
「何を言ってるんだ。明るく笑顔でいればアイレスは充分だ」
「そうそう、私の料理をペロリと平らげてくれればそれでいいんだよ」
「何よ、それ?」
皆に囲まれて談笑するアイレスの側にドゥナダンがやってきた。
「アイレス、明日も早いよ。寝よう」
ただならぬ雰囲気のドゥナダンに引かれて、アイレスは寝る支度を始めた。
「……どうしたんだ? ドゥナダン」
「僕見たんですけど、林の中で……、いや、僕にはこれ以上言えない!」
ポルテットはセプルゴとファレスルに背を向けて毛布を取りにいった。青年たちは「ははあん」とにやけ、それぞれポルテットとドゥナダンをからかいに行く。
「ポルテット、お子さまにはまだ早いものを見てしまったと、こういうわけなんだね」
ポルテットの隣で結った髪を解いたユーフラが顔をしかめる。
「やめなさいな、ファレスル。からかうものじゃないわ」
セプルゴはドゥナダンにからみ始めた。
「なんだなんだ、やきもちか?」
「悪いか? 正直、気が気でないんだ」
「やめてよ、ドゥナダン! 一緒に旅をする仲間だっていうのに!」
話を遠巻きに聞いていたトールクが立ち上がって、ドゥナダンの肩に手を置いてその横に腰を下ろした。とても穏やかな笑顔でドゥナダンの髪をクシャクシャとなでた。
「そうは言ってもな、アイレス。私はドゥナダンの味方をするよ。ここに来てなかったら今ごろは?」
ドゥナダンは口を尖らせてそれに返答する。
「新居でふたりで暮らし始めていましたよ。式の準備も大詰めだった」
「な? 大目に見てやったらどうだ。私も妻に会えずどうにかなりそうだ。セプルゴもそうだろう?」
「そりゃあね。私の嫁さんはもうすぐ赤ん坊を産むんだ。一瞬だって離れていたくないのに」
恨みがましい内容だが、声は少しも恨みがこもっていない。この任務がどれほど重要なものか、この男たちは理解しているようだった。
「私がドゥナダンの立場だったら、ここには来ていなかったかも知れない。それだけでもこいつの責任感は大したものだよ。実際は婚約者がついてくる結果になって、少々箍が外れる時があっても、仕方がないんじゃないかな」
「愛されているんだ、アイレスは」
セプルゴとトールクに諭され、ドゥナダンは耳まで真っ赤になりうなだれてしまった。妻帯者だからこその言葉は直接的で、かえって照れくさく感じてしまう。アイレスはそのドゥナダンのこめかみに口づけし、「お休み」と一言だけ言って立ち上がり、毛布を取ってユーフラの横に寝転んだ。
セプルゴは再びドゥナダンの頭を小突いた。
「やるな、アイレスは。完全に手玉にとられてるぞ」
ドゥナダンは、
「分かってる。望むところなんだからいいんだ」
と言い、毛布を被って横になった。それを見てセプルゴとトールクは顔を見合わせクスリと笑った。
無言で眺めていたケーワイドはゆっくり立ち上がった。
「さあ、寝ようか。灯りを落とすぞ」
そして杖を掲げて半球状の壁で一行を囲んだ。
「白い人たちが我々に敵意を持って近づいていることが分かったからの。今夜から防壁魔法で周囲を覆って休むとしよう。良いな?」
白い人たちは間違いなく自分たちを追っている。和やかに語らっていたが、急に現実感がアイレスたちを襲ってきた。