第百十九話 この星の来し方2
茶を出した後に音もなく下がったリリイの歌声がどこからともなく聞えてくる。その声がいやに遠く感じた。ラウダムスは一口茶をすすり、懐に手を置いて目を伏せた。
「この石が傷つけば、この星の大地が割れ天が裂ける。この石が輝けば、この星は生命力にあふれ豊沃になる。この石が温もれば、生きとし生けるものは幸を見出す」
「………」
アイレスはすべてがストンと腑に落ちた。白い人がそれを必要とする理由は分からないが、血眼になって自分たちを追い、人の命を奪ってでも手に入れたいと考えるほどの代物である、ということは理解できた。そして同時に、つい先刻まで自分の懐にあったという事実に身震いした。
ラウダムスは薄く目を開けて、魔法の呪文を唱えるかのように低く語り始めた。
「…およそ10万年前から、この地はわたしの遠い祖先が治めていました。ここに居を構える民は素朴で、農業や山林の仕事に勤しむ慎ましい者たちだったと聞いているわ。さて、デ・エカルテで弱い霧雨の降ったある日、雨粒にまぎれて小さな小さな石が天から落ちてきた」
「それが『ワールディア』ですよね?」
ポルテットは待ってましたとばかりに質問した。興味津々な弾んだ声にラウダムスは目を細めて微笑んだ。
「ええ。デ・エカルテにたったひとりだけいた魔法使いが小石を調べて、その石はこの星の状態に呼応して輝きを変えるということに気がついた。そして、石を磨くなどの手入れをすればこの星も豊かになると分かったのよ。小石はこの星そのものだ、と。そしてその石をこの星と同じ名前、『ワールディア』と呼ぶようになった」
「そしてすぐに封印したのですか?」
「まずは……、議論になったそうね、当時のデ・エカルテの長と魔法使いで。長は石の力でもってこの星を治めたいと考えたけれど、魔法使いはその計り知れない力に戦慄を覚え、長の野望を阻止した。ワールディア中の主だった魔法使いを集めてキリ山に封印したのよ」
「そこに落ち着くまでに大変な議論があったのでしょうね」
「いえ、もはや圧倒的な魔力にものを言わせて強引に封印したそうね。わたしはそれで良かったと考えているわ。『ワールディア』が特定の者の手に渡るぐらいなら、封印してしまった方がいい」
ラウダムスが顔を上げると、アイレスたちは皆真剣に聞いていた。実際にどんな力があるのか具体的には分からない『ワールディア』をたずさえ、命を賭してここまでやってきた者たちの、覚悟や達観や使命感の具現であった。
「ここまで持ってきてくれてありがとう。ケーワイドなくとも全力で封印し、これまでと変わらぬワールディアを守っていくわ」
「良かった、ここまで来られて」
「そうだね」
ケーワイドが『ワールディア』とは何か話したがらなかったのも分かるような気がしてきた。かといってひとりで背負いこむには荷が重すぎる案件だ。アイレスは、
(まったく、あの素直じゃない爺さまは)
と悲しく苦笑した。
「一体、『ワールディア』はどこから来たのでしょう?」
ふとセプルゴが思いついたようにたずねた。アイレスたちも顔をそちらに向ける。
「『ワールディア』がこの星そのものだというのはケーワイドから聞いていましたし、何者かが独占していいものではないことも分かります。ですが本来は誰の持ち物だったのでしょう? いや、誰のものでもなかったのかな。雨と一緒に天から降ってきたんですよね? それでは元々この星にあったものではないわけでしょうか?」
茶を飲みほしラウダムスは手を組んで身を乗り出した。
「いい質問ね。わたしも気になっています。この石が形成された経緯と、この星の誕生が関わっているのか、あるいは否か。10万年前にデ・エカルテに落ちてきたのはなぜか。それまではどこに存在していたのか。わたしも知らないし、書物にも残っていないし、ぜひ探究し解明したい。そしてあわよくば……」
身体中から重い雰囲気を発し、ラウダムスはアイレスたちを飲みこみつつあったが、フッと力をゆるめて、
「なんて、ね。わたしにも野心がないではないけれど、身に余ると考えているわ。どんな力を持った石なのか判然としないし、とんだ副作用があるやも知れない。我々の元始の祖先にできなかったこと、色々と血が薄まってしまったわたしには無理。穏やかに健やかに暮らすために必要な力としては過ぎている」
と優しい声で言って立ち上がった。2杯目の茶を皆に注ぐ。
「さて、それから仲間はもうひとりいたのよね? その人も残念ながら、ということなのかしら?」
トールクとファレスルがそっとアイレスに触れた。ふたりとも温かく大きな手だ。
(ドゥナダンの手はもっと情熱的に湿っていた……)
ケーワイドの決断、デ・エカルテへの疾走、『ワールディア』の真相。この1、2日で事態が大きく動いた。整理しきれない。しかし頭を混乱させておけばドゥナダンが側にいない不安から目をそらすことができた。




