第百九話 不安 信頼 安直
ドゥナダンが移動魔法でデ・エカルテへ先行した。ファレスルの回復を待ってすぐに後を追えるように、アイレスたちも休むことにした。緊急事態だと分かってはいるが、アイレスの胸から不安が消えることはなかった。神経が張りつめているのだろうか、アイレスは眠れなかった。ユーフラの死、ケーワイドの本質、セプルゴたちの負傷、ファレスルの突然の不調。ドゥナダンが側にいなくてもアイレスが沈痛な気持ちになるには充分であった。
(眠れなくても身体を横にしてた方がいいんだろうけど……)
あまりに気分がすぐれない。外の空気を吸いに廊下に出た。
「……、…で……、…さま?」
「………。…のだ…、……」
誰かが灯りも持たず角で話している。ふたりいるようだ。
「お爺……、……していない……すか?」
(お爺さま? ケーワイドとローヴィス?)
アイレスはそっと近寄り、声をかけようとした。
「話しておらんな、アイレスだけには」
(あたし? あたしのこと?)
これ以上聞いてはいけないような予感すらする。しかし本能的に身動きをひとつもとらず、アイレスは聞き耳をたてた。
「そんな殺生な。アイレスさんだけ『ワールディア』の真実を知らないとおっしゃるのですか? なぜ?」
「……アイレスはドゥナダンを守るためだけにここまでやってきた。その一途さを…、私は恐れており、……そして、……信頼できずにおるのかも知れんの……」
頭を殴られたような感覚がアイレスを襲った。足元がふらつき、壁にトンと手をついた。その音に気づいたローヴィスが角からこちらへ顔をのぞかせた。
「アイレスさん…!」
ケーワイドも青ざめてアイレスを見た。
「……アイ…レス…、聞いておったのか?」
信頼できない。その言葉だけがアイレスの全身をかけめぐる。
ひとりで何かを背負っていたケーワイド。肝心なことは何も言わないケーワイド。それでも若い自分たちを穏やかに見つめ、強大な力で引っぱってきてくれた。その心の奥底に何かへの恐れがあるのは気づいていたが、まさかそれがアイレス、自分だっただなんて。信頼すらされていないだなんて。いつからだろうか。『ワールディア』とは何か聞かされなかった。では最初から?
「……っ…!」
アイレスは踵を返し外を目指した。裏口から出てあてもなく走る。
(やっぱり、やっぱりケーワイドはあたしを信じてくれてなかった…。気づいてたけど、気づいてたけど、ああ、やっぱり……)
立ち止まって夜空を見上げる。淡く光る火山灰が空をまばらに覆っていて星が見えない。月明かりと火山灰の輝きが不気味に共鳴し合っていた。ウェール村でのどかに暮らしている限り、魔法にも、妖精にも、激しい戦闘にも接することはなかった。雄大で荘厳で、そして荒々しい自然を知る機会もそうなかった。大地の祝福も、怒りも、知らなかった。これを引き起こしているのは何の力なのか、考えたこともなかった。
アイレスはなぜだか涙が出てきた。
「ああ、あたしは安直だった……」
目を閉じてそうつぶやいた。
遠くから自分を呼ぶしわがれた声が聞こえる。ケーワイドに違いない。
「……、…イレ…、アイレスー、どこにおる?」
背後の並木の陰からケーワイドが姿を現した。外套も羽織らず杖にすがって駆けてきていた。
「……ああ、心配させるでない。良かった」
心底そう思っているようなのは見て分かった。それでもケーワイドの目の奥には迷いがある。アイレスが突っ立っているとケーワイドはゆっくり近づき、腫れものに触るようにそっとアイレスの肩に手を置いた。
「戻ろう。身体を休めなくては」
「……ケーワイド、あたしを信じられないですか?」
ヒュウッと一筋の風がアイレスとケーワイドの髪を揺らしていった。アイレスはケーワイドの瞳から目を離さず、ケーワイドも全身が固まったようにアイレスから目を離せなかった。




