第百六話 すれ違い
アイレスが後を追うと、ローヴィスは灯りを持って外の畑を見回っていた。目が弱いのは本当らしく、目立つ色の目印が随所に立っており、それを手でたどって移動している。裏口からついてきたアイレスの足音にすぐに気がついたようだ。
「アイレスさん、ごきげんよう。食事はお口に合いました?」
やはり気配で人を区別できるのであろう、振り向くより先にローヴィスはそう言った。
「うん、ごちそうさま。……ねえ、ローヴィスはまったく目は見えないの?」
「いえ、光やものがある方向は分かります。色も赤いか青いかくらいは」
真っ赤な立看板に手をかけ、ローヴィスは焦点の合わない目で微笑んだ。
「でも僕は耳も鼻も人一倍いいですし、人の感情の機微は手に取るように分かります。不自由と思ったことはありませんよ。美しい花は匂いもかぐわしいし、美しい夜明けは風も爽やかなものでしょう? そういうことが人より分かるのです。あ、星空だけは触れないし風も空気も関係ないから想像が難しいのが残念ですね」
ローヴィスは本当に不自由とは思っていないようであった。足元の野菜に優しく触れながらアイレスを隣に呼び寄せた。
「先の火山灰で枯れないかヒヤヒヤしましたが、何十日も続かなくて助かりました。石灰の蓄えが間に合って良かった」
とても大切そうに野菜を見つめる横顔は、どんなことでも見通し受け入れる慈愛に満ちて見えた。とても年下の少年とは思えない。
「……ねえ、その火山灰って、デ・エカルテの火山のものでしょう?」
アイレスは慎重に言葉を選んでローヴィスに問いかけた。
「ええ、そうですよ。キリ山のことです」
「噴火した時どうだったの? すごい威力だったのよね?」
ゆっくり立ち上がりながらローヴィスは家の方をうかがった。何を話すつもりなのだろう。
「デ・エカルテとキリ山はワールディアの魔力の中心なんです。僕には至極ぼんやりとしか見えませんでしたが、火山灰はかすかに光っていました。あの時、地の底がひっくり返るような地鳴りがし、地震、続いて爆音が遠くから聞こえました……」
ウェール村の一行が出発する10日余り前にキリ山が噴火したのはアイレスも聞いていた。
「ちょうどそのころ見たこともない光の帯が西から伸びていたの。あれはキリ山から風に乗ってきた灰だったのかしら?」
「母さんが『火山灰が極光のように流れていく』と言っていました。そのように見えたでしょうね」
今まで仲間たちとこの旅の目的の核心を話し合うことは少なかった。自分たちの背負っているものから目を背けたかったのかも知れない。アイレスはこの際ローヴィスに疑問をぶつけてみることにした。
「キリ山はワールディアの魔力の中心なのね。あたしは魔法使いでもないし、それは知らなかったわ。ねえ、それほどの力を持つ山に封印しなければならないあの石は……」
ローヴィスが突然肩越しに振り返った。戸口にケーワイドがいた。気配ひとつさせなかった。
「お爺さま…」
「アイレス、何をしておる?」
「いえ、その…、ローヴィスに畑を見せてもらって…」
無表情でケーワイドはこちらに近づいてきた。目元が冷ややかだ。アイレスは何もやましいことなどしていないはずなのににわかに焦った。急いで立ち上がる。
「アイレス、間もなくデ・エカルテだ。余計なことを気にせず、早く休み、出発に備えるが良かろう。いいな?」
話をするつもりが一切ないことが分かる。まったく感情が読めない。
(どうして? どうしてケーワイドはあたしが何かを知ろうとすることを遮るの? いつもそう。どうして……)
アイレスはケーワイドの冷たい視線を振り払い、足早に家に入っていった。
(どうして、あたしを信頼してくれないの……?)