第百四話 ケーワイドの故郷
土壌の質が変わり草地が増えてきた。新たな集落も見える。熱がひいて少し食欲の増したポルテットが、ヒョコヒョコと足をひきずりながらケーワイドの肩に触れた。
「ケーワイド、あれがタウロン村?」
昨日、荒野にたたずむ大樹の下で、7人はこの耐えがたい苦難を共に嘆いた。ケーワイドが涙を見せたのは初めてだった。
「ああ。私の故郷だ」
デ・エカルテが近くなり、水も、土も、風も、今までと変わっていた。何がどう、と説明することが難しいが、大気と大地そのものが魔力のように神秘的な雰囲気をはらんでいた。
小鳥がフォアルを追ってついてくる。川のせせらぎがいつまでも耳に残る。霧が出ているようでもないのに周囲がかすんで見える。タウロン村に近づくにつれ、磁石に引かれるように精神が村の雰囲気に吸い寄せられていくのを一行は感じていた。
村は昼間でも人がほとんど歩いていなかった。かすんだ景色の向こうに、わずかな人数がケーワイドたちを観察しているのが見られる。ここはケーワイドの故郷だが、大歓迎というわけではないようだ。
相変わらずトールクがセプルゴを背負い、今の番はドゥナダンが荷物持ちでファレスルがポルテットを背負っていた。足どりが重くなる。しかし先導するケーワイドの背中が、妖しい迷宮に誘う案内人のようにアイレスたちをとらえ、導かれるままに進んでいく以外の行動をとれなかった。
「さあ、ここが私の実家だ」
ケーワイドは1軒の平屋の前で立ち止まり、ゆっくり首だけ振り返りながら告げた。扉の取っ手に手をかける直前に内側から開いた。女性と少年が出迎える。
「お帰りなさいませ、お父さま」
「お帰りなさい」
女性はトールクよりいくらか年上くらいか。少年はアイレスより少し年下のようだった。ケーワイドは「お父さま」と声をかけた女性に小声で「うむ」とうなずき、少年の肩に両手をかけて鼻が触れそうなぐらいに顔を近づけた。少年の目は焦点が定まっていない。
「久しいの、ローヴィス」
とケーワイドが言うと、ローヴィスと呼ばれた少年は目を閉じてケーワイドの頬をなでた。
「ああ、お爺さま、お変わりないようで何よりです」
ケーワイドはふたりに微笑み、アイレスたちの方を向いた。
「娘のランテリウレと、孫のローヴィスだ。婿もいるがこれも魔法使いで、修行という名の放浪が癖での、困った男だ」
「お爺さまと同じでしょう?」
少年は黒目がちな瞳を細めて笑った。吸い込まれそうなほど深く澄んでいる。
「おや、あなたが背負っているその人」
とローヴィスはトールクに負ぶわれたセプルゴに手を伸ばした。
「熱がありますね? 滋養のある飲み物を用意しましょうね。あと怪我の治りを良くするには亜鉛だ。母さん、客人の夕食には動物の肝がいいでしょう」
と言い、壁に手をつきながら家の中へと皆を招いた。一同、目を見開いてセプルゴとローヴィスを交互に見た。熱が高いことは顔色を見れば分かるかも知れないが、外套で首の包帯が隠れているにも関わらずセプルゴの怪我に気づいたのだ。ケーワイドはクスリと笑い、
「ローヴィスは目が弱いのだ。しかし他の感覚が極端に鋭い。驚かすこともあるやも知れんが堪忍してやってくれ」
と言って外套を脱ぎ自然に娘に渡した。
「デ・エカルテは間近だ。ここより先は到着するまで集落がない。少し英気を養うとしよう、な。遠慮は無用だ」
重傷のセプルゴ、ポルテットはもちろんのこと、そのふたりと荷物を運び続けたドゥナダンたちも相当に消耗していた。そしてアイレスはケーワイドが全身から発する気に心をとらわれていた。大いなる魔力を持ちながら、平凡な笑顔を見せ、計り知れない重荷を担い、肝心なことは何も言わない。
(これからデ・エカルテへ入るというのに、なんだか心底疲れた……)
アイレスは初めてここまで来たことを後悔した。ドゥナダンを守るという目的すら忘れそうだった。