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03 : この距離は悪くない。1





「と、いうことで、ユサを借りますね、おじいさん」

「イースも連れて行け」

「もちろんです」

「イースだけ帰ってくるような事態にはなるなよ」

「それってどんな事態かな……」

「最悪の想定だ、危機感を持て!」

「うーん……はい、わかりました」

「頼りないな……イース、ふたりを頼んだぞ」


 晴れた翌日、朝も早くに訪れたシュウは、セイドに進言するなりユサの手を取り、そしてイースを促して、ユサが夜明けから寝惚けつつも作成した昼食を片手に山へと向かった。


「どのあたりまで行くの?」

「イリミア渓谷の近くまで行きたいかな」

「けっこう遠いね……わたし、ちゃんとついて行けるかな」

「イースがいるからだいじょうぶだよ。ねえ、イース?」


 がう、とのんびり返事をしたイースは、首から小さな鞄を下げている。イース自身の昼食だ。現地調達できる魔獣ではあるが、もしものために、ユサたちでも食べられるものが小さな鞄には入れられている。つまり非常食だ。


「イースがすっごく頼もしい」

「一番頼りになるね」

「え、地図はシュウだからね? シュウが頼りにならないとだめだと思うよ?」

「任せといて」


 任せてだいじょうぶかと疑いたくなるシュウだが、渓谷まで行きたいと言っていたので、足許は頑丈な革靴、身は動き易い旅装をしていて、ユサも似たような恰好をしている。急な雨対策の外套も防水力の高いものにしているので、防寒対策はばっちりだ。


「渓谷の近くに魔獣は?」

「いるようなら行くとは言わないよ、さすがに」

「イースを拾ったの、渓谷の近くなんだけど」

「そうなの?」

「親とはぐれたのかそうでないのかは、未だ不明だけど……そういえばイースは、拾ったときから変な魔獣だったなぁ」

「人に懐く魔獣なんて珍しいと思っていたけれど、イースだけなのかもしれないね」

「なんでだろう?」


 途中から先を歩くように進むイースは、おとなしい種族の魔獣ではあるけれども、世に知れ渡っている魔獣はイースとはまるで違う。イースのような犬型の魔獣はたまに人里で飼われていることがあるとはいえ、魔獣、という名称で一括りにすると、それは人を襲う獣だ。その凶暴性は高く、人を認識したとたんに餌にする魔獣もいる。


「人を襲うことがない魔獣の種族だけれど……襲わないことはないんだよね」

「イースみたいな魔獣は、僕も数匹しか見かけたことがないよ。首都では見かけないね。地方に多い」

「わたしも中央にいた頃は見なかったな……というか、イース以外の魔獣は見たことないんだけど。シュウはあるんだ」

「旅行先でね。全部とはいかなかったけれど、ある程度有名なところは歩いたかな」

「ひとり旅?」

「もちろん師と」

「そうなんだ……」


 少し、羨ましいと思った。ユサは、学生の頃はとにかく勉強を優先していたし、働き出してからも生活することだけに手いっぱいで、友だちと遊び歩いたことがない。むしろ、友だちと呼べる人がいたかどうかさえ怪しい。そんなユサなので、旅行など金銭がかかることは一度も経験したことがなかった。この町から首都までの距離が、旅行らしい最大の移動だっただろう。だがそれも移動でしかなかったので、旅行気分にはなれなかった。


「これから、行けるかなぁ……」

「ん? 旅行? したことないの?」

「この町から首都までが、最大の移動距離だから」

「そうか……じゃあ、今度一緒に行く?」

「え?」


 思わぬ誘いに、歩いていた足まで止まってしまう。


「といっても、純粋な旅行にはならないけれど」


 シュウは近々、隣国エヌ・ヴェムトに行く用事があるらしい。それにユサもついて来るか、ということだった。


「さ、誘ってくれるのは嬉しいけど……でもそれ、わたしがいたら邪魔だろう」

「そうでもない。むしろ助かるかな?」

「助かる?」

「師が残した家を兄妹弟子が受け継いだんだけれど、このところはろくに帰ってないみたいで、荒れ放題になっているんだ。近い場所にいることだし、たまに様子を見てくれないかと頼まれたんだよ」


 この町は隣国との国境近くにある。出国許可の申請はこの町にある砦で発行され、その砦から歩いて半日もすれば、隣国との国境である山林だ。


「シュウの師匠は隣国の人なのか」

「というか僕が隣国出身」

「えっ?」


 これまた知らない事実に驚かせられる。だが、考えてみれば、シュウの髪や瞳は、この町では少ない。隣国との国境に近い町であるせいか、隣国との混血が多く見られるのも確かだが、純粋な隣国出身者は少ないのだ。てっきり混血かと思っていたのだが、シュウは純粋に隣国出身者であったらしい。


「両親が各国を渡り歩く行商をしていたんだけれど、ほら、六年前まで大陸全土で戦争していただろう? エヌ・ヴェムトでも巻き込まれる形で戦場になった場所があって、そこから命からがら逃げてきたはいいけれど、そのとき母が大怪我を負ってしまってね。父は仕事を辞めるわけにはいかなかったから、この町に母と、幼かった僕を残したわけ」

「じゃあ……」

「避難民、かな。この町には多いよね、そういうひと。僕もそのひとり」


 シュウには多いと感じられるらしいが、実際は町人の一割にも満たない人数だ。避難民にとってこの町は一時的な逗留先だったようで、この町を気に入ったか、或いは諸事情から残った者たちが、今いる人たちだ。シュウの母のように、怪我で動けなかった場合もあったかもしれない。それ以外は国境近くを恐れ、さらに遠くへと移動していったようなので、隣国とは限らず、別の国から逃げてきた人たちだったのかもしれない。


「エヌ・ヴェムトはほぼ中立で、戦争を止めようと動いていたって聞いたけど」

「らしいね。僕はエヌ・ヴェムトに長くいたことがないし、この国にいた時間のほうが長いから、出身国だと言っても故郷のようには思えないんだ」


 シュウとは幼育舎が一緒だった。シュウは憶えていないようだが、戦場から逃げてきた身であれば、とくに母親が怪我を負った状態であれば、幼育舎の頃のことなどよく憶えていないだろう。当時はいろいろと、大変だったに違いない。

 ユサはどうか、というと、確かにどの国も戦争ばかりで、戦争の状態を聞かない日はない幼少期であったが、勉強に必死になるくらいには生活に余裕があり、また両親も生活に不便がないようにとそれなりに財産を残してくれたおかげで、祖父セイドと戦争から離れた生活をしていた。仕官学舎の頃も、そして戦争が終結した頃も、働き始めた頃も、今も、その生活はとくに変わっていない。戦争が終結したことで大陸全土が穏やかに歩み始めたこともあって、なおさら緩やかな毎日と言えただろう。いっそ男に産まれていれば軍に志願し、深く関わることになっていたかもしれないが、法術の才能も魔術の才能もなかったユサには、軍に志願する勇気がなかった。そもそも、それだけ人が多い場所で生きる勇気が、持てなかった。いつのまにか戦争が他人事になって、自分のことばかりになっていた。

 考えてみれば、この北大陸は、全土を巻き込んで戦争をしていたのだ。それもつい六年ほど前まで。


「平和になった……のかな」

「うん?」

「戦争していることが当たり前だったから、それでもわたしの周りは変わらなかったから、平和がなにか、たまにわからなくなる」

「ああ……まあ、僕らが生まれる以前から、北大陸は戦争していたからね。それがつい六年くらい前に終わった……なんて、信じられるものではないけれど」

「終わったんでしょう?」

「終わったよ。戦神と恐れられたひとりの英雄によって」

「英雄……」

「さすがは大国ヴァントルテ、といったところかな。この国はすごいね」


 自国がすごいかどうか、ユサにはわからない。活躍したという英雄は貴族の出身で、平民であるユサには殿上人だ。見たこともなければ話したこともない、そんな遠い人が英雄なのだから、誇らしいかどうかもわからない。戦争を終結に導いたその手腕は素直にすごいと思うが、それだけだ。


「やっぱり、わからない」

「そう? もう戦争で人が死ぬことはなくなったよ?」

「それはいいことだと思う。けれど、残ったものはあるでしょう? いろいろ考えると、やっぱりわからないよ」

「ユサは現実的だね」

「自分勝手なだけだよ。わたしにとって戦争は、他人事だったから」

「ヴァントルテは最後まで中立を保っていたんだから、それは仕方ないと思うよ」


 この国が一番平和だったのだ。そう言われれば、ホッとする。けれども、罪悪感も湧く。中立を保ち続けた自国は、けっきょくのところ、多くの命を見捨てて傍観していた。ユサもそのひとりだ。傍観者であったことを責める者はいないが、責められない立場にあるわけでもない。この国から英雄が輩出されたことは、ある意味では救いだっただろう。


「ねえ、ユサは今、就活中なの?」

「え? あ、うん、とりあえず」

「なら、就職先が決まる前に、行こうか」

「どこに?」

「だから、旅行。純粋な旅行でなく、用事のある旅行になっちゃうけれど」


 話は旅行云々のことに戻ったらしい。まあ、いつまでも戦争の話をしていても、キリがないから当然だ。


「あの……どうして誘ってくれるの? わたし、シュウと知り合ったばっかりだよ」

「そうだね。僕らは互いのことをまだよく知らない。けれど、ユサは今ここにいて、僕と会話をしてくれている。僕の話を聞いてくれて、ユサも話を聞かせてくれる。充分だと思うよ」


 もう友だちだろう、とシュウは言ってくれている。これくらいで友だちと呼べる関係になるのか、ユサにはわからなかったが、そう言われると嬉しい。


「純粋な旅行ではないけれど、目的地は近いし、どうかな?」


 少しずつ、シュウとの距離は近づいていると思う。これから先がどうなるかなんてユサにはわからなかったけれども、シュウと一緒にいるのは悪くない。イースもシュウには懐いている。


「あまり路銀はかけられないけど、それでもいい?」

「はは。近いって言っただろう? この町からエヌ・ヴェムトの国境まで半日、入国してから二日くらいだから、正味一週間だ。泊まるところとか、父親の伝手を使うから、路銀なんてそんなにかからないよ。お土産代くらいじゃないかな」


 行くという方向に気持ちが傾けば、あとは話も早い。

 本日の目的地であるイリミア渓谷への道程は、旅行に必要なものはあれこれだとシュウに教えてもらっている間にあっさりと到着して、摘むという薬草の説明を受けてからはそちらに没頭することになった。







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