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02 : 言葉の使い方一つで。





 突如降った雨の日、シュウと食卓を囲んだあの日から数日ののち、ユサはイースにつき合ってもらいながら散歩がてら、シュウの家へと向かっていた。散歩道で再会したくらいだから近くに家があるのだろうなとは思っていたが、教えてもらったその場所へは一時間ほど歩くくらいに距離があった。


「意外と遠い……足が棒になりそうだ」


 役所で働いていた頃であればなんともない距離だが、体力の落ちた今では少しきついかもしれない距離だ。辞めてからまだ一月も経っていないのに、軟弱になってしまったものである。


「このままじゃいけないよなぁ……」


 急ぐ道程ではないので、のんびりと景色を眺めながら歩く。ユサの家は町の中心から少し離れているだけで、シュウの家に向かう途中で繁華街の入り口を通過する。日用品の買い足しくらいにしか今は繁華街に寄らないが、それなりに活気のあるその雰囲気は嫌いではない。通過するひとりにしか過ぎないのであればなおいいが、あの中で働くというのは今のユサには考えられず、就職活動は難航しそうだ。


「ユサ」


 はあ、と重いため息をつきながら繁華街の入り口を通過したところで、背後から声をかけられた。雨の日にも抱えていた鞄を持った、シュウだ。


「シュウ……あれ? わたし時間、間違えた?」

「いや、急な連絡が入って、治療院に配達したところ。行き違いにならなくてよかったよ」

「忙しそうだね」

「忙殺されてみたいよ」

「あー……やめておいたほうがいい。身体に悪いから」


 そばに来たシュウは、それもそうだね、と肩を竦めて微笑む。シュウの笑い方はいつも控えめだ。


「ユサ、急ぐ?」

「なんで」

「お茶して行こうよ。この近くにある喫茶屋さん、焼き菓子が美味しいって評判らしい」

「甘いもの好きなの?」

「わりと。ユサは嫌いなの?」

「好きでもないけど嫌いでもない、かな。食べる機会が少なかったから」

「なら、せっかくだから奢らせてもらうよ。甘いものは身体にいいからね」

「食べ過ぎには注意が必要らしいけど?」

「注意を受けるくらい食べたことないからなぁ」


 行こう、と歩き出してしまったシュウに、行きたくない、と言いそびれた。いや、行きたくないというより、必要なとき以外にまだ人の多いところに身を置きたくないだけで、シュウとお茶をすることはいやではない。むしろ誘われて嬉しい。嬉しさが勝って、行きたくない事情を言いそびれたようなものだ。

 けれども、そんなユサを知ってか知らずか、繁華街に入ってすぐ立ち止まったシュウは、そのまま『喫茶屋』と書かれた小さな看板を指差し、人の気配があまり感じられないその店をユサに促した。


「近……って、本当にここ?」

「穴場らしいよ」

「ここ、よく通るけど気づかなかった……穴場と言われれば穴場か」

「もうちょっと中心に店を構えれば繁盛しただろうにねぇ」


 この店だいじょうぶか、と言いたくなるような疑わしい発言をしながら、シュウは来客を告げる鈴を鳴らして店の扉を開け、中に入っていく。ちょっとどきどきしながら、ユサもその後ろを、シュウの背に隠れつつ続いた。


「あ、イースもだいじょうぶ?」

「イースには薄味の焼き菓子を用意してもらおうか」


 動物同伴を許してくれる店らしい。というより、止める間もなくイースがシュウの横をすり抜けて中に入っていったので、今さらだ。

 店内はそれほど広くなく、また寂しいくらいに客がいなかった。


「いらっしゃ……ああ、なんだシュウか。来いよって言っても来ないから、一生足を踏み入れる気がないのかと思ってたよ」


 厨房らしい奥から出てきた人はシュウの知り合いらしく、シュウの顔を見たとたんになんだか気が抜けたような声を出していた。


「来る機会がなかっただけだよ。それにここ、喫茶屋らしいことしてないだろ」

「菓子の卸しがほとんどだからね。あと頼まれない限りは作らないし……って、犬?」

「イースだよ」

「おまえ、犬なんて飼ってたか?」

「ユサのところのイース」

「は? ゆさ?」

「そう、ユサ。ユサを連れてきた」


 せっかくシュウの背に隠れていたのに、というか隠れられるくらいにシュウの背が実は自分より高かったことに今さら気づいたユサは、ふっと前が開けて吃驚する。


「……奇想天外なことが起きた」


 と、言ったのは、この『喫茶屋』の店主であるらしい人物だ。


「なにそれ」

「いや、おまえが誰か連れてくるとは思わなかった」

「僕自身が来るとも思ってなかったものね」


 あはは、と軽く笑ったシュウに、店主のフェイだよ、と教えられる。


「ついでに、僕の兄」

「え、お兄さん?」


 兄がいたとは知らなかった、と素直に驚いて、俯きがちだった顔を上げてフェイという人物を見つめてしまう。シュウと同じ髪の色、瞳の色、シュウを少し硬くしたような顔つきの、これまた随分と背の高い人だ。


「限りなく他人に近いけれどね」

「いやおまえ、おれっておまえの実兄だから」

「そうなの?」

「訊くなよ。ちょっと本気に聞こえるだろ」

「僕は本気だよ」

「……シュウくん、それ以上言われると、兄さんかなり悲しいわ」

「冗談だよ」

「おまえの顔だと嘘と冗談の区別つかないからやめてください」


 満面笑顔のシュウに、フェイは大真面目に頭を下げた。どうやら本当に血のつながった兄弟であるらしい。


「うちの親、諸事情で長いこと別居していたんだよ。僕は母に、フェイは父に引き取られてね。僕がこの町に帰ってきたときに再会したんだ」


 数少ない席に腰を下ろしてから、シュウにそう聞いた。お茶と菓子の用意をしてくれているフェイも、手を動かしながら頷いている。


「再会したときはこいつ、本気でおれのこと忘れてて……そういえばいたなぁなんて言われた日には泣いたよ」

「幼いうちは新しい記憶に次々書き変えられていくものだからね」

「いやそれでもおれはおまえの兄だからね? 忘れるってひどいよ? お願いだから忘れないで。兄さんシュウのこと大好きだから」

「僕はあまり好きじゃないかな」

「シュウくん、それがいっとうひどいからねっ? 兄さんのことすっごく傷つけてるからねっ?」


 兄弟の会話はいつも、シュウがフェイを揶揄して遊ぶ流れになるらしい。ただ聞いているぶんには面白いが、当事者であったらちょっと物騒かもしれない。ユサの心理的にはシュウよりもフェイに味方したところだ。


「なんて手厳しい弟だろう……はい、ユサちゃん。甘いものは平気?」

「あ、どうも。平気というか、そんなに食べたことがないのでわからないです」

「甘いものは身体にいいよ」


 シュウと同じことを言いながら、フェイは果実の焼き菓子をユサの前に置く。麺麭の生地のようなものを薄く切って幾重にも重ね、その中央に果実が挟まれているお菓子だ。シュウにも同じものが出された。


「林檎だよ。この辺りでは食べられない果実だね」

「りんご……」

「これは砂糖がなくても自然な甘みがあってね。さあ、食べてごらん」


 初めて見る焼き菓子に、少しだが警戒心が湧く。もともと食べず嫌いなところがあるせいか、その手つきはゆっくりだ。なんとか口に運ぶ頃には、見守っていたフェイが苦笑していた。


「ん……」

「どう?」

「……おいしいかも」


 さっぱりとした、口当たりの優しいお菓子だ。口のなかに広がる甘味は、果実独特の瑞々しさを残している。

 二口めからは警戒心なく食すことができた。むしろ順調で、傍らで見守っていたシュウも笑っていた。


「このひと、作るものは奇抜だけれど、味は確かだから」

「さもおれが変なものしか作ってないように言わないでくれないか」

「事実だろう」

「う……だが美味しいものだ。おれは美味しいものにしか興味がないからね」

「ということだから、こればかりは安心できる」

「ひどい言い方だねぇ」


 褒めているのかそうでないのか、シュウの批評はよくわからないものだが、フェイが作ったものは美味しいと思っているのだろう。ユサが食べ始めると、自分もさくさくと食していく。焼き菓子と一緒に出された紅茶も、お菓子の甘味を邪魔することのない苦みがあって、ちょっと癖になりそうだった。


「ふぅ……ごちそうさまでした」


 食べることに夢中になってひたすら手を動かしていたユサは、そもそも食事中に会話ができない性質だ。シュウはフェイを弄って遊びながら食べていたが、そんな芸当をユサがしたら天地がひっくり返るだろう。ユサが食べ終わるよりも早く食べ終えていたことを考えると、シュウはなんにしても器用だと思う。


「いい食べっぷりだったね」

「あ……ごめんなさい、つい夢中で」

「いやいや、上品にゆっくり食されるのもいいけど、美味しいあまりに夢中になられるのも嬉しいからね。もう少し食べるかい?」

「これ以上食べると夕食が……でも食べたいです」

「好きになってくれたかな? なら、持ち帰り用に包んであげよう」


 ユサの食べっぷりにフェイは機嫌をよくしたようで、随分と嬉しそうに焼き菓子を箱に詰めてくれた。祖父セイドにも食べさせてあげられることは嬉しいが、しかし気になるのはお値段だ。持ち合わせが少ない。


「あの、おいくらですか?」


 おずおずと問うと、シュウが手を軽く上げて遮ってきた。


「ここは僕が持つよ。誘ったのは僕だからね」

「え、でも」

「それに、フェイは僕にいくつかツケがあるから、だいじょうぶ」


 シュウの申し出は正直有り難い。だが、誘ったからといってシュウがここの勘定を持つには、ユサとシュウにそれほどの関係性がない。断れなくても誘われてここまで来たのはユサ自身の判断でもある。


「シュウの言うとおり、ここの払いは気にしなくていい。それに、実は売れ残りなんだ。この辺の人たちは林檎を見たことがなくて、なかなか食べようとしてくれなくてね」


 フェイまで気にしなくていいと言ってくれるが、余計に悪い気がしてくる。


「じゃ……じゃあせめてお茶代だけでも」

「奢らせてって言ったでしょ、ユサ。どうしても気になるなら……そうだな、僕に少しつき合ってよ」

「つき合う?」

「薬草摘み。ちょっと奥まった山に入りたいから、イースを連れて来てくれると助かるんだ。幾度か遭難して、イースを連れたおじいさんに助けられているからね。遭難する前にその対策を講じておきたい」


 対価としては不釣り合いかもしれないが、と言ったシュウだったが、しかしそれはユサには名案だった。フェイに麺麭のようなものをいただいていたイースを、つまりはシュウに少し預ければいい。世話は、まあ必要としないだろうが、ユサがやるという口実ができる。


「いいんじゃないか? シュウのそれを手伝うたびに、ユサちゃんは美味しいものを奢ってもらうことにすればいい」


 金銭のやり取りより、よほど良心的ではないかと、フェイも賛成してくる。


「……そんなことでいいの?」

「すごく助かる。山で迷子になることほど寂しいことはないからね」


 イースはどうだろう、と視線を足許に下げれば、異論がなさそうなイースは尻尾をゆったりと振っていた。遭難したシュウ捜しは得意らしいイースであるから、確かに最初から連れて行けば安心できるだろう。


「わたし、山歩きは慣れてないから、足手まといになると思うけど」

「ユサにして欲しいのはあくまで薬草摘みだ。山道はイースに頼むんだよ」


 だからよろしく、とシュウに微笑まれる。イースを連れて来ることが重要ではあるのだが、シュウの言い方はあくまで薬草摘みを手伝ってくれるユサのほうを大事にしてくれていた。言葉の使い方一つで、ものごとは随分と様変わりする。


「よ……」

「ん?」

「よろしく」

「うん。頼んだよ、ユサ」


 ホッと安堵させられるシュウの微笑みに、ユサも笑った。







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