【BL】その声が。
【 まえがき 】
■ポケクリからの再掲[移転]です
■キスシーンあり
2012/10/3
顔よりも、なにより、声が好きだった。俗にいう、ハスキーボイス。名前を呼ぶ声。好きだと囁く声。普通に、笑う声。うん。好きだったよ。
その声ももう聞くことはないけれど。だって、彼はもういないのだから。俺に飽きたらしい。
元々、奴は浮気というか……、何人かと関係を持っていた。飽きたら別の誰かへ鞍替え。それがスタンス。
でも俺は――忘れられない。
忘れようと、他の奴とも付き合った。でも、思い出すのは彼の声で、何時だってそれが原因で別れを繰り返すのだ。
今は落ち着いているが、彼女の声は遠くにある。
「ねぇ……、聞いてる?」
「え、あ、あぁ……」
コップの中の氷が、カランと冷たい音をあげた。ストローで氷を回せば、耳をつんざく音があがる。
「このあと、行くでしょ?」
彼女とのデートは、決まってホテルで終わる。その後は一人。
「あぁ」
「あ、あれ、暁じゃん」
思わぬ人の名前に心臓が跳ねた。
「相変わらず、女連れだねぇ。ま、あたしも人のことは言えないけどぉ」
「――出よう」
会いたくない。会いたくない。会えば、乱される――。
「え、ちょっとっ、凪砂っ」
彼女の手を取り、レジへと足早に歩く。
「――凪砂」
だが、レジへ一メートルのところで、声と共に腕を取られた。ずくんと心臓が疼く。
この声は暁のモノ。俺の、一番好きな声。
「面、貸せよ」
「……無理だ」
飽きたならほっとけよ。構うなよ。その意を込めながら彼の手を払い、震える腕を後ろに隠す。
「凪砂?」
「帰ろう、佐倉ちゃん」
ぽかんと立ち尽くす彼女――佐倉純の腕を再度取った。
「会計、お願いします」
待っていたウェイターに請求書を出してそう言えば、レジを打ち始めた。それを数秒間眺めていれば、ウェイターが口を開く。
「合計、四百六十円です」
ドリンクバー二人分なのでかなり安い。
後ろのポケットから財布を出して、小銭入れから五百円硬貨を取り出したら――床に落ちた。チャリーン、と軽快な音が響く。
流石に震える手で出すべきではなかったか。
「あ……」
「ほら」
疼く心臓が、脈を速くする。
手首を掴まれ掌に五百円硬貨を押し付けられた。
「凪砂、俺――」
なにかを言いかけた暁を無視し、お釣りを貰ってそのまま店を出る。
鼓動が速く、躯が熱い。
「凪砂っ……、痛いよ」
「あ……、ごめん」
気付いて手を離し、後ろを振り返る。
「茹でダコみたい」
佐倉ちゃんはそう言って、くすくすと笑う。
この顔は好きだ。だけど――佐倉ちゃんのことは本当に好きな訳ではない。
成り行きでデートをし、最終的にホテルに行くだけ。佐倉ちゃんには好きな人がいるし、その好きな人に雰囲気が似ている俺とつるんでいるだけ。
ホテルと言っても躯の関係は一切ないし、話をして帰る――。ただ、それだけのこと。それだけの、関係。
「凪砂、行こう」
「うん」
差し出された手を取り、歩き出す。
佐倉ちゃんの香水の甘い香りが、ふわりと匂った。
飽きられたんだから、忘れなければいけない。忘れなければ。忘れるんだ。何度も思った。
『凪砂』
それでも――。お前の声が忘れられないんだ、暁。
「凪砂っ」
佐倉ちゃんが俺の腕を引く。彼女を眺めれば、肩越しに振り返っていた。
そこに視線を遣れば、暁の姿があった。隣を歩いていた彼女――予想だけれど――の姿はなく、彼一人だ。
艶のある茶色い髪は太陽光に照って輝き、彼の綺麗な顔は――俺を好きだと言っていた頃と変わらない。なにも、変わっていなかった。そして、俺もあの時からなにも変わっていない。時が止まったかのように。
暁は俺達に歩み寄り、肩を上下に揺らす。
「凪砂……お前……っ」
彼は目を見開き俺を見ていた。佐倉ちゃんの可愛い顔も、眉を顰めて俺を眺めている。
そっと触れる佐倉ちゃんの指には水滴が付いているのが解った。それは、紛れもなく俺のモノ。その正体は言わずもがな涙だ。
「――凪砂、ごめんな」
どうして謝るのか理解出来ず、俺は暁を揺れる瞳で見詰めた。
「凪砂。話がある。だから――……」
「別れただろ、俺達。もう終わったんだよ」
違う。何故謝るのか聞きたいだけだ。それなのに、口から出るのは全く違う言葉で。
「何時、別れた? ――純、もういい。コイツのお守りは終わりだ」
「方はついたんだ?」
「まぁな。大変だったけど」
二人の会話の意図なんて俺には全く解らない。なにを思い、なにをしたのか。
「佐倉、ちゃん……?」
「ごめんねぇ、凪砂。私、嘘ついてたんだ。暁が五月蝿くてさぁ」
佐倉ちゃんは繋いだ手を離し、暁の元へと歩み寄る。暁は俺の腕を取り、俺を引き寄せた。
「凪砂」
「な……んだよ、それ……」
嘘。全てが、嘘――?
「泣くなよ」
「泣いてねぇ! 離せよっ、離せ!」
頭が真っ白になる。解らない。なにが嘘で、なにが本当なのか。
腕を突っ張ねて引き剥がそうとするが、それは叶わない。引き剥がそうとすればするほど、強く抱きしめられる。
「凪砂、別れたなんて言うな。つか、そもそも別れてねぇし」
「んだよ……、それ。言ったじゃん。――飽きたって、お前、言っただろ……」
声が震えて上手く言葉を紡げない。情けないし、恥ずかしくもある。
「何時、言ったよ?」
「解んねぇよ、そんなのっ。解んねぇけど、言ったんだよ!」
何時なんてそんな細かいことは覚えているわけない。寧ろ、困惑したとしか思い出せない。
「凪砂」
囁く声が好きだ。どうしても、忘れられない。
「す、きだ――」
「うん。俺も好きだ」
離したくないのに、離れていった。それなのに――求めるのは、ズルイ。
「飽きた、じゃんか」
「飽きてない。落ち着いて、状況思い出してみ」
髪を梳く手の温もりに、ぐちゃぐちゃの気持ちはゆっくりと解けていく。
瞼を閉じて思考を巡らせ、過去を甦らせる。
そう。あの時は――。
中古アパートの一部屋に二人で住んでいた。
今はその部屋に俺一人。一つの温もりが消えただけで、ひんやりとしている。
『凪砂――寝てんの?』
リビングの床に寝転がる昼寝から意識が戻された。ぼんやりとした思考では、声を拾うので精一杯だ。
少し息苦しくなった後に、軽いリップ音がする。あぁ、キスされた。
『……これも飽きた、な』
なにに飽きたんだよ。もしかして、俺に飽きた――のか?
『……凪砂……、方つけに行くから、待ってろよ』
立ち上がる気配がした後に、テレビの電源を切る音がする。
数秒間の沈黙の後、玄関のドアが閉まる音がした。響くそれは何故か虚しく聞こえた。
「――……飽きたじゃん」
どう思い出してみても、『飽きた』と口にしている。
「だから、凪砂に飽きた訳じゃない。どうしたら解ってくれる?」
「佐倉ちゃんとはどういう関係?」
「妹」
「誰の?」
「俺の。名字が違うのは両親が離婚してるから。心配だから見張らせてたんだよ」
佐倉ちゃんを見遣ればこくんと頷いた。それでも、俄には信じられない。
「信じると思ってるのか?」
またぐちゃぐちゃだ。顔も思考も。訳が解らない。
「女も男も見境なく手を出した結果だし、方をつけるのに時間が掛かることは目に見えてた。電話もメールもしなかったのは、すれば会いたくなるからだ。束縛が強い奴に捕まったのは誤算だったけど」
「……飽きたのは、なに?」
「ゲームだよ。やってただろ、RPG。全クリして五週目にはアイテムもフルコンプしたからさ」
そう言われて思い出す。暁は携帯ゲーム機のRPGをやっていたことに。
「本当に?」
「お前にだけは嘘吐いたことないから」
「んだよ……。っ……、好きだ」
離れていったのに、戻ってきた。その安心感に目頭が熱くなる。
触れたいのに、隣には誰もいない毎日で。ひんやりとした部屋に残るのは、置き忘れた暁の使用物。
ボロボロと溢れる涙は、寂しさと、嬉しさが混ざっている気がする。
「ごめんな。もう、いなくならないから」
「一緒にいた、人は……?」
「大学の友達だよ。たまたま会ったから、お茶しようってことになっただけ」
理解したと頷けば、小さく笑って髪を撫でる。その温もりが、愛しい。
一頻り泣いて涙を拭えば、佐倉ちゃんが声を出した。
「次はないからね、お兄ちゃん」
「解ってるっての。金は振り込んどいたから」
「サンキュ。じゃあね、凪砂。またね」
佐倉ちゃんは手を振って、どこかに走り去ってしまう。
「佐倉ちゃん、どこに行くんだろう?」
「友達んところじゃね?」
「振り込んだってなに?」
「親父からの養育費。俺は親父に引き取られたから。他に聞きたいことは?」
「ない、と思う……」
――多分。ぐちゃぐちゃな思考は落ち着いてきたがまだ纏まらない。
「帰るか、家に」
「友達は? いいのか?」
「いいよ。凪砂を追いかけるのに別れたし。それに今は――」
顔が近付き、すぐに離れる。唇には微かな温もり。
「お前といたい」
抱きしめて囁く声は、あの頃と同じハスキーボイスで。なにも変わらずに、鼓膜を犯す。
「バカ野郎……」
小さく呟くが、どうしたってその声が大好きな俺は、お前の虜なのだ。
――愛しくて、堪らない。
end.