物語の終わり
「ふ〜」
カーテンが閉め切られ、シーリングライトすらついていない暗い部屋。デスクトップに繋がれたモニターとその上に設置されたモニターライトだけが目の前の男の顔を照らしている。大きなため息をつきながら、その光に照らされた男の顔は、正直に言って酷いものである。断っておくと、男の顔の造形に関することではなく、その状態についてである。髪はボサボサで、無精髭を生やし、軽く充血した目とその下には大きなクマができている。とても人前に出られた見た目ではない。そんな男は大きく息を吸い込みながら、両手を頭の上に上げ、椅子に座りながらも体を伸ばす。長い時間椅子に座り続けていたからだろう、伸ばした体からはポキポキと音が鳴る。
「くっ、、、」
体を伸ばした時の気持ちよさと、程よい痛みで声にならない声を発する。
と、同時にデスクの上に置かれたスマホが鳴る。男は少し顔を顰めながらも、スマホの画面に表示された名前を見て電話に出る。男が何か言う前に、そのスマホからは声が聞こえる。
「もしもし、先生?お疲れ様です。原稿受け取りました、ありがとうございます。こちらで確認次第アップロードして編集しますがよろしいですか?」
「はい。よろしくお願いします。」
聞かれた男は力無く答える。電話口の男の声の元気にはついていけないほど疲労が溜まっているのだろう。
電話の相手から先生と呼ばれたこの男。名前は、熊井悠音。何を隠そう小説家である。若干30歳ながら他ジャンルで多くの作品を執筆しており、若手人気作家の一人である。小さい頃から本を読むのが好きで、自作の短編物語を書いたり、周りの友達に自分が作った物語を聞かせたりしていた。そのうちに自分の物語をより多くの人に読んでほしいと小説投稿サイトにあげ始め、それがとある出版社の目に留まり、そこから小説家として活動しているのである。
ただ、人気小説家というのも大変なもので、常に新しい物語のアイデアを考え、それを形にしていかなければならない。あまり間隔を開けすぎると固定客が離れてしまうため、常に新しいものを書き続けるなど、思っていたよりも大変な職業であった。
それでも熊井が書き続けているのは、ファンの期待に答えるため、と言えれば格好良いのだろうが、実際は自分の創作欲求を満たすためである。書きたいから書く。書きたいと思うものが溢れる限りはそれを形にし続ける。それが熊井悠音の生き方なのである。
「今回の話で一応完結なんですよね?」
担当編集の男が熊井に問いかける。
現在、熊井が連載している物語は王道のファンタジー小説だった。自身初のファンタジー作品であり、作品名は『勇者列伝』。なんともシンプルな名前である上、勇者が魔王を倒すという王道オブ王道の展開であるが、その中で複雑に絡み合う世界情勢と人間関係を織り交ぜた物語で、人間の国同士の複雑な関係と、それを利用しながら世界を征服しようとする魔王とその部下たち。魔王の深い思惑とそれでも人間には容認できない思想の違いをうまく表現しながら作り上げられた物語で、多くのジャンルに精通している熊井ならではのファンタジー作品へとなっていた。
そしてこの作品は、勇者側だけではなく、敵である魔王側にも多くのファンが発生する大人気作品であった。メディア展開もされており、コミカライズ化の際には人気絵師である、ブラックコーヒー先生が作画を担当し、その作画をもとにしてアニメ化もされた。これは完全にブラックコーヒー先生の活躍であるが、魅力的な見た目のキャラクターが多数登場したことで、少し重めな作品の内容ながらも、若い女性ファンや熱狂的な男性ファンを多く獲得していた。ちなみに、ブラックコーヒー先生は熊井自身が指名して作画をお願いしており、これ以上ない出来であると大いに満足していた。
勇者たちが率いる人間の国々のキャラクター人気も高かったが、特に魔王側のファンの熱量は凄まじく、完結が近づくにつれ、なんとか魔王に死んでほしくないという声がネットの掲示板を中心に溢れ、嘆願書が出版社にも多く寄せられるという異様な現象が起きているほどであった。とはいえ、今作は王道展開で行くと決めていた熊井は、そんな意見に流されることはなく、当初の予定通り勇者が魔王を討伐することでこの物語を終わらせることにした。そして、その最終話を先ほど執筆し終え、担当編集の元へと原稿を送ったのである。
「そうですね。この作品についてはここで一旦の区切りにしようかなと。流石に、最終話は納得するものができるまで、時間はかかってしまいましたが。」
「やはり、勇者が魔王を討伐する展開にしたんですか?」
「ええ、書き始めた時から結末は決まっていましたから。今回の作品はあくまで王道のものにすると・・・。」
「勇者が魔王を討伐するという王道展開の中で、ここまで魔王側の人気が出ることも珍しいんですけどね。ちょっと勿体無い気もしますが、逆の展開にしたらしたで、色々言われるでしょうしね。途中まではこの魔王が敗北する展開が予想できませんでしたが、さすがといったところでしょうか、見事にまとめられましたね。」
「まあ・・・。」
(勿体無いって言われてもな。魔王側にここまでファンがつくなんてこと予想してなかったんだからしょうがないじゃないか。)
熊井は内心でそう思いながら曖昧な返事をする。作者の熊井にしても、ここまで敵側にファンが生まれるとは予想していなかったのである。
「魔王復活の可能性はないんですか?今すぐじゃなくても続編を書くとか。」
「そう言われるとは思っていたので、一応、その可能性は残しておきましたが・・・。」
「さすが先生!いやー、そうですよね。先生ならわかっていただけると思っていましたよ。Ifストーリーってのもいいですし、未来の話ってのもいいですよね〜。」
明らかに先ほどまでよりも機嫌の良さそうな声色で熊井をおだてる。
編集者側としては大人気のシリーズはなるべく続けて欲しいのだろう。熊井も十数年の小説家人生の中でそれを理解していた。それに、とある理由も関係していた。
その後、いくつかの会話のやり取りを終えると編集者の男は「では。ゆっくりお休みください。」と言って電話を切った。
ツーツー、というスマホからの音を何度か聞いた後、熊井も電話を切りデスクの上に置く。そして今一度大きく息を吐いた。
そして、自分が書いてきた物語をモニターの画面に映しながらゆっくりとスクロールしていく。第一章から始まったこの物語を順々に流し見する。自分が書いた文章を読むと執筆時のことを色々思い出す。この時は風邪を引いて熱がある状態で執筆したなとか、あまりにも展開が定まらなくて書くのに時間がかかった場所だとか、逆に楽しくなりすぎて一気に執筆してしまった場所だとか。さまざまな思い出が熊井の頭の中を駆け回る。
(やっと、終わったのか。)
自分が紡ぎ上げた文章を眺めながら、少しセンチメンタルな気持ちが熊井の心を揺らす。今回の作品は、熊井の今までの作品の中でも上位に入る連載期間の長い作品であった。それに構想から何年も経って形になった力作である、それだけに思い出深いものがある。そして、それ以上に熊井の心を動かす要因があった。
それは、先ほど編集者にも言われていた結末に関することである。王道のファンタジーを作ろうと思い、書き始めた作品で、熊井が先ほど言った通り、結末は初めから決まっていた。勇者が魔王を倒すというものだ。これは構想段階からブレずに通してきた筋であった。しかし、読んでいるファンを魅了し、嘆願書まで送られてくる魔王側である。書いている熊井本人も言わずもがな、魅了されていた。自分で書いておきながら、負けてほしくないなと思わされていた。とはいえ、勇者側もとても魅力的であったために、当初の予定通り勇者側が魔王を討伐することで物語を終幕させたのである。
(この後、いろいろな論争が起きるんだろうな。俺だって本当は魔王に勝って欲しかったけど、書いている俺がそこを曲げるわけにはいかないからな〜。はぁー。)
子供の頃からなんとなく敵側の方に思い入れが強くなる傾向があった。仮面ライダーを見ても、もちろんライダーのかっこよさに惹かれながらも、敵である怪人の刺々しいデザインや無骨なかっこよさに大いに惹かれていた。理不尽そうに見えながらも怪人にもそれなりの大義があり、野望がある。他人から見ると馬鹿げていて、許容できないものであったとしても、それも叶えるために怪人も本気なのである。そういった漢らしさに、幼い熊井は感銘を受けたのである。それを自分の作品に反映させていった結果が、今回の魔王側の人気につながったのだろう。
この後、送った原稿が校閲されて、サイトにアップロードされると多くの読者がそれを読むことになる。おそらくは勇者派閥と魔王派閥の論争が巻き起こるに違いない。一つの物語が完結した時には必ずと言っていいほど、その終わり方に対する論争が起きる。恋愛小説においては、主人公がどのヒロインとくっついたのかによるヒロイン論争が起き、推理小説においては犯人が誰なのか動機がどうだったのかにより論争が発生する。ファンタジーやバトルものは、前二つに比べるとそこまで大きな論争は起きないのが通例ではあるが、今回の熊井の作品は別である。敵対する両陣営に相応の数のファンがいるので、どんな結末にするにせよ白熱した論争は約束されているのである。それを思うとなんともいえない気持ちになる。
(まあ、どんな論争が起きるにせよ、それを受け止めないとな。魔王復活の可能性は少ないながらも残したんだし、いつかやる気になったら書くのもいいかもしれないな。)
「ふわぁ〜。」
込み上げてくるあくびを一つすると、どっと疲れが押し寄せてくる。
無理もない、熊井は完結編を書き上げるためにずっとモニターに向かいながら文章を書き続けていた。ゆうに三徹は超えているだろう。書き上げるという気合だけで執筆し続けていたが、完成したことでその糸が解けたのだろう。込み上げてくる眠気に抗う気力すら残っていない。あとは編集者さんに任せて、彼の言った通り、ゆっくり休もう。
(流石にベッドに、、、)
そう思いながら視線をベッドの方に移すも、椅子から立ち上がることができずに瞳を閉じてしまう。そして、目の前のデスクにつっぷりと伏せてしまった。瞳を閉じたら最後、すぐに深い眠りの世界へと入っていく。熊井の意識は深海へとどんどん沈んでいくかの如く、現実から離れていった。
熊井が深い眠りに落ち、モニターの明かりとモニターライトの明かりだけだけが輝く静寂が、部屋を包み込む。微かに聞こえるのは熊井の寝息とエアコンの風音だけである。そして、そのモニターには、物語を書き終え、改行後のテキストカーソルがチカチカと点滅している。何度も点滅を繰り返しながら、誰も操作していないため、いずれ訪れるスリープモードを待っているだけである。
しかし、誰も押していないはずのエンターキーが急に反応し、どんどんと改行を繰り返す。もちろん熊井はキーボードにさえ触れていない。彼はすでにこの世界には意識がない。テキストカーソルの反応スピードは徐々に上がり、みるみるうちにページ全てが改行状態になっていく。
1ページ、2ページ・・・。白紙のページが完結後の物語の後に生成され続ける。
数十ページの白紙の後、テキストカーソルは白紙のページの一番上でその改行を急に止める。そして、そのページの先頭にはある文字が刻まれる。それは熊井が各話の始まりに、その話のタイトルとしてつけていた二重カギカッコに入れられていた。
『魔王復活』




