7.護衛騎士見習いの嘘―ローストビーフと ブラック・ベルベット―
エリザベータが帰った数時間後の深夜、オフィーリアの前に腰を下ろしたのはミシェルだった。
その瞳はどこか虚ろで、奥に燃える感情が奇妙だった。
「久しぶりだね、オフィーリア。
俺、辺境に行くことになったんだ」
「そうらしいわね。
……貴方は、それで満足?」
グレイビーソースのかかったローストビーフを見詰め、オフィーリアは問いかけた。
うらぶれた酒場で供されるには洒落た盛り付けのローストビーフはミシェルとオフィーリアの好物だったはずなのに、どちらも手をつけていなかった。
「満足?そんなこと考える必要なんてないだろ?
俺はこの国を、国王陛下をお守りする駒になるんだ。
こんな素晴らしいことはないだろ」
虚ろな瞳で、ミシェルは興奮して語りだす。
口調と瞳の温度差にオフィーリアの背筋が冷たくなった。
温厚な国王陛下、だが冷徹と有名な宰相と獰猛だと有名な騎士団長を従えているのだ、温厚なだけの筈がない。
「……そうね」
きっとミシェルの記憶の中に、あの日の断罪劇未遂はもう残っていない。
腹違いの弟に対する憎悪も、母に対する復讐心も、全て国王陛下への忠誠心に置き換えられている。
時折苦悶の表情を浮かべているのは置き換えられた心が抗っているのだろう。
だが、恐らくはそれも長くは続かないだろう、とオフィーリアは確信していた。
「だから、すまない。
辺境に行くからオフィーリアとは結婚できない、申し訳ない」
頭を下げるミシェルにオフィーリアは苦く笑った。
元々、結婚する気があったのかどうか、聞く術はもうない。
「仕方ないわ。国を守る立派なお仕事ですもの。
……体に気を付けてね」
「ああ、ありがとう。
最後の食事になるんだ、ゆっくり食べよう」
促されるままにローストビーフを口に運んだ。
グラスを満たすブラックベルベットを飲む気になれず、手の中でグラスを揺らすだけだった。
泡がなくなっていく様に虚しさを覚えた。
「それでな、レオン様に筋トレのコツを聞いたんだ。
辺境に行ったら全ての扉を鉄製にして、日常生活からトレーニングになるようにしようと思う」
「碌なこと言わないなあいつ」
……ミシェルにとっては、今が一番幸せなのかもしれない。
誰も恨まず、忠誠心で国に仕える。
血筋の柵も、何も考えなくてもいいのだから。
「もっと食べないと力がつかないぞ。
オフィーリアは風邪をひきやすいんだから、もっと食べろ」
「ありがとう」
出会った当初、よく体調を崩して学び舎の医師にかかっていたオフィーリアを外に連れ出し、
体力をつけようと誘ってくれたのがミシェルだった。
あの時には既に、計画を立てていたのだろうか。
泡のなくなったブラックベルベットを飲み干し、それが別れの合図になった。
ミシェルを見送ろうと、酒場の店先まで2人並んで歩いた。
たった数歩の距離で、それまでの関係も、これからの関係も終わる2人だった。
店の外に立つミシェルと、店の中に立つオフィーリアは最後の別れを惜しんでいた。
「明日の早朝出るんだ。
世話になった」
「今までお疲れ様。
……ねぇ、貴方は、私と婚約する気はあったのかしら?」
オフィーリアの言葉は、風に邪魔されミシェルの耳には届かなかったらしい。
「うん?何か言ったか?聞こえなかったんだ」
オフィーリアは首を振り、何でもないわ、と答えた。
「それじゃあ」
「ああ、じゃあな」
再会を期待する言葉もなく、オフィーリアはミシェルの背中を見送った。
オフィーリアが店の中に戻ったことを確認したミシェルの瞳に力が戻る。
「本当は、オフィーリアと生きていきたかったんだ……」
呟いた後、再び瞳は力をなくし、真っ直ぐと辺境だけを目指していた。
♦♦♦
「彼はもう行きましたか」
ミシェルがいないからこそ店に入って来ただろうに、臆面もなく言うカートをオフィーリアは冷たく見た。
「ええ、ずっと、貴方が見ていた通りですよ、カート先生」
「おや、気付いていましたか」
余裕な表情でウィスキーのボトルをテーブルに置く男が憎らしい。
いつから、計画していたのか。
「いつからですか?」
腹立ちまぎれにウィスキーのボトルを奪い、グラスに注いでストレートのまま一息で飲んだオフィーリアはカートを睨み付けた。
「いつから、とは?」
ミシェルが座っていた席に腰を下ろし、新しいカトラリーを手にしたカートは、新しく注文したグレイビーソースを多めにかけたローストビーフを口に運びオフィーリアを見据えた。
「ミシェルは、元々そんなに野心家じゃないはずです。
結婚したら、田舎に行って羊を追って生活したいと言っていたくらいです。
それまで嘘だとは思えない」
「素晴らしく細やかな夢ですね。
きっと義姉上は許さない穏やかな暮らしだ」
「やっぱり、絡んでますか」
何故王妃があのアミュレットを渡したのか。
次世代トリオのトレーニングと言うにはあからさますぎる。
それがもし、夢を見させる計画に一役買っていたら、何て考えすぎだとオフィーリアは思っていた。
「ほんの少し、野心を増幅させてみただけです。
もし、彼が何も変わらなければ、きっと義姉上も見逃したでしょう」
「結局、私と天秤にかけて復讐に傾いただけですね」
ウィスキーを自分のグラスに注いで一気に呷ったカートは空のグラスに視線を落とした。
「そうでしょうね。だから言ったんですよ、バカな子だ、と。
野心など持たなければ、―小さな火種で燃える野心がなければ、見逃してくれると言う約束だったんです」
自分に言い聞かせているようで、そこで初めてカートの表情が曇った。
彼は彼なりに、不憫な甥っ子を案じていたのだろう。
叔父と名乗り出ることはできなくても、エルンストや国王陛下と同じ栗色の瞳が陰るところを見たくなかったのかもしれない。
「辺境が精一杯の譲歩ですか」
「ええ、王族は恐ろしいんですよ」
思い知りましたよ、とオフィーリアは杯を重ねた。
「カート先生、お願いがあるんですが」
「何ですか?」
「歯ぁ喰いしばれ」
おもむろにグラスを置いたオフィーリアは対面に座るカートの衿元を掴み思い切り振り抜いた。
ミシェルが受けた拳よりも重い音が酒場に響いたが、店主は酔っ払いの痴話げんかだと思い声をかけなかった。
唇の端から血を流し、カートは苦笑いを浮かべた。
「予想はしてましたが、中々思い切ってやってくれましたね」
「ええ。エリザベータと話した時、絶対許さないって誓ったので」
カートは口元の血を指で拭いながら、グラスの縁を指先でなぞった。
「そう、許さなくていい。
結局、私は王家に尻尾を振っているに過ぎないんだから」
「ふざけんなって話ですよ。
結局選んだのは自分じゃないですか。
甥っ子あんなにしといて、悲劇の主人公気取らないでください。
―虫唾が走る」
オフィーリアの亜麻色の瞳がギラギラと光る。
これこそ、聖女に選ばれた者の眼光だろう。
その眼光が、カートの逃げを許さない。
「……そうですね」
オフィーリアはウィスキーをグラスに並々と注ぎ、カートのグラスにも注いだ。
「今日でミシェルを恨むのは終わりにします。
忘れる訳じゃないけど、追いかける気概もないんですよ……」
カートはウィスキーが注がれたグラスを見つめた。
琥珀色の液体が、静かに揺れている。
「諦め、ではないようですね」
「ええ、私を選ばなかった彼の復讐心まで抱えて生きるなんて、私には無理なんです」
「そう、それでいいと思いますよ」
カートは静かにグラスを持ち上げた。
その手は、少しだけ震えていた。
「ただ、思い出すと腹立つんでその時はまたカート先生に会いに行っていいですか」
「……拳がないなら歓迎します」
カートが頬を擦って言うと、オフィーリアは声を上げて笑った。
涙が零れていたが、カートは見ないふりをして、オフィーリアのグラスにウィスキーを注いだ。
グラスを合わせることもなく、互いに無言でウィスキーを飲み干していく。
喉が焼けるような後味も、その内忘れてしまうだろう、とオフィーリアはそっと目を閉じた。
終幕
おまけ
「結局聖女任命の条件って何ですか?」
「カート先生も知らないんですね。
候補全員入り乱れてのデスマッチですよ」
「……」
「嘘だよ」
本当はクジ引き。何かなぁって気分になるので皆口を噤む。
聖女になる人しか文字が浮かばない仕様だけど候補は知らない。オフィーリアも知らない。
ご覧いただきありがとうございました。
追放された聖女って王道だよねって書き始めたんです。
王道の方面には道がなかったんです。
酒場から動くことなく推測していく感じで進めたかったんですが、何故かずっと飲んでました。
オフィーリアは元側室と男爵令嬢のその後は気にしてないですが、王妃様が許していればいいですね、といったところで(察し)
お付き合いいただきありがとうございました!
因みに、カートさんは26設定。王様とは年が離れていますが仲良しです。
王 40
王妃 39
結婚したのが19と18 なので結構苦労したらしい。
カートさんはエルンストが結婚して子供産まれるまで結婚するの怖いなーって思ってます。