6.ある聖女の怒り―アップルパイとカルヴァドス―
小さな酒場は夕方に開店する。
開店と同時に店に足を踏み入れたオフィーリアは、最近の定位置である四人掛けのテーブルに腰を下ろした。
皆が来る度にそこそこの量を頼んでくれるので店主もホクホク顔でオフィーリアを歓迎していた。
元々、オフィーリアだけでも売上は倍になっていたが、軽食も一緒に頼んでもらえるようになり更に喜んでいた。
そんな酒場に似つかわしくない女性が店に入ってきた。
「やっと見つけましたわ……」
「エリザベータ、久しぶり!」
吞気に笑うオフィーリアを認めた瞬間、エリザベータの目から涙が零れた。
「心配してましたのよ…!ご実家にも行きつけのカフェにもいらっしゃらないで、酒場にいるなんて思いもしませんでしたわ…。
夜は出歩かないと思って昼間に探させていたのですが」
「あ、昼間は寝てるわ。ごめんなさい」
学び舎を出てからはすっかり昼夜逆転生活で、毎日のように酒瓶を2本は空けている。
こっそり王子やセシル、レオンの会計にこれから先の酒代を分散させていたが、迷惑料だと思っていた。
「アップルパイを持参しましたの。ご店主、切り分けるのにスペースをお貸しいただけるかしら?
持ち込み代はそちらの護衛に請求してくださいね。
後、カルヴァドスは置いてます?あるならボトルでいただくわ」
店に置いてあるカルヴァドスの中でちゃっかり一番高いボトルを置いていく店主もいい度胸だな、とオフィーリアは思ったが、そもそもエリザベータは公爵令嬢なので値段は気にしないだろうと納得した。
公爵令嬢が持ち込み代を気にするなんて、とオフィーリアは思ったが教えた自分が指摘するのも、と黙っていた。
目の前に運ばれたアップルパイにはバニラアイスが添えられ、少し溶け始めているのが食欲をそそる。
カルヴァドスを口に含んでからアップルパイを堪能すると、お茶会の雰囲気とは違う味わいがあった。
「そうだ、エリザベータ、この手記ありがとう。
面白かったよ」
「楽しんでいただけたなら何よりですわ。
それよりも、あの日一体何が起こったのかしら?」
首を傾げるエリザベータにオフィーリアはどこまで話すべきか迷った。
「そう言えば、聖女就任おめでとう。結婚延期になっちゃったの?」
さり気なくエリザベータの結婚に意識を向けると、エリザベータはにっこり笑った。
「エルンスト様には立場を超えて、従姉として、注意を差し上げましたわ」
扇を掌にパシパシ叩きつけているが、その扇が愛用していた扇ではないことにオフィーリアは気付いた。
オフィーリアの視線が扇にあると気付いたエリザベータがあっさりと答えた。
「お陰で扇の骨を修理中ですの」
「……綺麗になって返ってくるね」
ええ、とニコニコ笑うが大分激怒しているらしい。
「私は王妃様の姪っ子ですしこの程度で立場は揺らぎませんわ。
結婚も、聖女任期の最中に結婚した前例がないわけではないのだけれど、彼が暫く学び舎でカート先生のお手伝いをするそうなの。
それならあっという間に3年だわ。カート先生の助手は忙しいそうだから」
アップルパイを頬張りオフィーリアは相槌を打ちながら頭で違うことを考えた。
(エリザベータの婚約者か……。恐らくはカート先生の後継として王家の耳になるための訓練期間かな…)
結婚式には出席なさってね、と言うエリザベータに頷き、最近の学び舎の様子を聞いた。
学び舎には聖女専用の部屋があり、先代聖女から式典等の引継ぎを受けるため学び舎の様子は知っているはずだ。
「ローデック男爵令嬢が殿下たちに不敬を働いたとかで、今は取り調べを受けているそうなの。
でも今さらではなくて?
いきなり訳の分からないことを叫んでいらっしゃって、私とオフィーリアに対する態度はずっと不敬でしたわ」
「いや、私庶民だし」
憤慨しているエリザベータは特に疑問を抱いていないらしい。
やはりエリザベータは何も知らないのか、とオフィーリアは思う。
王妃になる訳ではないので、これくらいでいいのだろう。
恐らく伴侶がカート先生の後継に選ばれるくらいだから性格が悪そうだ。
「もう、あの日オフィーリアを糾弾する殿下を見て気が触れたかと思いましたわ。
何故セシルもレオンも気付かなかったのかしら。
王妃様が用意したアミュレットを見たら気付くべきではなくて?
先が読めなさすぎてカート先生も呆れかえっているはずだわ」
前言撤回。
この人は誰よりも王族らしい人だ。
国王陛下が迎え入れたがっていたが、エルンストは婚約者にならなくて安心しているだろう。
「……それと、例のあの人は近々国境に向かうそうですわ。
ごめんなさい、オフィーリア。
私も、気付くべきだったのよね。ローデック男爵令嬢という分かりやすい駒にしか気づけなかったわ」
「まあ、婚約しようかって約束も成り行きだったし、実際そんなにショックじゃなかったんだよね。
自分の手を汚そうとしなかった、才覚を示すこともなかった、そんな人だから」
オフィーリアの強がりを、エリザベータは表情や仕草から感じ取っていた。
潤んだ瞳で謝るエリザベータに、結婚の延期は彼女なりの罪滅ぼしなのかもしれない、とオフィーリアは思った。
「ただね、自分の見る目のなさに反省してるかな。
最有力候補に近づきたいだけだったんでしょ」
「何て最低な方なのかしら…。オフィーリア、私達、幸せになりましょうね」
俯いて、アップルパイを口一杯に頬張ったエリザベータは悔しそうだった。
自分のことのように悔しがってくれるエリザベータの存在は得難いものだとオフィーリアは感謝していた。
だが、やはりあいつは許せない、とオフィーリアはグラスのカルヴァドスを飲み込み、甘ったるいアイスの余韻を洗い流した。
6.終
公ではちゃんとお互い様付けで呼ぶタイプです。
オフィーリアが許せない相手とは。
シナモンと、ぐにゃんとしたリンゴが苦手です。
コンポートを煮物扱いしても許されますか。
デザートのアップルパイを断ったら付け合わせのカスタードクリームを山盛りお皿に出して貰ったことがあります。
甘いお茶と一緒に。海外旅行あるあるだと信じています。