2.王子の言い訳―ブルスケッタと白ワイン―
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木製の扉は何度も開け閉めされた痕跡で軋み、
看板の文字は長い間の雨風に晒されていたためか、その文字は掠れて読めない。
昔は賑わっていたことを示すように、カウンターには瓶がずらりと並んでいた。
ランプが灯った店内、四人掛けの席に一人の少女が座っている。
既に何本も飲んでいるらしく、空き瓶が数本テーブルの上に並んでいるが、
少女はケロリとした様子で本を操る手を止めることはない。
軋む扉の音に来客があることに気付いたが、少女は特に気にせずページを捲った。
「やっと、見つけたよオフィーリア……」
「ん?」
本に影ができたため顔を上げると、聖女任命式前日に色々と台無しにしてくれたエルンストが立っていた。
「何か御用でしょうか。謝罪なら受け取りませんのでお帰りください」
オフィーリアは栞を読みかけのページに挟んでエルンストを見上げた。
「……いや、それはそうだな。すまん。
謝罪もそうなんだが……。少し、話を聞いて欲しい」
頼む、と殊勝に頭を下げたエルンストに溜息を飲み込み何ですか?と促した。
「実は……、ああ、何か軽く摘めるものを数品、内容は任せる、飲み物は白ワインを」
注文はないのかという店主の視線に、彼は軽食と白ワインを頼み、
運ばれてきた白ワインを一息に煽った。
「あらまぁ、いい飲みっぷりで」
エルンストが注文したブルスケッタを勝手につまみ、更に会計この人に付けて、と追加で白ワインをボトルで注文したオフィーリアだがエルンストは何も言わなかった。
「で、何です?白ワイン分くらいの話なら聞きますよ」
ボトルの白ワインをエルンストのグラスに注ぎ、自分のグラスにも注いだオフィーリアは先を促した。
「あぁ…、ありがとう。
何から言えばいいのか……。まずは、あの日何の証拠もなく糾弾したこと、本当に申し訳なかった」
額をテーブルにぶつけそうな勢いでエルンストは頭を下げた。
思わぬ行動にオフィーリアは目を瞬かせた。
「え、怖い。何です急に」
「よく、覚えていないんだ……。誰か、そう、女生徒に話しかけられたことは覚えているんだが……。
顔も名前も思い出せない。ただ、オフィーリアに嫌がらせで私物を捨てられたと」
白ワインを口に含んだエルンストは思い出すように目を閉じた。
「なるほど……」
バジルが効いたブルスケッタを堪能していたオフィーリアは白ワインをぐっと飲み干すとにやりと笑った。
「やられましたね、精神干渉」
「そんなまさか…!」
エルンストは驚愕の声を出し続きを促そうとしたが、オフィーリアが手酌で追加の白ワインをグラスに注ぎ、チーズが載ったブルスケッタを口に運んだので咀嚼が終わるまで待った。
「私も、誰かの私物を捨てた覚えもないし、まぁ、品行方正とは言えない態度を取りましたけどね、
力はなくなってないんですよ」
「力がそのままだと?」
ブルスケッタを飲み込んでからグラスを空けると、さらに追加白ワインをグラスに注ぎ、今度はゆっくりと呑み込むと満足そうに息を吐いた。
「えぇ、これまで学び舎を放逐された女生徒はほとんどの場合力を失っていたようですが、
例外的に力が失われなかったケースもありました」
オフィーリアは読んでいた本の表紙がエルンストに見えるように持ち上げた。
「これは歴代聖女の手記です。エリザベータに借りっぱなしなんですが、返す機会もなくて困っていたんでこの酒場にいると伝えてください。
で、何代か前の聖女なんですが、在位中に冤罪かけられて放り出されたことがあるみたいなんですよ」
エルンストは『冤罪』と言う響きに気まずそうに黙り込んだ。
「ところがその聖女様の力は失われず、寧ろその聖女の後任の力が任命式に出席した全員の前でなくなったようなんです。
タイミング最高じゃないですか?ライバル蹴落として幸せの絶頂にいたのに全員の前で品行方正じゃないって」
神様も性格悪すぎる、とオフィーリアは更にグラスを傾けた。
「私たちは聖女候補になった時に力の使い方を習います。
使い方次第では、魅了によく似た、何て言うのかな…。『この人を守ってあげなきゃ』っていう感情が膨れ上がるんですよ。
そもそも私たち婚約の話もでてなかったし、交流もほぼなかったじゃないですか。
なのに何で王子と私が結婚、てことになったのか分からないんですが」
「そうだな……。父にも言われた。あの時は、何故かオフィーリアと結婚することが既定路線だと思い込んでいた。
普段、身分を理由にあんな言い方をすることもないと自負していたんだが……」
「んー?」
オフィーリアはエルンストに顔を近づけ栗色の目を覗き込んだ。
「力は……抜けてるか。あの日動揺して確認しなかったのが悔やまれるんですが、多分あの日仕掛けられたんじゃないかな。
それから陛下にこってり絞られて教育のやり直し、それが終わって今ここ……うん。もう残滓はないですね」
残念、と呟くオフィーリアは更にワインをグラスに注いだ。
ちらりとエルンストのグラスを見ると、オフィーリアが注いだ二杯目はまだ半分以上がグラスに残っていた。
ブルスケッタはほぼオフィーリアの腹に収まっている。
「そもそも、アミュレットとか持たされてないんですか。王族のくせに」
「あぁ、母上が用意してくれたものを身に着けているんだが、何故か反応しなかったんだ……」
エルンストの耳にあるピアスは王妃が何代か前の聖女に頼んで作って貰った精神干渉を防ぐアミュレットだ。
「ちょっと失礼。
これ、先々代が作ったやつか。あの人力強いから少ない力だと反応しないんですよね。
個人特定できない弱さで残ってるけど……。
それを見越してすっごい微弱に重ねてるとか……?
私とエリザベータには無理ですね」
「そうなのか?」
「ま、エリザベータが無事に聖女に就任したならエリザベータは無関係でしょうね。
ピアスの力が発動するまえに少ない力を根気強く流していくってやったんでしょうが、私だったらピアス引き千切ればいいやって思うんでやらないです、
エリザベータも効率重視なんで、重ねて掛けるならピアスすり替えればいいって思うでしょうね」
アミュレットに残る微弱な力にオフィーリアは違和感を覚えたがそれはエルンストには言わずにいた。
過激な発言に思わず耳たぶごとピアスを触ったエルンストは、引き攣った笑いを浮かべた。
オフィーリアはあくまで推測ですが、と述べた後に白ワインを口に含んだ。
「十中八九その言いつけにきた女生徒でしょうが、今後は気を付けてくださいね。
ちょっとピアス直して微弱な力にも反応するようにしておきました」
「すまない、恩に着る」
少し温い白ワインを飲み干した王子に礼を言われ、オフィーリアはにやりと笑った。
「んじゃ、もう一本白ワイン注文していいですか。
多分セシル様とレオン様も同じ目にあってるかもしれないから順番に来るように言ってください。
私は力の強さよりも操作で聖女候補に任命されたようなもんなので、一緒に来られてもできないんです」
「承知した。……聖女任命の条件って何なんだ?」
未だエルンストはその条件を知らなかった。
「……いつか知るなら今じゃない方がいい……先輩の言うことは聞いてください」
自嘲したオフィーリアにかける言葉もなく、エルンストは酒場を後にした。
「……殆ど食われたな……」
外にいた護衛に囲まれ、エルンストはまだ空腹を訴える腹を擦った。
戻ったら、オフィーリアが一番美味しそうに食べていたきのこのブルスケッタをリクエストしようと心に決めた。
オフィーリアは残った酒場でアミュレットの違和感を考えていた。
2.終
ご覧いただきありがとうございます。
まずは王子のターンでした。




