09 お泊まり
「……たけくん。たけくん」
「!」
ひーちゃんの声に呼び戻されて、僕はハッと我に返った。
「たけくん、大丈夫? 今、ちょっとぼーっとしてたけど」
「う、うん。ごめん、大丈夫。えーと……あ、そうだ。まさか、ひーちゃんがあのSNSでのやり取りを、そんなに大切に思ってくれてたなんて、思わなかったよ。あれが、ひーちゃんの支えになってたんだったら……本当に、よかった」
しどろもどろになりながらも、なんとか言葉を返すと、ひーちゃんはふわりと笑って、やさしく頷いた。
「うん。ほんとに助かってたよ。だからね、私の悩みに気づけなかったとか、自分を責める必要なんてないよ。たけくんが謝ることなんて、何もないんだから」
「……分かった。そうする。でも、もしまだ他に何か辛い事かあったりするんだったら、いつでも相談して。解決できるか分からないけど、僕にできることだったら、なんでもするから」
「ふふ、ありがと。今は大丈夫だよ。でも、その時は、ちゃんと頼らせてもらうね」
ひーちゃんはそう言って笑顔を見せる。
「う、うん。いつでも頼ってね」
「……」
「……」
「たけくん? どうしたの? 私の顔に、なんかついてる?」
「あ! いや、ごめん。なんでもない!」
──しまった。
また、ひーちゃんの笑顔に見惚れてしまっていた。
しっかりしろ、僕。
ひーちゃんは幼なじみだ。
今までだって、ひーちゃんの笑顔は何度も見てきたじゃないか。
僕はそう自分に言い聞かせながら、内心の動揺を押さえ込もうとする。
「変なの、たけくん。……あ、それと、食器洗い終わったよ」
「あ、ありがとう。助かったよ」
「それとね、たけくん。お願いがあるんだど……」
「お願い?」
「うん……」
ひーちゃんは少し口ごもりながら視線を落とし、それでも勇気を振り絞るように言葉を続けた。
「今日……たけくんの家に、泊めてくれない?」
「──え?」
不意を突かれた言葉に、脳が一瞬フリーズする。
その意味を理解するのに、少し時間が必要だった。
「ほら、もう結構暗くなってるでしょ? ホテルまで戻るのも距離あるし、夜道を一人で歩くのも、やっぱりちょっと怖くて……。だから、もし、たけくんが良ければ、泊めてほしいなって思って……」
言葉を選ぶように、少しずつ話すひーちゃんの声は、どこか不安げで、それでいてどこか期待を含んでいるようにも感じた。
一瞬の間を置いて、思考が再起動し、僕は慌てて返事を返す。
「え、あ、うん! もちろん、全然いいよ! 確かにもう外、真っ暗だし……安全のためにもそのほうがいいよ。それに、昔はよくお泊まりとかもしてたし……今さら断る理由なんてないよ。あっ、でも、スケジュールとかは大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。明日の午前11時までに戻れば平気だから。」
「そっか、それならほんと、全然問題ないよ!」
なんとか言葉を返すも、内心の動揺が収まりきらず、気づけば僕は早口でまくし立てていた。
──なんで僕は、こんなに慌ててるんだろう。
自分でも不思議だった。
じぶんで今言った様に、ひーちゃんとお泊まりするのなんて初めてのことじゃない。
家が隣同士だった頃は、お互いの家に泊まるなんて、日常茶飯事だった。
……それなのに。
たった四年半、会えなかっただけで、僕の中の「幼馴染のひーちゃん」が、少し違って見えるようになっていた。
と、そんな戸惑いを飲み込もうとしていたとき、ひーちゃんが安心した様に微笑んだ。
「ありがとう! それじゃあ……一晩、お世話になります」
そう言って、ぺこりと頭を下げるその姿に、思わず顔が熱くなる。
「たけくんと一緒に泊まるのって、ほんと、久しぶりだね。なんか、懐かしいなあ」
しみじみとした表情でそう言うひーちゃん。
だけど僕の心は、懐かしさよりも──変な緊張感でいっぱいだった。
「そ、そうだね。……久しぶりだね」
「ん? たけくん、もしかして緊張してる?」
「えっ!? い、いや、そんなことないよっ!」
思わず裏返った声に、自分でも驚く。
──だめだ、落ち着け僕。
「あ、そうだ! ちょっとコンビニに行ってくるよ。食後のお菓子でも買ってこようかなって。ひーちゃん、なんか食べたいものある?」
「お菓子は大丈夫かな。あ、でも、ゴメンけど、歯磨きセットがあったらお願いしていいかな?」
「了解。それじゃあ、ちょっと行ってくるから、お留守番お願い!」
「はーい。気をつけてねー」
「うん。それじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい。」
僕は、まるで逃げるように玄関を出た。
一度、冷えた外の空気に当たって、頭を冷やしたかった。
そしてそんな僕の背中を、ひーちゃんはそっと見送っていた。
何故か、嬉しそうに微笑みながら。
でも、慌てて外に出た僕は、そんなひーちゃんの表情に気づくことはなかったのだった。
そして──十五分後。
僕はコンビニでいくつか買い物をして、すっかり落ち着いた心で家へ戻ってきた。
外の空気にあたったおかげか、さっきまでの妙な緊張もなんとか収まっている。
「ただいまー」
「おかえりー」
玄関を開けた瞬間、奥からひーちゃんの明るい声が返ってくる。
一人暮らしの生活では、「ただいま」と言っても返事が返ってくることなんてない。
だからこそ、この何気ないやりとりが胸にじんわりと染みて、思わず口元が緩む。
「ほら、ひーちゃんに頼まれてた歯磨きセット、ちゃんと買ってきたよ」
僕は買い物袋から取り出して、彼女の方へ差し出す。
「ありがとう! お金はどれくらいかかった?」
ひーちゃんはポケットをごそごそ探り、小さな財布を取り出す。
「いいって。僕も一応、社会人なんだし」
「だーめ。こういうのはちゃんとしておかないと。たとえ少額でも、払うよ」
歯磨きセットくらい、別に気にしなくていいのに。
──昔からひーちゃんはこういった金銭のやり取りはきっちりしないと気が済まない性格なのである。
僕はその性格をよく知っているから、無理に押し通すつもりはなく、素直に受け取ることにする。
「そう? じゃあ、二百円で」
「……端数、引いたでしょ?」
ジトっとした視線が突き刺さり、思わず苦笑いがこぼれる。
「そのくらい、いいじゃん。細かく受け取っても使いどころに困るしさ。実際、それくらいだったんだよ」
僕がそう言うと、ひーちゃんは渋々であったが、納得してくれた。
「……分かった。それじゃあ、ハイ。200円」
「ハイ。しっかり受け取りました」
僕はひーちゃんから200円を受け取った。
そして、僕はひーちゃんからお金を貰った後、外に出て、頭を冷やしたが故に気付いた疑問を口にしてみる事にした。
「ねえ、ひーちゃん。ちょっと外に出てるときに、ふと思ったことがあるんだけど、聞いてもいい?」
「? うん、いいよ」
「ひーちゃんさ、泊まりたい理由を“外が暗くて怖いから”って言ってたけど……よくよく考えたら、それってタクシー呼べば解決するよね?」
──ピクッ。
ひーちゃんの肩が、わずかに跳ねる。
「それに、ひーちゃんってマネージャーさんも一緒に日本に来てるって言ってたよね? 電話一本で迎えに来てもらうこともできたんじゃない?」
僕の言葉に、ひーちゃんは小さく肩をすくめ、そして──観念したように、ふっと笑った。
「……あはは。ごめんね、たけくん。嘘ついちゃった」
ぺろりと舌を出して、あっさりと認める。
そして、ほんの少しだけ目を伏せながら、静かに言った。
「バレちゃったから、ちゃんと言うね。……私がたけくんの家に泊まりたかった理由は、すごく単純なの。ただ──できるだけ長く、たけくんと一緒にいたかったから」
「え……」
僕は思わず言葉を失った。
〝長く僕と一緒にいたい。〟
まさか、そんな理由だったなんて、
ひーちゃんは、ちょっとだけ恥ずかしそうに、でも真っ直ぐに僕を見て、続ける。
「たけくんと再会して、一緒に歩いて、話して、ここに来て……それで、笑いながらご飯を食べて……思ったの。やっぱりたけくんといると、すごく楽しいなぁって。もっともっと、一緒にいたいなぁって。だから今日は、ホテルに帰らずに、ここにいたいなって思ったの」
その言葉を口にしたあと、ひーちゃんは少し不安そうに僕の顔を覗き込む。
「……ごめんね。こんな勝手な理由で。
迷惑、だったかな?」
「そ、そんなことないよ!」
僕は思わず声を上げていた。
「むしろ……すごく嬉しい。僕も、久しぶりにひーちゃんと会えて、話せて、すごく楽しかったし。もっと色んな話をしたいって、思ってたから」
僕の言葉に、ひーちゃんは安堵したように、微笑んだ。
「良かったぁ……。たけくんも、同じ気持ちだったんだね」
「でもさ、どうして最初からそう言わなかったの? そんな嘘つく必要、なかったのに」
僕がそう聞くと、ひーちゃんは少し顔を赤らめながら、モジモジしながら視線をそらす。
「……だって、“もっと一緒にいたいから泊めて”なんて、恥ずかしいじゃん。……ていうか、たけくんもそこは空気読んで、聞かないでよ……」
「あ……そっか、ごめん」
しまった。
確かに、今のは余計なひと言だったかもしれない。
でも——。
謝りながらも、僕の目は自然とひーちゃんの表情に引き寄せられていた。
ちょっとふくれっ面で視線をそらしつつ、耳までほんのり赤くなっているその顔。
拗ねているのに、どこか恥ずかしさを隠しきれていない、そんな今のひーちゃんが……どうしようもなく、僕には、かわいく思えてしまったのだった。
最後までお読み下さりありがとうございました!




