08 ただの光
現在の時刻は19時40分。
「「ご馳走様でした」」
僕とひーちゃんは、ようやく夕ご飯を食べ終えた。
一緒に話しながら食べていたせいで、食事にかかった時間は普段の倍くらい。
だけど、不思議なことに、ひとりで食べるときよりも時間があっという間に感じた。
きっと、楽しかったからだろう。
何気ない会話を交わしながら食べるご飯が、こんなにも心を満たしてくれるなんて、改めて思い知らされる。
(さて、と)
僕は立ち上がり、食器を片付けようと手を伸ばした。
だけど──
「たけくんは座ってて。食器は私が洗うから」
ひーちゃんが、すっと立ち上がり、僕を制するように手を伸ばした。
「え?」
僕は思わず、間抜けな声を漏らしてしまう。
戸惑う僕をよそに、ひーちゃんはテキパキとテーブルの上の食器を重ねていく。
慌てた僕は、すぐにそれを止めようとした。
「いやいや、ひーちゃんはやらなくていいよ。食器洗いは僕が──」
「だーめ」
ぴしゃり。
ひーちゃんは僕の言葉を、きっぱりと遮った。
「たけくん、さっきご飯作ってくれたじゃん? だから今度は、私が手伝う番だよ」
そう言って、にこっと笑いながら、食器を抱えて洗い場へ向かう。
「でも、ひーちゃんはお客さんなんだから──」
なおも食い下がる僕に、ひーちゃんは振り返りざまに、優しく、だけどしっかりした口調で言った。
「お客さんの前に、私は幼馴染でしょ? たけくんにばっかり負担かけてたら、私、ここにいるのが申し訳なくなっちゃうから。だから、ね?ここは私に任せて?」
「うっ……」
ぐうの音も出なかった。
さすが、ひーちゃん。
そんなふうに言われたら、もう何も言い返せない。
もし僕が逆の立場だったら、確かに、全部押しつけられるのは居心地が悪いと感じるだろう。
──仕方がない。
僕は、素直に彼女の好意に甘えることにした。
ジャ──
キッチンから、水音が静かに広がってくる。
ひーちゃんが食器を洗ってくれている最中だ。
こういうシーン、漫画やアニメなら「仕事は超優秀なのに家事はダメ」というテンプレがよくある。
でも、ひーちゃんに限ってそのパターンは当てはまらない。
カチャ、カチャ、カチャ……
その動きは迷いも淀みもなく、ただ淡々と手際がいい。
流石ひーちゃん、としか言いようがない。
テンプレなんて知らないと言わんばかりに、次々と食器が片付いていく。
その様子を見て、僕は思う。
──向こうでも、こんなふうに、家事をしてるのかな、と。
トップ女優として、多くの脚光を浴び、華やかな世界に生き、少し低俗な話になるが、相当の資産を持っているひーちゃんであるが、彼女の事だ。
きっとあちらでも、身の回りの小さな雑事みたいことであっても、誰かに任せたりせず、自分のことは自分でこなして、地に足をつけて暮らしているのだろう。
僕は椅子に腰掛け、スマホをみながらそんな事を思った。
今現在僕はというと、ひーちゃんの行為に甘えて、スマホのニュースアプリを観覧していた。
夕食後にニュースアプリで記事をチェックするのが、僕の日課なのである。
ネットニュースには、スポーツ、エンタメ、グルメ、政治経済……さまざまなジャンルの記事が並んでいる。
その中から気になった話題を見つけて、のんびり目を通すのが、僕にとってささやかな楽しみだった。
──けれど、そのネットニュース、今日はいつもと様子が違っていた。
というのも、本来なら、いろんなジャンルの記事がランダムに表示されるはずなのに、今日はどこを見ても、ひーちゃんの話題ばかりが並んでいたのだ。
どの記事も「星月 光」についての記事をだしており、「星宮 光、4年ぶりの帰国!」、「星月 光のこれまでの軌跡」、「主演作まとめ」など、とにかく彼女に関する記事で埋め尽くされていた。
僕のお気に入りの料理特集をしている記事サイトですら、なぜか星月 光の好きな食べ物トップ5みたいな記事を出していて、本来、幅広いジャンルの記事が読めるのが売りだったこのニュースアプリが、今日はすっかり“星月 光特集アプリ”と化していた。
僕はニュースアプリを閉じ、代わりにSNSを開いてみる。
普段はあまり積極的に覗かないのだけど、これだけ世の中が騒がしくなっていると、さすがに気になったのだ。
──そして、案の定
タイムラインは、ひーちゃん一色だった。
まるで秒単位で新しい投稿が更新されていく。
写真、動画、過去のインタビュー、ファンアート、そしてさまざまな考察──
画面をスクロールしても、しても、終わりが見えない。
試しに国内トレンドを確認してみると、上位5つのワードすべてがひーちゃんに関連するものだった。
僕は、これだけ短時間で国中を熱狂させるひーちゃんの影響力に、改めて驚かされる。
SNS上では、ひーちゃんにまつわるあらゆる議論が繰り広げられていた。
そして、その中でも特に熱を帯びていたのは、「ひーちゃんはいつ帰国するのか」という話題である。
予想はまちまちだった。
「3週間後じゃない?」「いや、来週中には帰ってくるでしょ」「え、もう明日なんじゃ?」
誰もが、ああでもないこうでもないと推測を巡らせている。
──でも、さすがに「もうすでに帰ってきている」なんて、真実を言い当てている人はひとりもいなかった。
まさか、あの大スター・星月 光が、今この瞬間、何の変哲もない日本のマンションで、食器を洗っているだなんて……誰も、夢にも思わないだろう。
僕はひーちゃんにネット上での盛り上がりを知らせる。
「ひーちゃん、やっぱり、SNSですごい話題になってるよ。ネットニュースも、どれだけスクロールしても、ひーちゃんのことばっかり。こうやって世間の反応を見るとさ……ひーちゃんって、本当に、すごい人になっちゃったんだなって実感するよ」
「もー……あんまりそういうの見ないでよ。なんか、恥ずかしいじゃん」
ひーちゃんはそう言って、少し恥ずかしそうにする。
「いや、ごめん。あまりにも盛り上がってたから、つい気になっちゃってさ」
僕はここで、以前からうっすらと抱いていた疑問を、思い切って口にしてみることにした。
「ひーちゃんってさ……その、大丈夫なの?」
「え?」
突然の問いかけに、ひーちゃんは食器を洗っていた手をぴたりと止めた。
僕の方に向き直り、目を瞬く。
「だってほら。ひーちゃんって、これだけ注目されるくらい有名なわけでしょ?そういう注目って精神的に、しんどくなったりしないのかなって」
僕の声は、どこかおそるおそるだった。
ひーちゃんがこんなにも注目を集めていることが、嬉しい反面、心配にもなったのだ。
けれど、ひーちゃんはそんな僕の疑問に、はっきりと答える。
「うん、大丈夫。注目されることに、ストレスは感じてないよ。だって、それが私の仕事だから。見てもらえるってことは、それだけ女優としてちゃんとキャリアを積めてるってことだし。だからこそ、ありがたいなって思ってる。プレッシャーとかより、むしろ感謝の方が大きいかな」
その言葉は、まるで一本芯の通った強さのようだった。
ひーちゃんの中にある確かな自信と覚悟が、まっすぐに、ひたむきに伝わってくる。
「そっか……やっぱり、ひーちゃんってすごいね」
「いやいや、そんな大したことないよ」
ひーちゃんはそう言って笑い、また静かに手を動かし始めた。
──大した事じゃ無いと、ひーちゃんは簡単にそう言うけれど、しかし、やっぱりすごいと思う。
「プレッシャーなんて感じない」って、笑って言い切れるその強さ。
それは僕にはとても真似できそうにない。
もし僕がひーちゃんの立場だったら──
きっと、押し寄せる期待や重圧に、あっさり押しつぶされてしまうと思う。
ひーちゃんは、普通だったら重荷になってしまうようなものを、力に変えることができるのだ。
そして、それがきっと、ひーちゃんが“世界”という大きな舞台で、堂々と活躍できる理由なんだろう。
と、そんなことをぼんやりと考えていたとき、不意にひーちゃんが口を開いた。
「あ、でもね。注目されることは平気だけど……“星月 光”で居続けるのには、ちょっと疲れちゃうときもあるかな」
「ん? 星月 光で居続けることって?」
その言葉の意味がすぐには分からず、僕は聞き返す。
「ねえ、たけくん。女優の私と、今こうしてる私って、結構違うと思わない?」
唐突な問いかけに少し戸惑いながらも、僕は頭の中で考え、答える。
「うん。確かに、全然違うと思う」
僕から見た女優・星月 光は、落ち着きがあって凛としていて、どんなときも微笑みを絶やさず、優雅な立ち居振る舞いで周囲を惹きつける存在だ。
所作の一つ一つが洗練されていて、話し方にも品があり、どこか近寄りがたいような、完成された”女優”のオーラを纏っている。
まさに、“完璧な女優”という言葉がそのまま似合う存在だった。
けれど今、僕の目の前で食器を洗いながら話しているひーちゃんは、まるで別人のようだった。
少しおしゃべりで、人懐っこい笑みを浮かべて、時折くすっと無邪気に笑う。
肩の力が抜けた、ごく普通の女の子──。
それは、僕が昔からよく知っている、“幼馴染のひーちゃん”そのものだった。
ひーちゃんは、ふと目を伏せ、小さくため息をついた。
「私ね、世間には“理想の星月 光”を、ずっと演じてるの。みんなが『かっこいい』とか『綺麗』とか『憧れる』って思ってくれるような、そんな“完璧な女優”としての光を」
ひーちゃんの声は、どこか寂しそうだった。
「でもね、それを演じ続けていると、たまに自分が分からなくなっちゃうんだ。ずっと誰かに見られてて、“本当の自分じゃない私”でいなきゃいけなくて……。笑顔一つとっても、それが演技なのか、素の私なのか……境目が曖昧になってきちゃって。気がついたら、自分の気持ちさえ信じられなくなる時があるんだ。」
「ひーちゃん……」
その言葉に、僕は衝撃を開け、そして、同時に愕然とした。
僕は、これまで、ひーちゃんと何度も連絡を取り合ってきた。
それなのに、僕はひーちゃんのその様な心内に全く気付かなかった。
本当なら幼馴染という、近しい関係にある僕が気付いて、寄り添わないといけないのに、それができなかった。
怒りにも似た悔しさと、どうしようもない申し訳なさが、同時に込み上げてきた。
しかし、そんな僕の胸の内を見透かしたように、ひーちゃんがふっと優しく微笑んだ。
「たけくん。今、“ごめん”って思ったでしょ?」
「え? どうして……?」
「分かるよ。だって幼馴染だもん。それに、たけくんって感情が顔に出やすいし」
くすっと笑って、ひーちゃんは少しだけ意地悪そうに言う。
「……うん、思った。ひーちゃんとずっと連絡を取り合ってたのに、そんな大事なことに気づけなかった。本当に、ごめん」
僕は、そうひーちゃんに謝る。
しかし、そんな僕に、ひーちゃんは、静かに首を横に振った。
「ううん。謝らないで。たけくんには、むしろ……すごく助けられてるんだから」
「……僕が、ひーちゃんを助けてる?」
意外すぎるその言葉に、思わず聞き返してしまう。
「うん。だって、たけくんとメールしたり、電話したりする時間、私は“ただの光”でいられるんだもん」
「……!」
「どうでもいいようなたわいない話をして、たけくんと笑い合う……。そんな時間が、私にとって“素の自分”でいられる大切な瞬間なの」
そう言って、ひーちゃんはそっと僕を見つめた。
まっすぐに、まるで心の奥を覗き込むような、真剣な眼差しで。
「そしてね、私が“ただの光”に戻れるのは、たけくんが私を“女優の星月 光”じゃなくて、“幼馴染の光”として見てくれてるからなんだ」
「あ、」
「気づかなかった? 星月 光を支えてくれてるのは、応援してくれるファンのみんなだけど……星月 光を形づくっている、本当の私——“ただの光”を支えてくれてるのは、たけくんなんだよ」
「!!」
「私が今も女優として立っていられるのは、たけくんのおかげなの。だから……ずっと言いたかったんだ」
ひーちゃんはそこでふっと言葉を切り、一瞬、言葉を飲み込むように目を伏せた。
けれどすぐに顔を上げ、僕の方をまっすぐに見つめる。そして——ぱっと花が咲くように、晴れやかな笑顔を浮かべて、言った。
「たけくん。私を、いつも支えてくれてありがとう!」
「……」
僕は、何も返せなかった。
なぜなら、その笑顔が、あまりにも眩しかったから。
こんなにも大事な瞬間なのに、僕はただ、ひーちゃんの笑顔に見惚れてしまっていた。
それほどまでに、その笑顔は、美しく、そして、心を打つものだったのだ。
最後までお読み下さりありがとうございました!




