32 記者会見④
森本さんの声が会場に響く。
だが、その瞬間、僕を含め中野くんやメディア陣の表情には一様に戸惑いが浮かんだ。
——歌唱?
僕達がそう思ったのも無理はない。
なぜなら、少なくとも今この壇上や会場内に、歌うべき人物の姿が見当たらないからだ。
というか、そもそもの話として、
誰がこの映画の主題歌を担当しているのかすら、僕たちは知らないのだ。(僕がひーちゃんと一緒に家で観たのは、あくまで関係者向けのプロット版であり、冒頭の主題歌パートは省略されていた。)
もしかすると、ローガンさんの時と同じように、主題歌を担当したアーティストがサプライズで登場するのだろうか。
ただ、仮にそうだとしても——
それはきっと海外の歌手で、僕の知らない人物である可能性が高い。
だから、出て来たとしても申し訳ないが、そんな驚くことは出来ないだろう。
と、僕は内心でそう思う。
しかし、
森本さんの口から、次に発せられた言葉は、僕の予想を完全に裏切るものであった。
「なんとですね。今回、本作の主題歌の歌唱を担当するのは——こちらにいらっしゃいます、星月 光さんです!」
「えっ」
「何だとー!」
あまりにも予想外の言葉に、僕らは思わず声を上げていた。
まさか、ひーちゃんが主演女優だけでなく、主題歌の歌唱まで担当していたなんて……。
そんな重要な役目を兼任していたなんて、家では一度も言ってなかったのに。
……まぁ、
もしかしたら、まだ情報の秘匿義務的なのがあって、関係者以外には漏らしてはいけなかったのかもしれない。
驚きはしたが、その部分はそんな気にする必要はないか。
当然、会見場にも大きな響めきが広かった。
皆の視線がひーちゃんに集められる。
そして、そんな視線を受けて、ひーちゃんはマイクを手に話始める。
「はい。という事で今回、主題歌の歌唱の方も、私が担当をさせて頂きます。私が担当する事になった経緯につきましてはローガンさんの方から推薦があった為です。(あ、そういえば私が歌う事についても言い忘れてたなー。あの時はたけくんの反応を見る事でいっぱいいっぱいだったし。今、たけくん驚いてるかな?)」
なんと、主題歌の方もローガンさんからのオファーであったみたいである。
そのひーちゃんの言葉で、次にスクリーン上のローガンさんの方へ皆の視線が映る。
そして、その視線に気付いたローガンさんが話出す。
「主題歌の歌唱をアーティストではなく、ヒカル ホシヅキにした理由だね?その理由はごくシンプル。ヒカルの歌唱力が抜群にあったからだ。それこそアーティストとして世に出ていれば音楽の世界で名を轟かせていたほどにね。」
ローガンさんのその言葉に、メディア陣が再びざわめく。
無理もない。
何せ、ひーちゃんはアジア系女優という点に加え、演技力、容姿、身体能力、トーク力といった部分に注目が集まっており、歌唱力については、ほとんど注目されていなかったのだ。
しかし、僕はそのことに関しては驚かなかった。
ひーちゃんが歌が上手いことは、前から知っていたためである。
高校の頃、ひーちゃんとはたまにカラオケに行っていたが、それはもう、驚異の歌唱力だった。
ひーちゃんの歌う曲の平均得点は、なんと驚きの九十八点。百点を連続で叩き出すことも、ザラにあった。
だから、ローガンさんがひーちゃんの歌唱力を褒める言葉を聞いても、
——ついに、ひーちゃんの歌唱力が世に知られたか、程度にしか感じなかった。
ローガンさんは、さらに言葉を続ける。
「制作当初、作詞・作曲は僕と、僕が信頼している人物とで共同制作していたんだけどね。それを“誰が歌うのか”を決めかねていたんだ」
会場を見渡しながら、ローガンさんはゆっくりと話す。
「そんな中、今回の映画制作に関わる人たちと親睦を深めるため、僕の家でホームパーティを開いたんだけど。その時、順番に歌を披露する時間があってね。そこで、ヒカルの歌を聴いたんだ」
当時の光景を思い出すように、ローガンさんの視線がふと遠くを見る。
「あの時間は、今でも忘れられない。ヒカルは僕たちに気を遣って、日本の曲じゃなく、アメリカのメジャーソングを選んで、歌ってくれたんだけど……それが、本当に素晴らしかったんだ。声質、音程、リズム、感情の乗せ方——どれを取っても完璧だった。僕を含め、その場にいた全員が、ただ黙って聴き入っていたよ」
ここでローガンさんは、さらに興奮混じりに語る。
「それに、何が凄いって——ヒカルは日本人で、英語が母語じゃないってことだ!普通は、母国語じゃない言葉を覚えるだけでも大変だ。それなのに彼女は、僕たち英語ネイティブが聞いてもまったく違和感を覚えないレベルで、正確な発音をし、それを“歌”として昇華させ、あまつさえ、その場にいた全員を魅了したんだ!こんな、人間離れした芸当ができるのは——ヒカルを置いて、他にいないよ!」
——おぉー!
ローガンさんによる、ひーちゃんへの惜しみない絶賛の言葉に、会場から驚嘆の声が上がる。
そして中野くんも、
「まさか、光に歌の才能まであったとは……」
と呆然とした様子で呟いていた。
ローガンさんの話を受け、ひーちゃんへ感嘆と驚嘆の視線が数多く向けられる中、ひーちゃんはマイクを口元へ寄せ、ローガンさんに話しかけた。
「ローガン監督、それほどまでに……あまり持ち上げすぎないでください。恥ずかしいですし、これから歌うのに、プレッシャーになるじゃないですか」
「おっと。失礼、ヒカル。ついテンションが上がってしまったよ。まあ、つまりはだ。そんなヒカルの非凡な才能をこの目で見て、これはぜひとも主題歌をヒカルにお願いしたい!と思ってね。そのパーティの場で、直接お願いしたというわけさ。いやぁ、ヒカルが快く引き受けてくれて本当に良かったよ。あの時のヒカルは、なぜか終始機嫌が悪そうだったからね。断られたらどうしようかと、内心ヒヤヒヤしていたんだ」
ひーちゃんの機嫌が悪かった?
僕がそれを聞いて、内心首を傾げる。
ひーちゃんは嫌なことがあったら、それを溜めて、心を許している人に爆発させてしまうタイプで、逆に言えばそれを公の場で顔や言動に出したりはしない筈なんだけど、、、。珍しい事もあるものである。
余程嫌な事があったのかな?
僕がそう思っていると、ひーちゃんは苦笑いを浮かべながら言葉を返す。
「いえいえ、それは誤解です。あの時は不機嫌だったのではなく、アメリカ特有の大人数でのホームパーティの雰囲気に慣れていなくて、緊張していただけですよ。ローガン監督に突然お願いされた時は、さすがに驚きましたが、断る理由なんてありませんでしたし、むしろ、私の歌唱力をそこまで高く評価してくださったことに、感謝すら覚えました。(そういえばあの時、急なパーティの誘いだったせいで、予定していたたけくんとの通話が中止になって、かなりイライラしてたっけ?ホントあっちは、その場のノリでいきなりパーティや打ち上げが決まるからなぁ」
「そうだったのかい?それなら良かったよ!僕がパーティの企画者だっただけに、映画の大事な主演女優に、何か不手際をしてしまったんじゃないかって、内心不安だったんだ。(No, that wasn’t nervousness. She was clearly irritated about something.I’d never seen an expression like that before—she was smiling, yet not smiling at all.No matter how many acting retakes she had to do, she never once showed any sign of irritation.Seriously… what on earth was she angry about back then?)」
と、
そうひーちゃんとローガンさんが当時を思い返す様に話をする中、そこに森本さんが割って入る。
「成程。星月 光さんが主題歌を歌う事になったのにはそういった背景があった訳ですね!では、ローガンさんが衝撃を受け、その場でオファーをしたと言う、星月さんの歌唱、ここでお披露目をして貰ってもいいですか?」
「はい。ローガン監督のお陰で、一気にハードルが上がってしまいましたが、ご期待に添えますよう、誠心誠意歌わせていただきます」
「存分に発揮してください。——では、お願いします!」
パッ。
森本さんのその言葉と同時に、会場が暗転した。
〜♪
そして、間を置かず、優しいメロディが会場に流れ出す。
ひーちゃんは、その旋律に身を委ねるように、静かに体を揺らした。
やがてイントロが終わり、歌い出しの瞬間が訪れる。
ひーちゃんは、ゆっくりと口を開いた。
―――― ―――― ―――― ―――― ――――
そこから先の時間は、まさに圧巻の一言だった。
星月 光の歌声が、会場の隅々まで――そして中継を通して、日本中へと響き渡っていく。
透き通るように澄んだ歌声。
優しさの中に、確かな芯を感じさせる声色。
英語の楽曲に寸分違わず寄り添う、正確なリズムと音程。
そして、フレーズごとに丁寧に込められた感情。
それらすべてが見事に調和し、一つの完成された歌として、星月 光の口から紡がれていた。
聴く者は皆、自然と耳を澄まし、意識を集中させ、全神経でその歌に聞き入っていた。
会場は静まり返り、誰一人として、その場から意識を逸らす者はいない。
そして、
かくもその光景は、彼女がステージに登壇した時の現象と、とても酷似していた。
——もし彼女がアーティストとして世に出ていれば、音楽の世界で名を轟かせていただろう。
ローガン・ピエールが語っていたその言葉の意味が、今、目の前の光景として鮮明に広がる。
人を惹きつけ、魅せ、釘付けにする。
それは、星月 光が生まれながらに持つ、圧倒的なまでのスター性が生み出す力に他ならなかった。
〜♪
皆が流れている現実の時を忘れ、夢見心地の様に光の歌に聞き入る。
しかし、そんな時間も長くは続かない。
「——ふぅ。以上になります。皆さん、いかがでしたでしょうか?」
「……!!」
星月 光の歌唱が終わり、掛けられていた魔法の様な時間が解ける。
会場にいた全員の意識が、ゆっくりと現実の時間へと引き戻されていった。
そして——
パチ、、、パチパチ!、、、パチパチパチ!!
我に返った記者たちが、ワンテンポ遅れて慌てたように拍手を送り始めた。
そしてそれは、時も置かずして、
パチパチパチパチパチパチ!!!
会場を揺るがすような大喝采へと変わっていった。
会場にいるおよそ三百人の人。その全員が、惜しみない拍手を光へと向けていた。
そして、光はその喝采に応えるように、静かに一礼をするのだった。
―――― ―――― ―――― ―――― ――――
ひーちゃんの歌唱が、終わった。
久しぶりに彼女の歌を聴いたけれど――やはり、圧倒的だった。
音程、リズム、声量、表現力。
歌うために必要な能力がすべて高水準で揃っていて、まさに非の打ちどころがない歌唱。
特に、今回の主題歌は英語の曲であり、日本人にとっては発音やリズムの取り方が難しいはずなのに、それをひーちゃんは、自然な発音で見事歌っていた。
「……光の歌、良かったね」
僕は、隣にいた中野くんにそう声をかけた。
しかし——
「…………」
返事がない。
また呼吸を忘れているんじゃないかと思い、慌てて横を見ると——
「うっ……うぅ〜……!」
そこには、目を真っ赤に腫らし、今にも嗚咽を漏らしそうな中野くんの姿があった。
酸欠でないことに安心しつつも、別の意味で心配となる状況に僕は戸惑う。
「な、中野くん? だ、大丈夫?」
「——宮野よ」
「は、はい」
思わず敬語になる僕。
そんな僕に、中野くんは重々しく言う。
「俺はな……人生で、ここまで感動して……そして、同時に悔しい思いをしたことはない」
「……え?」
「さっきの歌。あれは本当に、心を打つ歌唱だった。光っていうフィルターを外したとしても、あそこまで感動させられる歌なんて、そうそう聴けるもんじゃない」
「そ、それなら……良かったんじゃ?」
「ただし!」
ドンッ!
「っ!!」
中野くんが机を思い切り叩いた。
周囲の社員たちが一斉にこちらを見る。
「それ故にだ!俺は、その歌を“生”で聴けなかったことが、猛烈に悔しい!!今回のはあくまでも告知の会見だったから、何とか行きたい欲を抑えてたのに……なんだよ、主題歌の生歌唱って!?それもう会見の範疇超えてるだろ! 実質ソロライブじゃねぇか!!何で最初から言わねーんだよ!歌うって分かってたんだったら、どんな手使っても会場の中に行ってたのに!!」
「中野くん、落ち着いて。ここ、会社の中だから。居酒屋じゃないし、声のボリューム考えて。あと、多分中野くんみたいな人がいるから事前告知はしなかったんだと思うよ」
周囲の視線を感じながら、僕は小声で制止する。
どうやら中野くんは、ひーちゃんの歌に対する純粋な感動と、それを生で聴けなかったという後悔が入り混じって、完全に情緒不安定に陥ってしまっているみたいである。
「……そこまで悔しがるほど、生で聴くかどうかって重要なの?」
「当たり前だろ!?生で聞くのと画面越しで聞くのとじゃ雲泥の差だぞ!お前は光が歌ってる所を生で見れなくて悔しくないのか!?」
「う、うん。中野くんほどは思わないかな(直で何度も聞いてるし)」
「ったく!——これを見ろ!」
中野くんはそう言うと、スマホを弄り、ある画面を僕に突き出してきた。その画面には、《光ファンクラブ専用掲示板》と書かれたページが表示されており、無数のメッセージがリアルタイムで流れている。
察するに、これは中野くんが加入しているという、ファンクラブの会員限定のサイトで、今まさに行われている会見や、ひーちゃんの歌唱について、ファンたちが思い思いの言葉を投げ合っているのだろう。
投稿をざっと見てみると、
ひーちゃんの歌唱を絶賛するコメントがずらりと並んでいる。
しかし——それと同じくらいの数で、「現地で生歌を聴けなかった」ことを嘆く書き込みやスタンプが流れていた。
「分かるか?俺だけじゃない。光のファンなら、全員がその場にいれなかった事に落胆してんだ!それなのに宮野、お前ときたら……!それでも光のファンか!?」
「いや、そもそも僕、別に光のファンという訳ではないし、」
「んだとー!月曜日、一緒に飲んだ時、お前。光について、思いの外色々知ってたから、実は隠れファンなのかと思ってたのに!」
「えぇー。そんな、勝手に思われても……」
どうやら中野くんは4日前、飲んだ時の会話で、僕の口からひーちゃんの出ている映画やドラマについての内容が飛び出していたから、それで同じ光ファンだと思っていたらしい。
確かに僕は、幼なじみで——今は恋人でもあるひーちゃんが好きで、彼女の出演している映画は全部観ているし、こうして会見だって欠かさずチェックしている。
でも、それは「女優・星月 光」のファンであることとは、少し違う。
もちろん、所作や言動、演技力には毎回感心させられるし、素直に凄いとも思う。
ただ、彼女の“素”を知っているからこそ、演じている女優としての星月 光には、どうしても違和感を覚えてしまうのだ。
中野くんをはじめ、多くの人が好きなのは、
トップ女優として輝く彼女なのだろう。
けれど――僕が好きなのは、あくまで素のひーちゃんなのである。
「光について詳しいのにファンじゃないとか……この半端者が!いいだろう。やはりここは、この俺が!お前を立派な光信者に育て上げるため、教鞭をとって——」
「遠慮しときます」
僕と中野くんは、そんな中身のないやり取りを繰り広げる。すると、スマホ画面から森本さんの声が聞こえてきた。
どうやら、長く続いていた拍手がようやく収まり、再び会見が進行し始めたらしい。
「あ、ほら。喋りだしたよ」
「む……。仕方がない。今はこの会見を聞くとするか。この話の続きは、また後でだ」
「……後で、まだするんだ」
僕は内心でため息を吐きながら、会見の方へ再度意識を向けた。
「はい、ありがとうございましたー! いやー、本当に素晴らしい歌声でした。私を含め、ここにいる皆さん、思わず聴き入ってしまいましたよ!」
「ありがとうございます。この場での歌唱の出来次第では、それがそのまま映画の興行にも影響しかねませんでしたので……そう言っていただけて、私もほっとしました」
ひーちゃんはそう言って森本さんと言葉を交わす。
そして次に、ローガンさんが大きな拍手を送りながら、ひーちゃんへ語りかけた。
「That really was a superb vocal performance. Choosing you as the singer was absolutely the right call.As a film director, I probably shouldn’t say things like this so casually—but I’ll say it anyway.Hikaru Hoshizuki, you are without a doubt my GOAT.
(本当に素晴らしい歌唱だった。君を歌い手に選んだのは、間違いなく大正解だったよ。映画監督としては、こんなことを軽々しく言うべきじゃないのかもしれないが……それでも言わせてほしい。星月ヒカル、君は間違いなく、私にとっての“史上最高”だ。)」
「Thank you very much. To hear words like that from a great director such as yourself, Logan, truly means the world to me as an actress.(ありがとうございます。ローガン、あなたのような偉大な監督からそのようなお言葉をいただけて、女優として本当に光栄です。心から嬉しく思います。)」
感動が抑えきれなかったのだろう。
自然と英語になったローガンさんの言葉に、ひーちゃんもまた、同じく英語で応えた。
ここにいる皆と視聴者——僕も含めて——は、二人が何と言っているのか理解できず、頭に疑問符を浮かべるが、そこへ、すかさず森本さんが割って入った。
「はい。今のお二人の会話につきましては、後ほど日本語に翻訳したものを、皆さまのご覧になっている画面に表示いたします。少々お待ちください。えー、それでは、このまま次の進行に移りたいと思います」
そう告げると、森本さんは間を置くことなく、会見の進行を先へと進めた。
「では、次が最後の進行になります。続いては、お集まりの報道陣の皆さまからの質疑応答です。もし星月 光さん、あるいはローガンさんに対して、ご質問がございましたら、挙手をお願いいたします」
その言葉を合図に、会場のあちこちで一斉に手が挙がる。
森本さんはその中から質問者を指名し、選ばれた記者がローガンさん、そしてひーちゃんへと質問を投げかける——そんな流れが、何度も繰り返されていった。
質問内容の多くは、先ほどのトークセッションを受けた延長線上のものだったが、その中に一つ。印象に残るやり取りがあった。
それは、なぜローガンさんは、ここまで流暢に日本語を話せるのか。
という質問だった。
それに対し、ローガンさんが笑みを浮かべながら返した答えが、次のものだ。
「僕が今、日本語を流暢に話せている理由、だね? それはもちろん、必死に努力して覚えたからさ」
そう前置きしたうえで、彼は続けた。
「日本語には、英語とはまったくと言っていいほど違う、独自の言語形態がある。英語なら一つの単語で表せるものが、日本語だと十通りもの表現に分かれる、なんてことも珍しくない。日本独自の品詞も数多くあるしね」
ローガンさんは、少し考えるような素振りをする。
「僕の印象だけど――分かりやすく、簡潔に物事を伝えるなら英語。感情表現や、人と人との関係性、あるいはその場の空気感まで含めて、より複雑で繊細に伝えるなら、日本語の方が強いと思っている。僕は映画監督であると同時に脚本家――いわば、創作家だからね。作品により、“深み”を与えてくれる言語があるのなら、ぜひ学んでみたいと思ったんだ。だから、日本語を学んだんだよ。お陰で、今ではペラペラに話せるし、作品の表現幅が一気に広がったよ」
と、そう言ってローガンさんは話を締めた。
それを聞いて、僕は素直に感嘆したものである。
脚本家として、さらに上の高みを目指すためにわざわざ習得が難しいと言われる日本語を学んでモノにしたというのだから、凄いバングリー精神だ。やはりそういった、普通の人だとしようとすら思わない努力を出来る人が世界で大活躍をするのだろう。
と、そういった面白い質疑応答もあったが、その他は特別気になるやり取りはなく、だんだんと挙手をする人も少なくなる。
そろそろ終わりかな——と、そう思った時。
ここで1人の記者が挙手をし、思いもよらない質問をひーちゃんに投げた。
「どうも。東芸新聞の永田です。星月さんに質問がございます。——星月さんはこの度、交際を始めたと所属事務所を通して発表されたと思います。その交際を始められたお相手は、星月さんが今回、恋愛を主題とした作品に出演されることについて、どのように受け止めていらっしゃったのか。教えていただいてもよろしいでしょうか?」
(…………)
まさかの作品を超えて僕(交際相手)についての質問が来てしまった。
——まぁしかし。
これは驚くが、同時に仕方がないとも感じる。
だって、ひーちゃんが交際を発表したのはつい4日前なのだ。当然世間もこの話題についての熱は冷めておらず、そこにこの会見である。
事務所経由で僕について詮索はしない様、忠告はされているし、この会見の主軸はあくまで映画告知なので、報道陣が僕達の交際について質問をすることはないが、この作品と絡めて僕が質問に取り入れられても、何もおかしくはない。
ひーちゃんは、その質問を受けて一瞬だけ思案するような間を置き、そして静かに口を開いた。
「そうですね。端的にお答えするなら……彼は——嫉妬して、悲しんでくれましたね」
「……“くれた”、ですか」
「はい」
「その言い方ですと、それが嬉しかった、と聞こえますが」
「はい。とても嬉しかったです」
会場がざわめく。
「……失礼かもしれませんが、星月さんが女優というお仕事をされている以上、恋愛の演技があるのは避けられない部分でもあります。なので、そうした点を理解し、割り切って受け止めてくれるほうが良いのではないのですか?」
——うっ。
記者の言葉が、胸に突き刺さる。
痛いところを突いてきた。
——確かに。
恋愛描写のある作品に出演するたび、嫉妬や不安をぶつけられるよりも、何も言わず笑って受け流してくれる。あるいは、そういった感情があっても表に出さず、黙って飲み込んでくれる。そういった“理解ある彼氏”のほうが、女優という職業の人間にとっては、楽なのかもしれない。
本人だって、やりたくてその役を演じているわけじゃないのだから。
——あの時は、正直に言ってほしいと言われたから言った。
でも、恋人になった今、もしもう一度、同じようなシーンを見ることがあったら……やっぱり、笑って流すのは難しいと思う。ただでさえ、僕は思っていることが顔に出やすいのだ。
……あれ?
もしかして、そういう意味では、僕って、ダメな彼氏なのかな。
「——違いますよ」
ビクッ。
「……!」
「お、どうした? 宮野」
「う、ううん。何でもない……」
ひーちゃんの言葉に、思わず身体が跳ねた。
まるで僕の心の中を見透かして、画面越しに直接語りかけてきたような気がしたからだ。
ひーちゃんは、穏やかだが迷いのない声で、言葉を続ける。
「——確かに。女優として避けられない部分に理解を示して、何も言わずにいてくれる。そうしてもらえたほうが、気持ちが楽になるケースもあるでしょう。でも……他の女優さんや俳優さんは分かりませんが、私は、それは嫌です」
会場が静まり返る。
「私がそういう役を演じることに対して、嫌だったなら嫌だと。不安に思ったのなら不安に思ったと。――正面から、ぶつけてほしいんです」
「……それは、なぜでしょうか?」
「素の私は、結構……面倒くさい性格ですから」
そう言って、ひーちゃんは少し困ったように、そしてどこか照れたように微笑んだ。
「そういう感情をぶつけてくれないと、本当に彼は私を異性として好きでいてくれているのかな、って。不安になってしまうんです。でも逆に、ちゃんと嫉妬して、悲しんでくれると——ああ、この人は本気で好きでいてくれているんだなって。すごく、嬉しくなるんです」
「……な、なるほど……」
あまりにも率直で、飾り気のない言葉だったからだろう。“世界的な大女優・星月光”というイメージとはかけ離れた本音に、記者は少し戸惑ったように言葉を詰まらせた。
「それに私。普段、彼に理不尽なことでよく当たったりしていますからね。だから彼も、思ったことは変に気を遣わず、ちゃんとぶつけてくれないとフェアじゃありません」
(……ひーちゃん)
僕は、ひーちゃんの中にある僕への気遣いを感じ取って、胸がじんわりと温かくなる。
もちろん、隣に中野くんがいる手前、その想いを表情や態度に出すことはしないが。
ちなみに、その隣の中野くんはというと——
「クッ! あの光から理不尽に八つ当たりをされるだと!? おのれ……なんて羨ましいことをされてるんだ、そいつは!!」
——よく分からない事で怒っていた。
「……では、そのお相手がそういった想いをぶつけた時、星月さんはどうするのですか?」
そう、記者が続けて質問をぶつける。
随分と深く聞いてくるものである。
もう、映画は微塵も関係ない、僕たちの事についてだ。
……この記者、大丈夫だろうか。後日、ネットで叩かれたりしないか、少し心配になる。
——後日談だが、この記者については、予想通り叩く層と、良くぞ聞いてくれたと讃える層とで、意見が二分していた。
ひーちゃんはそんな記者からの質問に応える。
「私が女優という道を選んだがゆえに起きていることですから。本当に、彼には申し訳ないと思っています。だから——そういった不安や嫉妬等の想いを、全部吹き飛ばせるくらいに。私の身と心、そのすべてを使って……彼に“愛してる”を伝えます」
「ガバァッ!」
「中野くん!?」
中野くんが、勢いよくのけぞる。
僕は慌てて手を伸ばし、椅子から転げ落ちそうになる彼の体を支えた。
「み、身と……こ、こ、こころ……み、みと……みとこ……水戸黄門……モ、モンドコロ……」
「中野くん、しっかり! 帰ってきて!」
ひーちゃんの言葉を受け入れきなかったのか。時代劇の世界へ逃げる中野くん。
正直、僕自身も、ここまで踏み込んだ言葉が飛び出すとは思っていなかった。
驚きと同時に、顔がじわじわと熱くなっていくのを感じる。
僕ざ中野くんの体を揺さぶり現実に戻そうと奮起する中、スマホからは記者の声が聞こえた。
「……なるほど。分かりました。私からの質問は以上です。お答えいただき、ありがとうございました」
記者はそう言って、ようやく質問を締めくくる。
そして間を置かず、今度は森本さんがマイクを手に取り、他に質問者がいないかを確認し始めた。
「では、他にご質問がある方はいらっしゃいませんか?」
誰も手をあげない。
どうやらあの記者で最後だったみたいである。
その様子を確認すると、森本さんは軽くうなずき、再び口を開く。
「はい。挙手される方がいないようですので、これにて質疑応答は終了とさせていただきます。
いやー、それにしても……最後に、星月 光さんから、お付き合いされているお相手の方への想いが語られましたが――本当に、その方を深く愛していらっしゃるのだな、というのが伝わってきましたね」
場を和ませるための、軽いトークなのだろう。
森本さんは笑顔で、そう言葉を投げかける。
……当事者である僕からすると、正直かなりむず痒い。
これにひーちゃんはにこやかに微笑みながら言葉を返す。
「はい。私は彼のことが大好きですし、彼もまた、私のことをとても大切に想ってくれていますよ。——ほら、見てください、これ」
そう言ってひーちゃんは顔を少し傾けて、耳につけているイヤリングを皆の方は向ける。
「これ、彼が私にプレゼントしてくれたものなんです」
「そうなんですか!」
森本さんが、少し驚いたように声を上げる。
「身につけていらっしゃるのを拝見して、とてもお似合いだと思っていましたが……まさか、お付き合いされているお相手からのプレゼントだったとは。とてもセンスのいい贈り物ですね」
森本さんの言葉は、そのままひーちゃんの恋人——つまり僕への称賛になる。
それにつられるように、周囲の記者たちからも「おお……」と感嘆の声が上がった。
——だが、しかし。
僕はそれを、素直に喜ぶ気にも、誇らしく思う気にもなれなかった。だって、そうだろう。
あのイヤリングは、僕が選んだものではない。
正確には、僕が贈ったカタログギフトの中から、ひーちゃん自身が選んだ品なのだから。
「ふふ。彼のプレゼント選びのセンスは、一線を画していますからね。……これは、私を喜ばせようと一生懸命考えてくれて、しかもサプライズで渡してくれたものなんです。本当に、これ以上ないくらい……最高のプレゼントでした」
そう言って、ひーちゃんは愛おしそうに、イヤリングへそっと指先を添えた。
その仕草に、会場の空気が和らぐ。
記者たちの表情も自然とほころび、“いい話だ”とでも言いたげな、温かな雰囲気が広がっていった。
——けれど。
すべての事情を知っている当事者である僕に残ったのは、ただひたすらな気恥ずかしさだけだった。
……ひーちゃん。
絶対、僕が見ているって分かってて、からかってるな。
「成程。お互いを思いやる、円満の関係のようで良かったです。——ローガンさんはどうでしょう?今の星月さんの一連の流れをご覧になられて、何かお感じになられた事などはございますでしょうか?」
次に森本さんはローガンさんへと話を振る。
恋愛映画を作った監督としての立ち位置からの言葉を引き出そうとしたのだろう。
——しかし
ここで、ローガンさん発せられた言葉は僕達全員が全くの予想もしていない驚くべきものだった。
「……そうだね。ここは、監督として——じゃなく僕という1人の人として言わせてもらうよ。——正直、今の幸せそうな表情を浮かべていたヒカルを見て、悔しいと思ったね。だって、僕はヒカルを口説こうとして、振られたからね」
「——え!?」
一瞬何を言っているのかわからなかった。
だが、遅れて脳がその言葉の意味を理解をした瞬間——思わず声が出てしまった。
「え、、、?ロ、ローガンさんが星月さんに告白――をされた?」
森本さんも予想外すぎる返答に驚いており、しどろもどろでうまく言葉を返さずにいる。
そして、会場も——
「な、なんだって!?」
「これは一大ニュースだぞ!」
「今すぐ本社に連絡を入れろ!」
「み、みなさん、お聞きになりましたでしょうか!?あのローガン監督が、星月光さんに告白していたという話が、ご本人の口から語られました!」
今日一番の喧騒が、会場を包み込んだ。
——まさか。
ひーちゃんが、ローガンさんから告白されていたなんて……。
僕は思わず、画面の向こうのひーちゃんを見てみると、ひーちゃんは困った様に苦笑いを浮かべていた。
「え、えー……失礼しました。少々取り乱してしまいました」
一瞬だけ取り乱したが、直ぐに持ち直した森本さんは、司会者として、場の整理に入った。
「念のため、確認させてください。ローガンさんは、星月さんに好意を伝え、いわゆる“告白”をされた……という認識でよろしいのでしょうか?」
「“された”っていうのは、“した”って意味だよね?だったら、その認識で合ってるよ」
ローガンさんは、あっさりと肯定する。
「……あ、でも一応補足しておくと、僕は当時、彼女に“いい感じの相手”がいるとは知らなかったからね。だから——えっと、日本語で何て言うんだっけ……あ、そうそう。NTR的なことをしようとしたわけじゃないから、そこは誤解しないでほしい」
「あ、はは……分かりました。その点については、誤解のないよう周知いたします」
森本さんは苦笑しつつ話を繋ぐ。
「では、差し支えなければ……星月さんに好意を持たれた理由について、お聞かせいただけますでしょうか?」
「理由? わざわざ聞く必要があるかい?」
ローガンさんは、少し肩をすくめるようにして続ける。
「そんなの、彼女がとても魅力的な女性だったから——それ以外に理由はないよ。男なら誰だって、多かれ少なかれ、彼女に魅力を感じるだろうし……もし身近な存在として接していたなら、僕に限らず、多くの人が彼女にアプローチすると思うけどね」
「……な、なるほど」
森本さんが、納得したように深くうなずく。
「だから僕は、彼女の身近にいれた幸運に感謝をして、映画制作の終わりが見え始めた頃、ヒカルに自分の気持ちをぶつけたんだ。……まぁ、結果は秒で振られたけどね」
そう言って、彼は苦笑いを浮かべた。
「自分で言うのもなんだけどさ。僕って、容姿はそれなりに整ってるし、経済的には恵まれていて、社会的にも力を持っている。実際、異性からのアプローチはかなり多いし、自分でも相当な優良物件だと思ってる。——だからこそ、一瞬の迷いもなく、キッパリ断られたのは……正直、かなりショックだったよ」
「……それについては、すいませんでした」
ひーちゃんは、申し訳なさそうに謝る。
「え、えーと……少しお話を割ってしまってすみません」
森本さんが、そう言って2人の会話の間に入る
「一応お聞きしますが。星月さんがローガンさんのお気持ちをお断りされたのは……現在お付き合いされている、その方の存在があったから、という認識でよろしいでしょうか?」
森本さんが確認の為、そうひーちゃんに問う。
それに対し、ひーちゃんは迷いなく応えた。
「はい、その通りです。トークセットの時にもお話ししましたが、作品のオファーをいただいた時点で、私はすでに彼に想いを寄せていました。……ですから、彼以外の方とお付き合いするという選択肢は、私の中にはありませんでした」
(ひーちゃん……)
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。
僕よりも、容姿も地位も実績も、あらゆる面で“高スペック”であろうローガンさんからの告白を、迷いなく断ったという事実に、改めてひーちゃんが僕にどれだけ強い好意を寄せてくれていたのかが分かったからだ。
「ただ……」
ひーちゃんは、少しだけ視線を伏せてから、静かに言葉を続ける。
「だからといって、私に告白をしてくださったローガンさんの気持ちを十分に考える事なく、ばっさりと切ってしまったのは……私の配慮が足りなかったと思っています。その点については、本当に……すみませんでした」
そう言って、ひーちゃんは改めて、リモート越しのローガンさんに向かって丁寧に頭を下げた。
それに対し、ローガンさんは、どこか穏やかな笑みを浮かべ、気にするなと言うように軽く手を振る。
「いや、いいんだ。ヒカルの話を聞いていて分かった。そこまで強い信頼関係ができている相手がいるなら……確かに、僕が入り込む余地なんて最初からなかったんだろうね。悔しさがないと言えば嘘になるけど……それでも、君がその相手と一緒にいて、心から幸せになれるのなら、僕はそれを祝福するよ。交際おめでとう」
ローガンさんはそう言って、画面越しに拍手を送った。
それに釣られるように、会見場に集まっていた報道陣からも拍手が湧き起こる。
それは、ひーちゃんと僕の交際を祝う気持ちであると同時に、潔く身を引いたローガンさんへの称賛でもあった。
会社の中でさえなければ——僕もきっと、後者の理由で拍手を送っていただろう。
ローガンさんから始まった拍手は、しばらく会場を包み込み、やがて十五秒ほどで静かに収まっていった。
そして、その余韻が残る中——
「……う、うぅ……」
「っ!? 中野くん、大丈夫?」
中野くんがようやく先程のショックから立ち直ろうとしていた。
「い、今……会見は、どうなってる……?」
どうやら、ひーちゃんの発言以降の流れは、まったく把握できていないらしい。
「えーと……その後、もう一山くらい大きな出来事があって、それも終わって……たぶん、そろそろ会見も締めに入るところかな」
「そうか……。その“大きな出来事”ってのは?」
「そ、それは…… 僕が口で説明するより、中野くんが後でもう一回、自分の目で見た方がいいと思うよ。ほら、そこは光ファンクラブの一員として」
「! 確かにそうだな。危なった。光ファンとして、失格な行為をするとこだったぜ」
今の出来事を話すと、また、何かとめんどくさいことになりそうなので、僕からの説明は正直勘弁であった。
ちょぅどいい理由付けがあったおかげで、中野くん自身で確認する様、うまくいく誘導ができ、僕はホッとする。
そんな中、スマホの画面から森本さんの声が響いた。
「——はい。ローガン監督から、星月さんへの温かい祝福のお言葉をいただきました。それでは、時間もそろそろとなりましたので、今回の会見はここで締めたいと思います。——最後に、お二人から、ご視聴いただいている皆さまへ一言ずつ、メッセージをお願いいたします」
会見がいよいよ最後の締めとなる。
森本さんの言葉を受け、ひーちゃんとローガンさんは、それぞれゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「この度は、映画完成記者会見をご視聴くださり、ありがとうございました。こうして日本の地で、皆さまと同じ時間を共有できたことを、とても嬉しく思っています。本日の会見を通して、少しでも本作品に興味を持っていただけましたら、ぜひ映画館へ足を運んでいただけると嬉しいです。本日は、本当にありがとうございました」
「僕も、日本の皆とリモート越しではあるけど、こうして関われてとても新鮮で、楽しい時間だったよ。また、どこかのタイミングで、今日みたいな時間を一緒に過ごせたら嬉しいね。映画の宣伝は……今ヒカルがしっかり言ってくれたから、僕からはいいかな? あまり“観てください”って言いすぎるのも、印象が悪くなりそうだし」
「ちょっと、ずるいですよローガンさん。私だけ、売り込みが激しい人みたいじゃないですか」
「ハハ、冗談だよ。じゃあ改めて、監督として僕も、一言宣伝文句を。——少しでも本作に興味を持った方は、ぜひ映画館へ。——以上! 本日はありがとう!」
「はい! 以上、お二人から皆さまへ向けての、最後のお言葉でした!」
パチパチパチパチ!!!
会場から、沢山の拍手が湧き起こる。
二人はそれに応えるように、揃って深く頭を下げた。
こうして、実にいろいろな出来事が詰め込まれた、内容の濃い会見は幕を閉じ——
「あ、それと……星月さん」
——る、その、ほんの一歩手前で。
森本さんの声が、再び会場に響いた。
……ん?
まだ何かあるのだろうか。
どう見ても、完全に終わりの空気だったはずだが。
疑問に思いながら、僕は閉じよう思っていたスマホ画面に、もう一度視線を戻す。
土壇場でひーちゃんの名前を呼んだ森本さん。
彼はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
そして、その笑みを浮かべたまま、ひーちゃんに向かって、こんなことを口にした。
「もしあれでしたら——本会見をご視聴になっているであろう恋人さんへも、何かメッセージを伝えてみませんか?」
「……!」
「なっ!?」
突然、僕にダイレクトに関わる話題を振られて、心臓が跳ね上がる。
中野くんもまた、“恋人”という単語に反応して、露骨に険しい表情を浮かべていた。
ひーちゃんから、僕へのメッセージ……?
森本さん、最後の最後にとんでもない爆弾を投げてきたな。
この唐突な言葉に、ひーちゃんは一瞬だけ目を見開いたものの、
すぐに落ち着いた表情に戻り、ゆっくりと口を開いた。
「――そうですね。彼は、おそらくこの会見を見ていると思いますので……彼に向けても一言。恋人らしく、愛情を伝えておきましょう」
(えっ!?)
思わず、頭の中で素っ頓狂な声が上がった。
「や、やめろ……! 聞きたくなーい! ……だ、だが、光の交際は受け止めるって決めたし。ファンとして、ちゃんと聞かなきゃ……いや、でもやっぱり――!」
森本さんの、あまりにも自然な流れで投下された爆弾発言。
それを真正面から受け止め、「愛情を伝える」と宣言するひーちゃん。
え、なにそれ……。
これから、全国に向けて、恋人への愛を語られるってこと?
……純粋に、ものすごく恥ずかしいんだけど。
心の準備が一切できておらず、内心で大混乱する僕。
そしてきっと、聞きたい気持ちと聞きたくない気持ち、さらに“ファンとして見届けるべきだ”という責任感の狭間で、同じように苦しんでいるであろう中野くん。
そんな、こちら側の事情などお構いなしに——
「……すぅ……ふぅ……」
ひーちゃんは静かに息を吸い、吐いた。
そして、なぜか、そっと目を閉じる。
「……?」
会場中が、何が起きるのか分からず、訝しむ空気に包まれる。
やがて、ひーちゃんはゆっくりと瞼を開き——
次の瞬間。
「あ……」
思わず、声が漏れた。
「ん? なんか……光、雰囲気変わった?」
中野くんが、首を傾げてそう言う。
そう。
今のひーちゃんは、表情も、立ち姿も、纏う空気も。
さっきまでとは、まるで別物になっていた。
そして僕は、その“今の彼女”に、強烈な既視感を覚えた。
——そこにいたのは、女優・星月光、ではない。
僕が一番よく知っている、
僕に取って一番馴染み深い
ただのひーちゃんであった。
突然の変化に、会場もざわつく。
記者たちも、司会者も、ローガンさんすらも、戸惑いを隠せずにいる。
そんな中。
女優としての仮面を、綺麗さっぱり脱ぎ捨てたひーちゃんは、まっすぐカメラを見つめ——
そして、無邪気で、屈託のない、満面の笑みを浮かべて、こう言ったのだった。
「——大好き。愛してるよ。だから、これからも末長く宜しくね!!(たーけくん♪)」
(!!!!)
「グハァ!」
この日、最後に映し出されたひーちゃんの表情は、これまで、そしてこれから先を含めても、最も〝可愛い〟星月光として——未来永劫、語り継がれることとなった。
そして同時に。
その笑顔で放たれた、たった一言は、
世界中の光ファンの心を、容赦なく、木っ端微塵に打ち砕いたとして、
こちらもまた——未来永劫語り継がれる、伝説となるのであった。
最後までお読みくださり、ありがとうございました!
さて、本作はこれにて、ひとまず完結となります。
もしかしたら、後日談や第二部的なものを執筆するかもしれません。
作品を追いかけて読んでくださった皆さまのおかげで、
現実世界・恋愛ジャンルのランキングで、一瞬ではありますが1位になるという、良い思い出も作ることができました。
本当に、感謝の気持ちしかありません。
ありがとうございました!




