30 記者会見②
その瞬間。
空気が変わった。
彼女がスポットライトの下へその姿を現したその時、会場から音と動きが一切なくなり、まるで時間そのものが歩みを止めたかのような、そんな現象が起きたのである。
理由は至極単純だった。
そこにいた誰もが、星月 光に目を奪われてしまったからである。
当然であるが、この会場に集まっているのは、芸能の世界に身を置くメディア関係者ばかりだ。
日常的に著名人と接し、有名アイドル、実力派女優や俳優、トップアーティストやモデルの姿を見慣れている人たち。
言ってしまえば、美貌や存在感といったものに対して、ある種の“耐性”を持つ人々である。
そんな彼らが、目の前のたった一人の女優に完全に心を奪われた。
その事実こそが、星月 光という人物の“異質さ”を如実に物語っていた。
真に卓越した芸術作家の絵や物語が人の心を掴んで離さないように──彼女もまた、人の枠組みを超えた幻想的な芸術そのものかのように、壇上に存在していたのである。
その容貌は、まさに絶世の一言。
黄金比を思わせる均整の取れた美しい顔立ち。日本人らしい柔らかさを感じされるその容姿は、可憐さと儚さを同時に抱え、触れれば霧散してしまいそうな繊細さを帯びていた。
──しかし、その印象は瞳を見た瞬間には覆される。
澄んだ黒の双眸には、静かだが、揺るぎない意志が宿っていた。儚げな顔立ちとは不釣り合いなほど鋭く、どこか冷たさを思わせる眼差し。しかし、それでいて、その底にはごく微かに温度を含んだ光があり、視線が合えば、思わずたじろぐ様な強い圧を感じるのに、なぜか目を逸らすことができない──そんな矛盾した吸引力を持つ眼差しだった。
身に纏っているのは、黒を基調とした簡素なドレス。
過剰な装飾を排したその一着は、かえって彼女の肢体の均整を鮮明に浮かび上がらせていた。
引き締まったウエストライン、すらりと伸びる四肢、そして衣装越しに分かる豊かな胸元──そのどれもが過度に自己主張することなく調和し、世の女性が憧れる完成されたスタイルが、自然とそこに形作られていた。
それはまさに、飾り立てることよりも、“星月 光という存在”そのものを映し出すことに重きを置いた装いだった。
耳には、花のデザインが施されたイヤリングも身につけており、小さく控えめながらも、繊細で美しい作りのそれは、光の美を更に上のものへと昇華させていた。
そして何よりも際立っていたのは。
オーラとでも呼ぶべきものだろうか。
光という存在そのものが放つ、明確に他とは異なる空気である。
光が登壇した、その瞬間からだった。
それまで緩やかに流れていた会場の空気が、目に見えない力で引き締められたかのように一変したのである。
光を起点として生まれた、張り詰めるような重たい空気。
思わず声を潜めてしまうほどの緊張感が、静かに場を満たしていく。
しかしそれは、息苦しさや威圧感を伴うものではなかった。
その光の放つ空気には、確かな重さを帯びながらも、どこか澄み切った静謐さがあったのだ。
人を押さえつけるのではなく、自然と意識を集めてしまう──そんな不思議な説得力を秘めた空気だった。
ただ立っているだけで、場の中心が定まる。
呼吸を奪うほどの美しさと、抗いがたい存在感。
それはまさに、世界の最前線で躍進し続ける大女優に相応しい貫禄であり、その場にいた誰もが視線を引き寄せられたまま、容易に離すことができずにいた。
カツ、カツ、カツ。
ヒールが放つ一定のリズムが静寂を切り裂く。
彼女は歩幅を乱さず、壇上の中央へと向かう。
ゆるやかだが迷いのない歩み。その一歩ごとに、視線と呼吸までもが引き寄せられていった。
中央に至ると、司会者に向けて深く一礼し、続いて報道陣へと身を預けるように向き直る。
そこで、それまで静止していた表情に、ふっと柔らかい変化が走った。
花の綻びを思わせる微笑を浮かべ、光は口を開いた。
「本日はお集まり頂きありがとうございます。本作のヒロイン、神井ミツキ役を務めさせて頂く星月 光です。よろしくお願いします」
落ち着きと気品を纏った声音。
光は再び一礼した。
「「「……!!」」」
その瞬間、会場全体が息を吹き返したかのように動き出す。
カシャ、カシャ、カシャ──
カタカタカタカタッ──
「、あっ……! 只今、星月 光さんが登壇され、自己紹介をされました!」
カメラマンは慌ててシャッターを切り始め、
リポーターは急ぎ実況の文言を紡ぎ、
ライターたちは焦った指でキーボードを叩く。
本来なら、光が姿を見せた瞬間から動き出すべき職務。
しかし、わずかな遅れが生じた理由を責める者はいない。
なぜなら、この場にいる全員が、同じ理由で動きを止めていたからだ。
もっとも、現地ではない映像越しの視聴者には、少々手際の悪さとして映り、SNSで多少は叩かれてしまうかもしれない。
だが、それは仕方のないことだった。
彼女の纏う空気、存在感は、実際にその場にいてこそ最大限に伝わるものだからである。
光は、遅れて浴びせられた無数のフラッシュを前に、微笑を崩さずに静止した。不自然な十秒ほどの沈黙。
それは、慌てているメディア陣が態勢を立て直せるようにと光なりの気遣いであった。
そして、その気遣いのおかげで、カメラマンや撮影クルーは手元を整え、より良い写真や映像を狙える状態へと戻っていき、ほかの記者たちもようやく冷静さを取り戻していく。
光はその流れを自然に読み取り、次の言葉へと繋げた。
「さて……海外での活動が長かったからでしょうか。時差ボケのせいで、皆さんの動きがいつもよりゆっくりに見えてしまって。こういう感覚まで狂うんですね。先ほどの自己紹介でも、少し間を置きすぎてしまいましたし……気を引き締めます」
ドッ。
会場に笑いが生まれた。
慌てていたメディア陣への気遣いと、軽い冗談の絶妙な混ぜ方。
光はその一言だけで、場の空気を見事和ませてみせた。
会場に再度灯りがつく。
こうして軽いアクシデント?はあったが、皆が待ちに待った光が壇上に登壇したのであった。
スマホでひーちゃんの登壇見ていた僕たち。
やはり、分かっていたことではあるが女優、星月 光のスイッチが入ったひーちゃんは凄かった。
画面越しからもひーちゃんが現れてからの空気が変わったのが分かった。
姿を現して、そしてステージ中央に歩いていく。そんななんて事はない十数秒の動作。たったそれだけの動作でひーちゃんは見るものの意識を、時間を、場の空気を、完全に支配していた。
その証拠にスマホのライブ映像が本来ならひーちゃんが歩くのに合わせて動くであろうはずが、全く動かなかった。
おそらく、いや、じゅくはっくカメラマンがひーちゃんに見惚れていたからだろう。
「何度も見てるけど、改めて光って他の芸能人とかと比べても頭ひとつ抜けて、存在感があるね、」
僕はそう、中野くんに言う。
当然、同意の言葉が返ってくるものだと思っていた。
しかし──
「…………」
「……?」
返事がない。
不思議に思って中野くんの方を見ると、
「…………」
「中野くん!?」
そこには息を忘れているのか、顔面蒼白で今にも気絶しそうな中野くんがいた。
「中野くん!しっかり!」
「……ッ!!」
僕が体を揺さぶって声をかけると中野くんは我に帰り、慌てて息を吸う。
「っは──!危なかったぜ。危うく酸欠でぶっ倒れるところだった。」
「いや、どうしたの?そんな呼吸忘れるほど衝撃だった?」
「そりゃあそうだろ!あまりの美しさに完全に意識を吹っ飛ばされたぞ!全く。画面越しでよかったよ。もし現地にいたら心臓発作起こして死んでたかもな」
中野くんはそう新妙な顔で言うが、今のを見ると、あながち大袈裟でもなさそうなところが恐ろしい。
中野くん、ひーちゃんと握手するのが夢って言ってたけど、これもしその瞬間が来たらどうなってしまうんだろう。
その時に備えて、事前にAEDをちゃんと用意しておいたほうがいいのかもしれない。
と、そんな馬鹿な想像を、僕は割と本気で考えていた、そのとき。
スマホの向こうから、司会者の声が聞こえてきた。
「さて、星月 光さんに華々しいご登場をいただいたところで、ここでもうお一人、スペシャルゲストをご紹介したいと思います」
そう言うと、司会者は手元のパソコンを操作し始めた。
壇上のスクリーンの映像が切り替わり、ビデオ通話サイトの画面が映し出される。
どうやら、実際に会場に来ているわけではなく、映像越しでの参加らしい。
会場に「一体誰だ?」というざわめきが広がる。
僕も、ひーちゃんからは特に何も聞かされていなかったため、まったく見当がつかなかった。
僕を含め、皆がスクリーンに注視する中、通信が繋がったのだろう。
モニターに、一人の男の姿が映し出された。
その人は外国人だった。年は三十前後だろうか。日本人の僕が見ても端麗だと分かる顔立ちで、オールドバックの髪に顎には整えられた髭。
全体として、どこか余裕のある、“イケてる壮年”といった印象を受ける。
そしてなにより、
「あの人は……」
僕はその出てきたその男の人に見覚えがあった。
なぜなら彼は、つい先ほど流れていた紹介映像に登場していた人物。
この映画の監督、ローガン・ピエール本人だったからである。
最後までお読み下さりありがとうございました!




