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(八)

   (八)


「機嫌直せって」

 反省、もしくは謝罪の二文字とは全く縁のなさそうな、ギサンテの声だ。

 同時にカチャカチャと茶器の立てる軽やかな音と、紅茶の香りが鼻先に届いた。

 顔をそっと、枕から上げる。磨き込まれたサイドテーブルに、褐色の液体で満ちたカップが赤い本と隣り合って置かれていた。

 何時間もベッドに潜り込んだままだったから、さすがに心配したらしい。眼が合うと、ギサンテはぱっと笑って私の頭を撫でた。

 私の方が、逆に慌てる。相手が兄かラウレルでない限り、この行為は有り得ない。

「私、一応お姫様なんですけど」

「うん、知ってるぜ?」

 ベッドの上に座り直し、じっくりと見詰めながら言う。だが当のギサンテは、何が言いたいか全くピンときてない様子だ。

 今度は言葉を区切り、言い含める。

「頭を撫でたり、その言葉遣い、とんでもないと思いません?」

「あー……でも、今更なあ」

 ガリガリと頭を掻いて、大体、身分を論じるならと私を指差す。

「そっちだって、オレには下女の時から偉そうだったぜ?」

「反省してます。もっと、狡猾にやればよかった」

 噴き出して笑うのを耳で聞きながら、口に運んだ紅茶の味に顔をしかめた。濃過ぎて苦い。どんな淹れ方をしたのだろう。

「ああ、悪い悪い。やっぱ不味かったか」

「解ってて淹れたんですか」

「貴族の飲みもんには、慣れねえんだ。これでも、マシになった方なんだぜ」

「平民のご出身ですか」

「ん、ああ」

 ふと、歯切れ悪くギサンテの顔が曇る。

 それには気付かないと装って、言葉を継いだ。

「信じられませんけど、じゃあ本当に優秀なんですね」

「まあな」

 青い鎧の下で、ほっと体の力が抜けた。

 貴族は一般的に、身内びいきが激しいのだ。確かに幼少の頃から厳しく躾けられた貴族達は、洗練されて如才ない。しかしだからと言って、優れた官吏とも限らない。

 中でも武官は、生まれ持った資質が多くの命さえも左右する。だから平民が出世を重ね、官位を得る事も珍しくない。珍しくはないが、やはり貴族に比べれば少ないし、血統を重んじる者達からは疎まれる。

 終始気楽そうなギサンテですら、その事に触れれば痛む何かがあるのだろう。

 だから側近五人の内、セタを除いた他の四人が平民だと聞いて驚いた。

「もちろん実力でしょうが、多いですね」

「どうだろうな。わざとそうしたって気がしなくもないけどな、オレは」

 わざと?

 首を傾げると、ギサンテは苦笑しながら立ち上がった。テラスに向かい、夜風の流れ込む掃き出し窓を閉じる。

「師団長殿は、血に選ばれた人だからな」

 青い鎧は、こちらに背中を向けたまま。表情は見えない。

「本当は、誰も知らない所へ行きたいんじゃないかと思う。でもそれは許されない。だからせめて、身近にはオレ達の様な者を置くんだ」

「――王が何故、貴族を重用するか解りますか?」

 何の話を始めたのかと、訝る様にギサンテが振り返った。

「いや」

「貴族に求められるのは、誇りと覚悟です。例え自らの命が尽きようと、王を背に庇い守る。それが貴族です」

「オレ達が、命を掛けてないって?」

「いいえ」

 怒らせただろうか。

 ギサンテを包む空気が尖った気がして、不安になる。だが部屋を飛び出すでもないから、先を続けた。

「貴族が王に全てを捧げるのは、栄達のためです。結局は、欲です。貴族には家があります。祖先から受け継ぎ、子に残すべきそれを守るのが、本当は彼らが一番に考えている使命でしょうね。そこにあるのは、利害でしかありません」

 王に多くを差し出せば、多くを与えられる。ある種の取引なのだと、私は思う。

「ですが、あなたが身を尽くすのは、そんな事ではないでしょう?」

「……つまり?」

 本当に解っていないのだろうか。余計な事かも知れないと思いながら話始めたが、ここまで手応えがないと半ば呆れた。

「あの人は、利害関係が成立して余程でない限り裏切らないと解っている相手より、あなた方がいいと仰っているんです。これほど篤い信頼はありません。だから」

 手を腰に当てこそしなかったが、殆ど子供を諭している気分だ。

「だから、あなたも自分を信じなくては駄目ですよ」

 話し終えると、聞き役の男は私の頭をポンポンと撫でた。

「いっつもこんな難しい事考えてんのか?」

「考えてません。これは経験です」

 頭に載った手が止まる。

「十一年前の反乱を?」

「話ではな」

 父の逝去と同時に、王弟である叔父が即位を宣言した。だが王には兄と私を含めた九人の実子がいたために、叔父は王位からは最も遠い立場にいた。

「そのため叔父は、王位に近い兄達から殺し始めました。でもその内に姉達も殺し、最後に残ったのは兄と私だけでした」

 正当性はこちらにあったが、大勢はあちらに付いた。多くの貴族が叔父を支援したのだ。

 臣は正義ではなく、利を好む。身を以って知った事実だ。

「兄を支えたのはラウレル卿と、まだ二十だった子息のノーチェだけでした」

 だから主従が信頼で結ばれるのを、不可能とは思わない。だが全てと言うのは、恐らく奇跡に近いだろう。

 しかし、それでは国を守れない。だから貴族的な結び付きも、不可欠ではあるのだ。

「今はどうなんだ?」

「今?」

「今も、信頼できるのはラウレル卿だけかって訊いてんだ」

 それは、難しい質問だ。

 国が落ちても故郷に留まる臣下達は、きっと忠義に篤いのだろう。だが私は、それを信じない。

 彼らに取って、王は誰でもいいのではないか? かつて、叔父を担ぎ上げた様に。今は新しい誰かが王座に納まるのを、待っているだけではないのか。

 思考の中に沈んでいると、ギサンテの手がグシャグシャと頭を掻き混ぜた。乱れた髪を押さえながら、慌てて離れる。

「何、もう! 止めて下さいよ」

「あんたさ、ほんとに師団長殿と結婚しちまえよ」

「はい?」

「そしたらオレが、あんたを背中に庇ってやるぜ」

 余りの飛躍ぶりに、きょとんと言葉を失った。どうして、話がそこへ行くのだろう。

「大変だよな、生まれがいいと。ガキが、あんな顔しなきゃなんねえんだからさ」

「……二十一です」

「あ?」

「ガキじゃありません」

「ガキだろ。色気がねえ」

「それは、ギサンテの主観でしょう?」

 一般的に、十六、七になったら女は結婚していておかしくない。むしろ私など、ちょっと遅いくらいなのだ。

「確かに、年上が好みだけどな」

「どんな?」

「未亡人とか」

「……それ、覚えて置いた方がいいですか?」

 どうでもいい話を聞いてしまったと後悔していると、表情から笑みを消したギサンテが押し留める様に手の平を出した。

 はっとして口を噤む。兵士がこの仕草をしたら、大人しく従うべきだと教えられていたからだ。

 ギサンテは手振りで私をベッドの陰に屈ませると、腰に吊るした剣に手を掛けた。

 すぐに抜き払えるよう、鞘を握りながら親指で鍔を押す。鍔と鞘のわずかな隙間に刀身を覗かせ、そっと扉に忍び寄った。

「誰だ」

 返事はない。

 緊張が、こちらまで伝わってくる様だ。

 ベッドの陰から少しだけ覗くと、ギサンテの半身が眼に入る。こちらが屈んでいるために、彼の足元はベッドに隠される格好だ。

 青い鎧の下で深い呼吸を一つして、扉に手を掛け剣を抜く。ドアを開いた。素早く。鋭い切っ先が油断なく空を裂き、止まった。

「……はいはい」

 聞こえてきたのは意外な事に、ため息混じりのそんな声だった。

 ギサンテは剣を収めると、そのまま部屋を出て行ってしまう。けれども扉を閉める直前に、こちらに向けた顔が薄く笑んでいたかも知れない。

 私は頭だけをベッドの陰から覗かせて、困り果てた。

 結局、どうしたのだろう。あの様子では危険があるとも思えないが、何も言わずに出て行くのは礼儀としてどうかと思う。じゃあ何か、急ぐ理由でもあるのだろうか。

 堂々巡りに悩む私に、カシャリと乾いた音が届く。まるで床を引っ掻く様な。

 はっとして、急いで立ち上がる。

 ちょうど、跳ねる様にベッドに上がった白金の狼が視界一杯に飛び込んだ。

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